記事・インタビュー
大阪大学名誉教授
仲野 徹
#06
ボタニカ 朝井まかて(著)/祥伝社 発行
縛られた巨人-南方熊楠の生涯- 神坂 次郎(著)/新潮社 発行
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 ウェンディ・ムーア(著)/河出書房新社 発行
研究者や科学者っちゅうと、世間ではちょっと変わった人というイメージがあるかもしれませんな。それも今は昔。どの大学でも、まともすぎるおもろない人ばっかりになってきましたわ。今回はそんな現実をはかなんで、奇人変人を取り扱った3冊を紹介いたしまする。
偉大なる植物学者・牧野富太郎の名を知る人は少なくないだろう。大学を出ておらず、判官びいきもあって何となく応援したくなる在野の研究者というイメージだ。しかし、私生活はあまりにむちゃくちゃだった。そのあたりを余すことなく描き出した小説が、朝井まかてさんの『ボタニカ』(祥伝社発行)である。
牧野の植物学に対する情熱はすごい。いや、すごすぎる。日本のフローラ(「植物叢」のことで、その地域全体にどのような植物が生息しているかを指す)を明らかにすべく、膨大な数の標本を作り、分類し続けた。
子どもの頃から植物が大好きで、その研究に関するものなら、本であろうが機器であろうが、懐具合を考えずに買いまくる。定職といっても、登り詰めたのが東大の講師なのだから、給与はたかが知れている。素封家であったが、身上を使い果たしてしまう。月給が20~30円の頃に、借金が2~3万円もあったというから尋常ではない。それもこれも、植物研究のためだから仕方がない、というのが牧野の言い分だった。
ここまでは、まぁ学者バカと言っていいかもしれない。しかし、時代とはいえ、そのような生活をしながら、故郷・高知に残した妻の他に東京で妾(めかけ)を持ち、子どもを13人もつくる(うち成人したのは7人)というのはいかがなものか。さすがにあかんやろ。それに、借金を肩代わりしてくれた人や、世話になった東大の教授たちと、ことごとく不仲になっていく。なにかが壊れている。
この本、まかてさんの植物についての描写がすごくいい。前作、森鷗外の三男坊についてつづった『類』(集英社発行)でも、鷗外の自宅・観潮楼の庭の植物についての書きぶりが素晴らしかった。ご本人にお伺いしたら、植物が大好きだとのこと。やっぱりそうなんや。
いやぁ富太郎さん、すごすぎますがな。前人未到、空前絶後の業績を上げながら、生活は破綻。なんかええ感じしまへんか? 絶滅危惧じゃなくて、もう完全に絶滅したタイプですな。その牧野と同じ時代に活躍した紀州が産んだ大天才は知ってはりますか?
完全破滅型の天才、南方熊楠がその人だ。たくさんの本が出されているが、ここでは『ボタニカ』と同じく小説仕立ての『縛られた巨人-南方熊楠の生涯-』(新潮社発行)を紹介したい。単行本の初版が1987年、記憶が正しければ、この本が熊楠ブームの嚆矢(こうし)となったはずである。
記憶力は壮絶で、すべて独学。得意分野は博物学、民俗学、植物学など幅広く、中でもよく知られているのは星座や粘菌の研究である。『ボタニカ』には牧野と人生が交錯しかけたエピソードが出てくる。残念ながらその機会はなかったようだが、天才奇人同士の面会がかなっていたら一体どんな話が交わされたのだろう。誠に残念である。
自らの脳は特殊なはずだからぜひ研究してほしいという遺言に従い、熊楠の遺体は大阪帝国大学医学部病理学教室(念のために言うときますが、仲野堂店主はそこの教授でしてん)の森上助教授が紀伊田辺まで出向き、戸板の上で解剖しはりました。いまもその脳は大学の標本室に保存されてますねんけど、現在の研究レベルをもってしても、たいしたことは分かれへんでしょうな。で、3冊目は、犯罪をおかしてまであらゆる標本を集めることに熱中した英国の奇人についての本をば。『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(河出書房新社発行)は、当代随一の外科医としての名声を得ながら、解剖用の遺体のために墓荒らしを行ったり、全く違法な手段を用いて巨人の骨格標本を手に入れたりした18世紀の医師の伝記である。おそらく、ある程度以上の業績を上げた医師でこれほどの奇人は他にいない。さすがは栄光を誇った大英帝国、奇人もレベルがぶっちぎりだ。
とまぁ、こういう3冊でおます。考えてみたらあたりまえですけど、奇人の伝記はおもろいと相場は決まっとるんですわ。いまもこういう人がおったらむっちゃええんちゃうかと思うんですけど、世の中が成熟してそういうことは望めなくなってしもたんでしょうな。残念だす。
今月の押し売り本
今月の押し売り本
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仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2022年7月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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