記事・インタビュー
慶應義塾 常任理事 / 慶應義塾大学 医学部 外科学 教授
北川 雄光
あらゆる分野において医療技術の革新、進歩はわれわれの予測を遥かに超える速度で進行する。私の専門分野である外科医療においても、私が医学部を卒業した1980年代の状況からは想像もつかない革新を遂げている。手術創はなるべく大きく確保して、視野を整え安全確実な手術を心懸けよと訓練されたわずか数年後から、腹腔鏡・胸腔鏡手術をはじめとする低侵襲手術が急速に普及し始めた。当時の指導層は「危険な試み」として拒絶、否定する側と、未来の技術革新を信じてこれを支援する側に分かれた。さまざまな事象、紆余曲折はあったものの、画像技術や医療機器を含むあらゆる関連技術の急速な進歩が後者の流れを本流とした。
当初懸念された悪性腫瘍手術の長期成績、腫瘍学的安全性についても、多くの臓器において従来手術に比しての非劣性が証明された。一方では外科医が守備範囲としていた早期がん治療は内視鏡や局所療法、高精度の放射線治療などに置き換わっていったことは言うまでもない。さらに現在、低侵襲手術は当初医療経済上の観点から懸念されていたロボット支援手術に大きくシフトしている。通信技術の進歩は、20年前は夢物語であった遠隔手術を日常に近づけつつある。その陰でいったんは脚光を浴びたものの廃れていった技術があまた存在する。しかしながら、そうした廃れていった技術が何らかの技術革新をきっかけに甦ることもしばしばである。多くの理論や技術が遥か昔に提唱されていながら、当時の科学技術がそれに追いついていなかった事例は枚挙に暇いとまがない。
現在、生成系AIを含む拡張知能技術をどのように取り入れていくか、さまざまな議論が繰り広げられている。医学研究の分野では、論文作成はもとより着想から、研究デザイン、データの解析、解釈までをAIに依存することの是非が問われている。しかし、数多くの選択肢、手段を極めて効率よく閲覧して、最終的な取捨選択、決定を「ヒトの頭脳」が行っていく以上、有効で安全に医療の変革に資する利用の仕方はあるはずであると個人的には考えている。
さて、医療の変革の過程において重要なことの一つが、これまで革新の恩恵に浴することが難しかった集団に、いかにしてそれに接触させる機会を与えるかということである。ここ30年で達成された低侵襲治療革命においても、それまであまり経験を持たない若い医療者たちが、先入観に囚われることなく自由な発想で新しい技術を開発していったことが大きな推進力となった。その領域で指導的立場にある経験豊富な集団が方向性を決めている段階では、大きなブレークスルーは起こりにくい。もちろん患者さんの安全を担保することを最重要事項としたうえで、柔らかい頭脳と心を持った集団が最先端の技術に触れる機会を作ることが大切である。現在、領域によってはその環境が必ずしも整っていない状況である。修練を積んで一定の資格を得た者だけが次なる新しい最先端技術を手にすることができる。ピラミッドのような資格認定システムを一段ずつ登っていくには、多くの時間と労力を有する。また、少なくとも日本の医療制度においては高難度の技術を苦労して獲得した医療者への恩恵は極めて限定的であるため、ピラミッドを登ることすら諦めて立ち去る若者も少なくない。
さらに、それぞれのライフイベントをクリアしながら修練を積まなければならない女性医師にも同様のことが言える。時間と労力を要する修練の末にようやくスタートラインに立てる状況では、女性医師が有する豊富な能力や特性を生かすことができない。現在、拡張知能をはじめとする医療を取り巻く多くの技術が、膨大な単純作業やヒューマンエラーの恐怖からわれわれを救い出してくれている。私事であるが慶應義塾大学病院が内閣府戦略的イノベーション創造プロジェクトのAIホスピタルモデル施設として活動する中で、われわれはさまざまな技術によってもたらされた「時間という贈り物」を享受した。それによって患者さんや他の医療者と触れ合い、新しい発想に思いを馳せる最も大切な時間を得たのである。医療の革新は、最先端の技術と若手、女性医療者の距離を縮めることによって想像以上の発展を遂げるものと信じている。
北川 雄光 きたがわ・ゆうこう
1986年慶應義塾大学卒業。1993年ブリティッシュコロンビア大学に留学、1997年應慶義塾大学助手、2007年同外科学教授就任、2017年同病院長・理事、2021年慶應義塾常任理事現職。2015年-2019年日本癌治療学会理事長、2019年-2023年日本消化器外科学会理事長。「ドクターの肖像」2020年4月号に登場。
※ドクターズマガジン2023年12号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
北川 雄光
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