記事・インタビュー

2023.09.15

【Doctor’s Opinion】村の医療機関がどうやって災害に対峙したか

関川村国民健康保険 関川診療所 所長

平田 丞

令和4年8月3日夜21時ごろ、仕事を終えて診療所を出ると雨が降っていました。その後雨脚は強まり、雷鳴が轟いては土砂降りの状況が4日の明け方まで止むことなく続きました。記録的な豪雨により村内の各所で水があふれ、100戸以上の家々が浸水しました。関川村の中心を東西に流れる荒川(一級河川)は茶色の濁流となり、方々からの土砂崩れが道路だけでなく線路やトンネルまでを被い、陥没や土砂により主要道路は寸断され、村は一晩でほぼ孤立状態となりました。豊かな自然に恵まれた関川村の景色を一変させた大災害でありましたが、死者が出なかったことは幸いでした。

4日の早朝に出勤し、水があふれた駐車場よりわずかに海抜が高いところに建てられた診療所が浸水を免れていたことに安堵しました。災害医療の経験がない私でしたが、まず村の方々の服薬を中断させないために村唯一の調剤薬局と連携し、必要な方々に応急的に短期間の薬を処方することにしました。診療所ではそんな状況の中、出勤できたスタッフと、少数ながら来院される方々を診察した後、急設された村の避難所を巡回し、避難された方々の表情を直接拝見し声を掛け、体調などを伺いました。

災害2日後の5日には、長岡赤十字病院より災害医療チームの方々が支援に来て下さり、2日間にわたり村をくまなく巡回されて初期の医療支援活動と災害状況の調査にご尽力下さいました。私も巡回の報告を伺い村の状況について情報を共有させていただくことができました。村の診療所レベルでは到底行うことができない専門チームのご尽力に心より感謝しております。

その後、手探りの中で今回の災害に対して村の医師として担うべきことを考えました。

診療所スタッフや多くの職種の方々と連携・協働しながら、

①被災状況や復旧状況の把握に努める
② 通常の外来診療に加えて被災下の傷病に全科的に対応する
③被災された方々に寄り添う
④村の復興を見届ける

これらのことを実行するためには被災現場を自分の目で見ておきたいと思い、災害3日後の6日、道路の至る所が陥没しており自動車での移動は困難なため、往診カバンを背負い自転車で巡回に出かけることにしました。

巡回中は体調、服薬やかかりつけ医への受診の状況などについて可能な限り声を掛けました。日常生活からかけ離れた生活を余儀なくされたことで発症するさまざまな傷病に対して、医師としてできる限りのことをさせていただこうと思い、その後も毎週末の自転車巡回を継続しました。

また、村外の医療機関への受診が困難な状況が続いていたため、診療所ではお盆休みを返上して診療に当たりました。ちょうどその頃、村にも新型コロナウイルス感染症の第7波が及んでおり、発熱の症状がある多くの方々にも対応できました。診療所には、被災し出勤することすら困難なスタッフもおりましたが、一丸となってこの状況に対峙しました。

時間が経つにつれ、表面上は安定したように見える中、潜在的な影響にも気を配っていくタイミングと感じていたところ、関川村役場からも村の皆さんに災害後の心身の変調など心配な点についての注意喚起がされていて、心強く感じました。

その後、徐々に生活道路も通行可能となりました。村の方々が復興に向けて少しずつ進まれていく様子をうかがいながら、巡回の必要がなくなったと判断し、9月の中旬、私の活動も一区切りとしました。雪の降る冬を前にしても浸水家屋の修繕や改築が続いていて心配しておりましたが、ひとまずは暖を確保されたと伺って安心しました。

水害の最初期から現在まで、各方面の方々が適時現場に参入下さり、連携と協働がもたらす「力」を肌で感じてきました。一方、診療の現場では、水害発生後約1年が経過する現在も、時折強い雨が降ると不安や不調を訴える方がおられるなど、被災の影響が続いていることが実感されます。共に水害を体験してきた医師として、これを踏まえて今後も村の皆さんに寄り添いながら、少しでも安心していただけるような診療を多職種と連携して提供し続けることができるよう努力していきたいと考えております。

平田 丞 ひらた・じょう

1991年新潟大学卒業。1996年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(分子生物学)。その後臨床医となり、2018年4月より新潟県の関川診療所に赴任し、内科・外科・小児科・整形外科を含めたプライマリ・ケアに対応している。

※ドクターズマガジン2023年9号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

平田 丞

【Doctor’s Opinion】村の医療機関がどうやって災害に対峙したか

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