記事・インタビュー

2022.12.15

【Doctor’s Opinion】「餅は餅屋」でよいか

国立大学法人 広島大学 学長

越智 光夫

「先生、私は医療と政治の関係について、大学や病院では全く勉強してこなかったことが身に染みて分かりました」。私の手元に、広島県内で中山間地域医療の一線に立つ開業医である後輩から届いた1通の手紙と1冊の新刊本がある。長年、住民たちと共に、地域医療を守る運動に取り組んできた歩みと悔しい思いをつづった本である。

私自身を振り返ってみても、関連病院で勤務した3年間は一般の整形外科手術と救急対応に日夜走り回った思い出しかない。広島大学に帰局してからは、手術器具の改良や再生医療にチャレンジし、より良い整形外科医療をと考え続けてきた。

2007年、病院長に就任してようやく経営の視点で、内科・外科・産婦人科等各科に割り当てられていたベッド数の管理を見直した。当時の浅原利正学長の支援もあり、ベッドを病院の一元管理下に置いた。空床は激減し、稼働率はついには95%を超えるようになった。大きく増加した収入の一部を医療従事者へのボーナスとして配分したが、国立大学として初めてのことであり、各所からクレームも付いた。しかし日本の政治、経済は専門外のことでもあり、「餅は餅屋」だからと、深く考えて発言したり行動したりしてこなかった。新型コロナウイルス感染症の世界的流行が始まって2年半が経過した。本稿を書いている8月末時点でも国内の新規感染者数は毎日15万人前後に上るなど、いまだ収束の兆しさえ見えない。

折しも「私たちは新型コロナウイルス感染症を最後のパンデミックにすることができる」というマイクロソフト創業者ビル・ゲイツ氏のプレゼンテーション動画TED Talks に出合った。彼は「もしも今回の新型コロナの流行を100日以内に食い止めることができていれば、98%以上の命を救うことができたはずだ」と述べたうえで、「病気の監視、研究開発、医療システムの改善に投資することで、全ての人々がパンデミックを恐れる必要のない世界を実現することができる」と熱く語っていた。

世界的に大きな反響を呼んでいるようで、動画の視聴回数は230万回を超えている。主張の是非は置いておくとしても、私が考えさせられたのは、感染症の専門家でも政治家でもないゲイツ氏が、パンデミックを防ぐ具体的な「処方箋」を世界に向かって堂々と訴えている点だ。医療の専門家ではないが、各国政府やWHO(世界保健機関)の政策決定にも大きな影響を与えるに違いない。

私には、後輩の手紙とゲイツ氏の話は通底するように思われた。生命や医療を守るには最終的には政治が重要であり、政治家の役割が大きいかもしれないが、政治の専門家でない人々も、政治や経済のしくみを知ったうえで積極的にコミットしていくべきではないかとの観点である。

3年前、新潟市で開かれた「第32回全国経済同友会セミナーin新潟大会」に参加させていただいたときのことだ。人材育成をテーマにしたシンポジウムの壇上で、ベンチャー企業のトップの方が「医師の方々には悪いが、日本の社会を良くするには、優秀な人が全部医学部に行ってしまわないようにした方がいいのではないか」という内容の発言をされ、いささか面食らった。確かに、地方の優れた高校生が医学部に集中している現実はある。日本発展のために優秀な頭脳はバランス良く各方面で活躍してほしいとの趣旨だったのだろう。

一方で、最近は医療を学んだうえで経済や起業の分野に進出して活躍する人も現れ始めているが、微々たるものだ。医師として専門分野を磨くことの大切さはもちろんとしても、専門分野だけに閉じこもらず、福島第一原発事故の国会事故調委員長を務めた黒川清先生のように、社会に物申す人や社会を動かしていくリーダーが、もっと出てきてもおかしくない。

歴史をひもとけば、医師と政治家の人生を貫いた人物として、明治・大正期の日本を率いた後藤新平(1857~1929年)がいる。医師として出発した後藤は、愛知医学校の校長兼病院長、内務省衛生局を経て陸軍検疫部時代には広島市似島などに検疫所を建設し、日清戦争の帰還兵23万人の検疫を3カ月で終えて日本をコレラから救った。その後、台湾総督府民政局長、初代南満州鉄道総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長などの要職を歴任し、関東大震災後の首都復興にも力を尽くした。

極端な例ではあるが、「個々の病人を治すより、国を治す医者になりたい」と行政・政治の世界に飛び込んだ後藤。今日本の行く末を案じる人は多い。約34万人もいる優秀な医師が政治、経済、教育にもっと積極的な意見を述べて、日本をリードするくらいの気概を持ちたい。私自身の自戒を込め、後藤を突き動かした信念に、あらためて思いを致してみた。

越智 光夫おち・みつお

 

1977年広島大学医学部卒業。1995年島根医科大学医学部教授を経て、2002年広島大学大学院教授就任。2007~2011年広島大学病院長、2009年ハーバード大学MGH客員教授、2013年カリフォルニア大学アーバイン校客員教授。2015年より現職、同年紫綬褒章を受章。2019~2022年内閣府大学支援フォーラムPEAKS 幹事会メンバー。2021年から文部科学省の中央教育審議会委員ならびに科学技術・学術審議会委員。2019年7月号「ドクターの肖像」に登場。

※ドクターズマガジン2022年11号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

越智 光夫

【Doctor’s Opinion】「餅は餅屋」でよいか

一覧へ戻る