記事・インタビュー
国際医療福祉大学 副学長
初代・厚生労働省医務技監
鈴木 康裕
新型コロナウイルスは、医療にとどまらず、広く国民生活に影響を与えている。欧米各国に比べ患者数は大幅に少ない我が国だが、10年以内に予想される次なるパンデミックに備えて、反省すべき点をしっかりと把握・分析し、対策をとるべきであろう。
私見では、次の4つについては少なくとも改善が必要に思う。
まずは、不足が指摘された病床の確保と保健所の能力である。
人口あたりの病床数が多い我が国で、どうして医療崩壊の危機があるのかとよく聞かれるが、危機は病床の絶対数が多い場合でも、1病床あたりの医療従事者が少なくて、負荷の高い患者が多く入院すると、あっという間に臨界点に達してしまう。こうしたことを避けるには、全体の免許保有者の3分の1いるといわれる、いわゆる「潜在看護師」の方々の活用が有効ではないだろうか。希望者が登録した上で、定期的に情報と必要経費の提供、研修を実施し、今回のようなケースに、予防接種会場や保健所で支援してもらうのである。
また、保健所の場合は、住民からの検査希望の電話受付から始まり、陽性者の入院先の確保と搬送、積極的疫学調査を実施しており、患者数が増加すると、他部署からの応援を受けても仕事量がオーバーフローしてしまう。外部委託やアプリの活用など、革新的な仕事術が求められよう。
次に、医療現場を苦しめた個人用防護具の不足である。良質で安価な製品はアジアの特定国からの輸入に依存してしまうため、その国がパンデミックで輸出を停止すると、国内需要が高まっている我が国では、大幅な供給不足が露見する。石油と同じように、輸入ができない場合でも一定期間は供給が継続できるだけの「国家備蓄」を平時から整備することと、たとえ経済合理性にも と 悖 ったとしても、優良な国内供給元を補助することなどを進めている。
3つ目は、感染者の居所の確認のための対応の仕方である。欧米に比べて感染者数を抑えた韓国や台湾、シンガポールでは、軽症で自宅やホテルにいる患者の居所確認にスマホのGPSを用いたが、我が国ではプライバシーへの配慮から、政府が個人のスマホのGPSを活用することができずに、保健師等が電話して居所を確認するというアナログな対応が取られた。それをアプリで大幅に省力化することで、保健師等の人材を他の重要な任務に投入できる。有事には、普段は享受している個人の権利も、国民の死活的な利益のためには、時限的に制限されうることについても事前の国民的な議論が必要である。
最後に、奇跡的に短期間で開発され、ゲームチェンジャーとしての役割が期待されているワクチンの確保と接種体制についてである。自国での研究・開発能力の飛躍的な向上に加え、オリンピックを控えた我が国で、もう少し早く接種が開始できて、接種状況がよければ、世論の受け止め方はかなり違ったであろう。ワクチンの契約と輸入自体が致命的に遅かったわけではないことを考えると、承認と接種体制の確保に焦点が当たる。外国で承認されたワクチンに国内で治験を求める決定は、感染者数の少ない我が国で健常者に未知のワクチンを大規模に行う際には必要との国会の意思であった。公平なワクチン接種を順序だってすすめることを最優先すれば、速度は犠牲となりやすい。来年以降も接種が繰り返される可能性も考えると、次回以降に向けてどう考えるか、持ち時間は長くない。
我が国では、戦後、有事について真摯に議論することがあえて回避されているのではないか。十分な時間と資源があれば、必要な人々にできるだけのことをするのが当たり前だが、それができないのが「有事」という状態である。何かを取り上げるとともに、何かを切り捨てるという、ある意味で「非情な」決断をせざるを得ない。それを医療従事者や警察官、消防隊員、自衛隊員などだけに丸投げし、「切り捨てざるを得なかった部分だけを取り上げて批判する」ということはあってはならないし、そういう状態では、成熟した社会として、全員がともに危機に備えることにならないのではないか。災害時などのトリアージなどで常に「非情な選択」に迫られる医療従事者の一人として、心に刻みたい。
鈴木 康裕 すずき・やすひろ
1984年慶應義塾大学卒業。同年厚生省入省。2009年新型インフルエンザ対策推進本部事務局次長、2010年保険局医療課長などを経て、2017年7月に医系技監のトップである初代・厚生労働省医務技監に就任。2021年国際医療福祉大学 副学長就任。
※ドクターズマガジン2021年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
鈴木 康裕
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