記事・インタビュー
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大阪大学名誉教授
仲野 徹
キャスリン・ペイジ・ハーデン(著)、青木 薫(翻訳)/新潮社発行
シッダールタ・ムカジー(著)、仲野 徹(監修)、田中 文(翻訳)/早川書房発行
上大岡 トメ(著)/幻冬舎発行
古来、氏(うじ)か育ちかというのは難しい問題ですな。最近では特にそうで、「氏と育ち」という言葉の「氏」は差別的にとらえられる可能性があるからと、原稿の訂正を命じられたことまでありますわ。生物学的にいうと「遺伝と環境」っちゅうことになりますやろか。
ということで、1冊目は『遺伝と平等』から。この謎に最新のゲノム遺伝学の成果を用いて挑んだ本である。勇気ある著者だと思った。この手の本は、一歩間違えると、いや、たとえ間違えていなくともバッシングを受ける可能性があるからだ。それだけ「遺伝派」と「環境派」の対立は深い。だが、この本、内容が正しいだけでなく、じつに慎重に書かれている。
人間のほとんどの形質(目の色のような特殊な例を除いて)は、程度の差こそあれ、遺伝要因と環境要因が相まってでき上がっている。このことは、もうずいぶんと以前から分かっていた。ただし、誰もが納得できるデータがあるとは言いにくかった。しかし、ゲノム解析から直接的なエビデンスが得られるようになってきた。
身長や知能指数には、それぞれ70%と50%程度の遺伝性があるとされている。これは、背が高くなる遺伝子や頭の良くなる遺伝子が存在するためではなく、数多くの遺伝子の組み合わせによって決定されている。この本で詳しく解説されている「ポリジェニックスコア」というのは、それが数値化されたものと考えてよい。この数値を用いることにより、遺伝、より正しくは多因子遺伝をより詳細に解釈することが可能になった。
遺伝がさまざまな能力、ひいては収入にも影響しているのであるから、リベラル派は認めたくないかもしれない。しかし、「遺伝的性質は社会の階層化の原因になりうる」のは避けようがない。それが第Ⅰ部「遺伝学をまじめに受け止める」の結論だ。だからといって、それをもって不平等を許すべきではないというのが第Ⅱ部である。章のタイトルにあるように「『生まれ』を使って『育ち』を理解する」ことにより、「違いをヒエラルキーにしない世界」を築くことが提言されていく。
メンデルの遺伝の法則とダーウィンの進化論、ほぼ同時代に発表された大発見が近代遺伝学の始まりである。ただ、その歴史は正しい道筋を歩んだわけではなかった。ふたつの理論が相まって優生学という学問が生まれ、世界を席巻してしまった。まさかそのようなことはないと思うが、ゲノム解析を誤って用いると新しい優生学が生まれてしまう危険性がなくはない。最後の章「アンチ優生学の科学と政策」がそうならないための対策だ。
何年か前にベストセラーになった『言ってはいけない—残酷すぎる真実—』(新潮新書)を読んだとき、エビデンスを元にしたかのように語りながら差別を容認するがごとくの内容に暗澹たる気持ちになった。それに対して『遺伝と平等』は真逆である。いけないどころか、言ってもいいのだ。それどころか、言いながらしっかりと考えるべきなのだ。
2冊目は自分が監修しているので気が引けるけれど、『遺伝子―親密なる人類史—』を。ピューリッツァー賞に輝いた名著『がん4000年の歴史—』(ハヤカワ文庫NF)の著者、医学ノンフィクションの第一人者シッダールタ・ムカジーの本である。抜群に面白い。『遺伝子』は、遺伝学の学術的な内容だけでなく、優生学や最新のゲノム編集の倫理的側面にまで深く切り込んでいる。ただし、原著が発表されたのは2016年なので、まだポリジェニックスコアの研究はそれほど進んでいなかった。そのこともあって『遺伝と平等』のような社会的課題は取り上げられていないが、おそらくはムカジーも同じような意見を持っているはずだ。
最後は遺伝子について何も知らない人にお薦めの本、上大岡トメさんの『遺伝子が私の才能も病気も決めているの?』を。イラストたっぷりに、分かりやすすぎるくらい分かりやすく解説されている。そして素晴らしき結論メッセージは「こうして生きているだけで奇跡―今の自分自身を大事に 命を大切に」だ。出版社のHPに「“遺伝”を誰もが知るべき時代に最適の一冊」という題で感想を書いているので、興味のある人は検索して読んでみてください。
遺伝子って、個人のものであると同時に社会全体のものでもあるんですわ。そやから、ややこしいんやけど、面白くもあります。これからの世の中、自分のためだけでなく、より良い社会のためにも遺伝子の正しい理解が必要でっせぇ。勉強してくれはったら嬉しおます。ほな。
今月の押し売り本
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今月の押し売り本
仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2024年4月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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