記事・インタビュー
大阪大学名誉教授
仲野 徹
#05
刑務所の精神科医 治療と刑罰のあいだで考えたこと 野村 俊明(著)/みすず書房 発行
誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論 松本 俊彦(著)/みすず書房 発行
コブのない駱駝:きたやまおさむ「心」の軌跡 きたやま おさむ(著)/岩波書店 発行
医学部の入学当時、将来の進路に精神科もいいかと思ってました。で、一回生の時、精神病院の見学に行ったことがあります。まる一日、病棟で過ごしたら、なんかアイデンティティーが崩れそうになってきて、これはあかん。とてもじゃないけど無理やわと諦めました。そんななんで、いまだに精神科にはなんとはない憧れを持っとります。で、今回は精神科のお医者さんが書かれた本を。
『刑務所の精神科医——治療と刑罰のあいだで考えたこと』は、20年間以上の長きにわたって矯正施設に精神科医として勤務された野村俊明医師が書かれた本だ。矯正施設には刑事施設と少年施設があって、前者には拘置所と刑務所、後者には少年鑑別所と少年院がある。それらの10カ所以上で勤められた経験、そして、それに基づいた自らの思考が自在につづられていく。
「虐待が奪いゆくもの」、「矯正施設で見た家族のかたち」、「精神鑑定は精神医学の華なのか」、「発達障害は何をもたらしたか」、「高齢者の病いと罪と」、「フィンランドの刑務所」など、さまざまな経験を積んでこられただけあって、本の内容は多岐にわたる。
そんな特殊な話など面白くないだろう、と思うのは浅はかだ。矯正施設という小さな穴を通して、社会のさまざまな問題をシャープに結像させておられるのが見事だ。それらの問題について率直に吐露される意見には、うなずかされることばかりだった。
じつはこの本、編集者さんから「著者の強いご要望により」というコメントが付いて、ご恵送されてきた。たいがいたくさんの本をお送りいただくが、このようなコメントは初めてのことだ。何があっても読まないと、と思っていたのだが、積ん読本に紛れてしまって、年末の大掃除でようやく発掘して読んだ次第。
ものすごく面白くて感動したので、遅ればせながら編集者さんに、野村先生によろしくお伝え下さいとメールを送った。しかし、悲しいことに、野村先生はお亡くなりになられましたという返事が。さらに、執筆を予定している本の編集者さんから、父の本なんですとのお礼メールが。え~っ、そうやったんですか!さっさと読んでおくべきだったと後悔するしかなかった。そうしていたらお礼が間に合っただろうに。
刑務所の精神科医という仕事はかなりきつそうだ。あくまでもイメージでしかないが、薬物依存専門の精神科医も同じくらい大変そうだ。松本俊彦医師の『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』を読むと、そんな気がするはずだ。
松本医師がユニークなのは、覚醒剤はアルコールほど悪くないという確固たる信念である。そして、現状の覚醒剤対策は、覚醒剤依存症の患者に何をなすべきかが全く分かっていない、という結論だ。この本については以前にも紹介したことがあるので、詳しく知りたい人は【誰がために医師×仲野】で検索してそちらを読んでほしい。
刑務所も覚醒剤も、多くの人にとっては縁のないものだす。そやからというて、そこから学ぶことがないとはいえまへん。それどころか、縁がないからこそ学び取れることが多いというように発想を変えた方がよろしいで。それぞ読書の醍醐味やおまへんか。どちらもみすず書房の本なので、ちょいとお値段がはりますねんけど、それだけの価値はありますよってにぜひ。
3冊目はがらっと色合いをかえて『コブのない駱駝:きたやまおさむ「心」の軌跡』を紹介したい。かつて『帰って来たヨッパライ』なる奇天烈な歌でミリオンセラーを飛ばしたザ・フォーク・クルセダーズを知ってるのは、アラ還以上の人だけだろうか。そのメンバーのひとりだった北山修は、京都府立医科大学出身の精神科医である。作詞家として『あの素晴しい愛をもう一度』や『さらば恋人』など、数々の名曲を残している、といった方が通りがいいかもしれない。
そのような華々しいマスコミでの活躍から身を引き、精神科医としての修業を積み、九州大学の教授になる。人もうらやむ経歴としかいいようがない。しかし、その過程において、さまざまな葛藤があった。精神分析医だけあって、自らの心とはいえ、その解釈は極めて厳密で明瞭だ。いやぁ、人生って複雑で、そやからこそ面白いんやろうなぁ。いささか無責任ながら、そんな感慨を抱く一冊だ。
ということで、精神科医の本、とはいえ、色合いの違う3冊を紹介させてもらいました。またのご来店をお待ちしてまっせぇ。
今月の押し売り本 |
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仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2022年6月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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