記事・インタビュー

2020.06.12

Dr. Toshiのアジアで7年間外資系病院の臨床医として働いて分かったコト(7)

はじめまして。ベトナムはホーチミン市にあるRaffles Medical Groupで、総合診療医とBusiness Development Consultantを兼任して働いている中島 敏彦です。Business Developmentは日本でいうところの事業開発部にあたります。

まえがき

この記事を書いたのは日本がまだ“ビフォーコロナ”だった2019年末でした。”ウィズコロナ”の時代の始まりとともに、世界の在り様が日々大きく変わってきています。このような時代の中で、我々医療者のキャリア形成の在り方は大きく変わるでしょう。医師の働き方はどうなるのか? パラレルキャリアを持ったほうがよいのか? 医局に所属していたら生き残れるのか? 遠隔診療はどの程度普及するのか?

アフターコロナの時代に医療界がどうなっているのか、全く想像がつきません。もしかすると、何が起こるか分からない海外にわざわざ働きに行くことを考えること自体、正気の沙汰でなくなっているのかもしれません。

しかしこのウィルス恐慌の時代になるずっと以前から、海外の民間企業でキャリア形成していくには、常に周囲の状況やニーズに合わせて自分を最適化させることが求められていました。「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」ということです。おそらくこれからの日本でも、このようなスキルが必要になることでしょう。

この記事を読んでくださっている方々が、新しい時代の中で役立ちそうなアイディアを私の経験の中から見つけてくだされば幸いです。

外資系医療機関での働き方と海外でキャリアを形成 - ④

【外資系医療機関での働き方と海外でキャリアを形成 – 】で

  • クビにならないことを目指す
  • いつクビになってもいいように、次のキャリアを選べる状態にしておく
  • 職場で快適に過ごすためには交渉能力が必要

という3つのことをお伝えしました。

ここまでできるようになれば、組織内で臨床医としてキャリアアップすることも可能です。実際私も数度の交渉の結果、雇用条件が随分とよくなりました。しかしある一定以上のところから雇用条件は変わらなくなります。それは臨床医だからです。

条件をさらに高めるためには何をすればよいのでしょう? それには「新しいポジションを得る」という手があります。では新しいポジションを得るにはどうしたらいいのでしょう? 他のスタッフができないことをやる、つまり属人的な仕事を創り出すのです。私の場合は日本人ビジネスでした。

なぜ、日本人ビジネスが属人的になり得るかというと、【勤務先の探し方、外資の医療機関が求める人物像】でお伝えした以下の邦人診療における特性があります。

  • 日本語以外のコミュニケーションを好まない
  • 他の国からの労働者に比べ支払い能力が高い(良質な海外旅行傷害保険などを持っていることが多い)
  • 日本人は日本の医療が世界の中でトップレベルと考えているため(どんなレベルであれ)日本人医師を好む傾向がある

加えて私にはシンガポール、北京、ハノイ、ホーチミンの邦人社会での診療の経験があり、特にハノイとホーチミンでは日本人ビジネスを拡大させたという実績があります。

実は日本人ビジネスの形態はどこの国の邦人社会でもあまり変わりません。そしてそれぞれの邦人社会の発展度合いが異なるので、先進的な邦人社会を経験していると、そのタイムマシンモデルが他の邦人社会で適応できる部分もあります。

私はその経験を買われてRafflesのInternational DepartmentのJapan Business Development Consultant(日本ビジネス事業開発部のコンサルタント)に任命されました。日本人ビジネス専従のマネージャーがいるので私の業務は限定的ですが、とても楽しくやらせていただいています。

いま特に力を入れているのは日本の医療機関とのネットワーキングやリクルーティングです。そのため、日本で学会発表をしたり講演会をしてみたり、また論文を書いてみたりするのも業務の一環と考えて行っています。

このように臨床医とビジネスマンという二足の草鞋を経験できるのも、外資系組織に勤める醍醐味ではないかと思います。

それでは最後に【アジアで7年間外資系病院の臨床医として働いて分かったコト】でお伝えしたかったことをまとめます。

【一般的に必要な素養】

  • 海外で通用するスキルがある(専門職やライセンスでなくてもいいが、あるとよい。そのスキルが属人的ならばさらによい)
  • 英語ができる(英検やTOEICはなくてもいい)
  • 語学力とは別にコミュニケーションスキルがちゃんとある
  • キャラクターがナイスである(面接の時重要視される)
  • ロジカルに考え伝えることができる
  • 交渉することを恐れない。交渉するスキルがある
  • 明日クビになっても仕事をすぐに見つける実績と自信がある
  • 人脈がある(仕事上だけでなく次の職場見つけるにも重要)
  • 明日クビになっても仕事をすぐに見つける実績と自信がある
  • 今の職場を踏み台と捉えられるぐらい明確なキャリアプランをもっている
  • 職場にしがみつくよりも大事なものがあり、それを実行するための手段としてその職場・職種を選択している

【日本人だから有利なこと】

  • 日本の国力が保たれてる現時点では日本のマーケットはまだまだ魅力的なため、そこにアプローチができる
  • グローバル企業で活躍してる日本人プレイヤーはまだまだ少ないため、一旦先行者になってしまえばその後はかなりブルーオーシャン

【注意点】

  • 英語ができることといわゆるグローバルは別物
  • 応募時点で「これまでに海外で働いた経験や勉強した経験があるか」が求められるため、これを如何に作り出すかが重要。私はシンガポールの日系医療機関で1年働いてこの部分を作った
  • 面接に通るのは職歴がしっかりしていて(学歴に関しては東洋の島国のどこ大学を出てようが外国人にはよくわからない)コミュニケーション力があれば簡単に入職できる印象。ただし3~6ヶ月の試用期間で使えなければ(英語で”Fitしない”と言います)容赦なくクビにされるので、明日海外で無職になったらどうするか常に考えておく
  • 最初の就職先では不利な雇用条件を結ばされたりクビになることも珍しくないので、「2つめ、3つめの職場が本番だ」くらいに気楽に考えるとちょうどよい
  • 職場との関係が長期間してくると忠誠心も問われる

<プロフィール>

中島 敏彦(なかじま・としひこ)
病院総合診療認定医、産業医、泌尿器科専門医

1977年生まれ。秋田大学医学部卒業後、千葉大学泌尿器科、JCHO東京新宿メディカルセンター、静岡県立静岡がんセンターなどで10年間勤務。2013年よりシンガポールのNippon Medical Careで総合診療、熱帯医学、渡航医学などを学ぶ。その後は北京、ハノイでInternational SOSで邦人患者の治療に携わり、2017年からはRaffles Medical GroupのInternational Departmentに所属するホーチミンクリニックで日本人総合診療医/Business Development Consultantとして勤務。
また日本とベトナムの架け橋となるべく、ベトナムにある日系商社Clover plus co.,ltdのアドバイザーとして、日本の医療産業がベトナムに進出するための支援なども行っている。海外勤務歴7年。
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中島 敏彦

Dr. Toshiのアジアで7年間外資系病院の臨床医として働いて分かったコト(7)

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