記事・インタビュー

2020.03.02

研究で子どもを守る

日本有数の医療グループであるIMSグループの会長 中村 哲也氏は、国際的な医療事業などの支援を目的として、2019年7月16日に公益財団法人中村哲也記念財団を発足させた。その活動の第1弾として、英国オックスフォード大学における発達再生医学研究所(Institute of Developmental a nd Regenerative Medicine、以下、IDRM)設立への支援を決定した。

これを記念し、同研究所の施設長に就任したオックスフォード大学医学部 小児科主任教授 ジョージ・ホーランダー氏が2020年1月10日、板橋中央総合病院(以下、板中)を訪れた。この時に行われた同院院長の加藤 良太朗氏と同副院長でIMSグループ小児科統括部長を兼任する髙橋 昌里氏との鼎談を取材してきたので報告する。

<鼎談者>
ジョージ・ホーランダー(オックスフォード大学医学部小児科主任教授/IDRM所長)
髙橋 昌里(板橋中央総合病院副院長/IMSグループ小児科統括部長)
加藤 良太朗(板橋中央総合病院院長)

ホーランダー氏率いる3つの研究

加藤:はじめに、ホーランダー先生のご経歴を紹介いただけますでしょうか。

ホーランダー:私はスイス出身で、バーゼル大学医学部を卒業後、小児科を専攻している途中から米国ハーバード大学医学部へ移り、合計8年の小児科研修を行いました。その後スイスに戻り、1998年から2010年までの12年間、バーゼル大学小児科の研究室に勤務し、2010年から英国オックスフォード大学に来ました。オックスフォードでは主に研究の基盤づくりに従事していますが、これは私の仕事の半分で、残り半分は、スイスのボトナー小児保健研究センターの所長として、発展途上国の医療を支援しています。

加藤:「研究の基盤づくり」とは、具体的にはどのようなことをなさっているのでしょう?

ホーランダー:現在は3つの研究プロジェクトを指揮しています。
一つ目は、南アメリカでスマートフォン(以下、スマホ)のアプリを用いて、若い親が子どもの発達障害を早期発見できるように支援するプロジェクトです。
二つ目は、従来は3回に分けて行う口蓋裂の手術を、スマホと3Dプリンターを駆使して1回で終えるようにするプロジェクトです。口蓋裂の手術は全身麻酔下で行うため、相当のリスクを伴います。手術を1回で終えることができれば大変なメリットになります。こちらはインドなどで応用していく予定です。
三つ目は、カプセル内視鏡のようにカプセルに入った大腸菌を飲み込むことで、腸内常在菌のプロファイルを評価するプロジェクトです。これはCRISPR(ゲノム編集技術)を応用しています。腸疾患によって、常在菌の分布が異なるため、非常に有用な情報です。

加藤:すごいですね。これが仕事の半分だけだとは、大変なことですね。

ホーランダー:でも、私自身が実際に行っているわけではありませんから(笑)。私は、これらのプロジェクトをサポートしているだけです。

ヨーロッパの小児医療と就業状況

加藤:今回は当院の髙橋 昌里先生にも参加いただいております。髙橋先生は小児腎臓病学が専門で、一昨年(2018年)まで日本大学医学部小児科の主任教授を、そして2016年まで日本小児腎臓病学会の理事長も務めておられました。

髙橋:よろしくお願いいたします。

ホーランダー:日本の小児腎臓病学会には何名ほどの会員がいるのでしょうか?

髙橋:およそ1300名の会員がいます。活発な学会で、韓国や中国とも共同で学術会議を主催しておりました。

ホーランダー:日本では小児科は人気がありますか?

髙橋:難しい質問ですね(笑)。日本の出生率は1.4と低く、子どもの数は減少しているのですが、小児科医の数は微増しています。ただ、都心では移住してくる家族も多く、子どもの数は減っていないので、東京都心部の小児科医はまだ充足していないと認識しています。

ホーランダー:日本の小児医療は誰が担っているのですか?例えばスイスでは、私の娘が病気になったら、私はまず小児科に連れて行きます。英国ですと、まずジェネラル・プラクティショナー(以下、GP)に連れて行かないといけません。GPが必要と判断して、はじめて小児科医にかかれるのです。英国ではGPのステータスが非常に高い。医療経済と同じベクトルを向いているからでしょう。一方、スイスはGDPの30.5%を医療に費やしていますから、それが17%である米国や、 12%に抑えている日本とは大分異なります。

髙橋:日本では両方ですね。子どもが病気になると、かかりつけ医か小児科医に診てもらうことになりますが、実際は小児科医に診てもらうことの方が多い印象です。

加藤:かかりつけ医の定義にもよりますが、小児を診るというのは大変ですよね。私は総合内科医ですが、内科のトレーニングを受けたからといって、小児のことは全く分かりません。小児と成人は連続性があるものではなく、全く別物のようです。

ホーランダー:おっしゃるとおりです。子どもは「小さい大人」ではないですからね。

加藤:しかも、小児科医は小児に限定されるとはいえ、あらゆる疾患を診ないといけません。スイスでは小児科にも総合小児科医というものがあるのでしょうか?

ホーランダー:小児科にもサブスペシャリストはいますが、すべての小児科医は総合的に診ることができるというのが前提です。例えば、スイスで小児科医になるためには8年間の研修が必要となります。小児科のサブスペシャリストになるためには合計12年間の研修が必要です。これが長すぎるという声もあります。たしか米国では最短4年半で小児科のサブスペシャリストにまでなれてしまいます。しかし、これで小児科全般を診ることのできる小児科医が育つとは私は思いません。

加藤:日本では研修期間が長くなると女性医師に不利だという声がありますが、スイスではいかがですか?

ホーランダー:英国でもスイスでも、小児科医は圧倒的に女性が多いです。日本では小児科医の男女比はどの位ですか?

髙橋:日本では34%が女性ですが、増加傾向にあります。私が以前いた日本大学では40%前後でした。

加藤:でも、日本の医師全体における女性の割合は21%ですから、小児科では女性医師の割合が比較的多い方ですよね。

ホーランダー:日本では女性医師の割合がそんなに低いのですね。英国やスイスでは、医師全体に占める女性の割合は4割程度ですが、小児科では7割近くが女性です。

加藤:それはなぜだと思われますか?

ホーランダー:一つには時間の融通が利きやすいことだと思います。小児科ではシフト制をうまく利用しています。ただ、小児科を選ぶ医師のタイプは変わってきているように感じます。昔は、聴診器に動物の飾りをつけているような、子どもと接することが好きな医師が選んでいたと思いますが、最近は、発生学や遺伝学に興味を持つ、研究マインドの高い医師が選ぶ傾向があります。

加藤:日本では現在、働き方改革が騒がれています。5年後には医療界も労働時間制限を導入しないといけません。スイスや英国ではどうですか?

ホーランダー:ヨーロッパ(EU)では、研修医には週55時間の労働時間制限がありますが、指導医には制限がありません。昔は労働時間が長いことが美徳のようになっていたので、文化はだいぶ変わりました。ただ、小児科領域でも、外科、ICU、NICUなどでは労働時間制限の導入に苦戦しています。

加藤:それについては、どのような対策をとっているのでしょう?

ホーランダー:例えば、ナース・プラクティショナー(NP)を導入するなどして対応しています。ただ、スイスではまだ始まったばかりで、英国ではもう少し根付いていますが、米国とは比較になりません。

新たな周産期・小児科センター構想について

髙橋:当院では今年(2020年)4月に新しい小児病棟をオープンします。また、数年後に控えた新病院建設の際には、新たに周産期・小児科センターを発足させる予定です。このセンターでは、女性の妊娠から出産まで、そして子どもは新生児から思春期までを診られる施設にする予定です。

ホーランダー:私もスイスで小児病院の建設に携わったことがありますので大変興味を持っています。新病院建設はいつ頃を予定しているのでしょうか?

髙橋:今は東京オリンピックで建設費が高騰しているため、具体的な話はオリンピック後から進むと思います。

ホーランダー:確かに英国でもロンドンオリンピックが終わるまで建設は何も進みませんでしたね。でもなぜ今、新たな周産期・小児科センターを設立する必要があるのですか?

髙橋:都内でも小児医療がまだ十分ではないことは先ほど述べましたが、私は更に包括的な小児医療体制をこの地域で計画的に創りたいと考えています。この地域には二つの大きな大学病院があり、多くのクリニックもあります。それに伴い小児医療におけるステークホルダーは多いのですが、残念ながらそれぞれ独立しているのが現状です。
板中の周産期・小児科センターは、それらの施設を含めたコンソーシアムのハブとして、地域の小児医療を担っていきたいと考えています。つまり、前方では医師会に代表される開業医の先生方と、後方では日本大学や帝京大学といった大学病院とシームレスな連携をする。この地域における小児医療の紐帯となるようなセンターを想定しています。

ホーランダー:本当に素晴らしいですね。このような統合された医療システムの構築は、実にエキサイティングだと思います。私はスイス、米国、英国と三ヶ国で小児科医として勤務した経験がありますが、大学と民間の統合というのは簡単なことではありません。板中での成功を心から期待しています。

加藤:周産期・小児科センター設立に先立って、今年の4月に小児科病棟はオープンしますよね。

静岡県立こども病院にて

髙橋:はい。この病棟は19床でスタートします。これから病棟工事が始まりますが、私は子どもたちが入院したくなるような病棟にしたいと思っています。また周産期・小児科センターではファシリティードッグの導入なども考えています。

静岡県立こども病院にて

ホーランダー:大変モダンなコンセプトですね。英国にはファシリティードッグはいませんが、私の小児病棟では毎週、ピエロが来て子どもたちを笑わせます。あと大切なのは「教育」ではないでしょうか。小児患者の場合、入院中にも就学させる必要があります。私たちは学習用のDVDなども病棟で用意しています。

髙橋:私たちもiPadなどを提供したいと考えています。とにかく患者および家族中心の病棟にしたいのです。また、保護者が泊まれるようにも工夫しています。

ホーランダー:小児科外来は既にあるのですか?

髙橋:はい。小児科外来は既にありますが、名称を「小児保健センター」に変更する予定です。急性期だけでなく、予防医療も含めて小児保健全般に注力したいのです。

ホーランダー:先ほど教育のお話がありましたが、構想の中には、小児科医の教育も含まれているのでしょうか?

髙橋:はい。当院には初期研修医が24名おりますし、小児科の専門研修施設としても申請する予定です。そうなると、小児科の専攻医もローテートしてくることになります。

加藤:当院は既に総合診療の研修施設にもなっております。総合診療専攻医の教育もお願いするつもりです。

ホーランダー:生涯教育はどうでしょう? 実は、前線で働く開業医たちこそが、最も教育を必要としているにも関わらず最も忙しい集団であり、なかなか教育を受ける機会がありません。ヨーロッパでもこれはテーマの一つです。年に数回の学会に出るだけでは不十分です。もし板中が組むコンソーシアムの中で教育もコーディネートできれば素晴らしいですね。

髙橋:確かに、質の高い講義やワークショップを提供できれば、人的交流も生まれ、診療上の連携も改善するでしょうしね。教育はマーケティングでもありますね。日本大学小児科では13の関連病院をwebで結んで毎週行う双方向性のカンファレンスを立ち上げました。コンソーシアムの教育や情報共有のヒントになるかも知れません。

これからは研究で小児を守る時代

加藤:当院は小児科に限らず患者数が多いため、臨床経験は十分に積めます。当然、膨大なデータもあるのですが、それらを分析するといった研究は全く行っておりません。そもそも「研究よりも臨床だ」と大学を離れた医師が多いので、ある程度は仕方がないのですが、データを放置するのももったいないと思っています。何かアドバイスはありますか?

ホーランダー:これは非常に大事な点です。これからは情報、つまりデータを持っているところが必ず優位になります。そこにこそ「未来」があるからです。この件は、おそらくオックスフォード大学と連携すべき領域だと思います。
例えば、私の病院では現在、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの患者さんを集めています。これらの患者さんは症例が多くないため、データも少ない。これまで、「小児を研究から守らなくてはならない」という考え方が倫理の主流でした。ところがその結果、小児医療に関するデータが極めて少なく、十分な医療を提供できなくなってしまった。子どもに処方する薬剤など、安全性や有効性に関するデータがないものばかりです。このことの方が問題です。これからは「研究で小児を守る」という考え方が主流になるべきです。そして板中やIMSのように患者さんが集まる施設、特に構想にある周産期・小児科センターでは、積極的にデータを集めるべきです。例えばアクティグラフというものは日本にありますか?

髙橋:聞いたことはあります。フィットビットのようなものですよね。

ホーランダー:そうです。アクティグラフという腕時計型のモニターをつけておけば、バイタルサインや睡眠パターンなど、多彩なデータを得ることができます。ぜひ検討いただきたいと思います。

加藤:最後に、これから小児科医を目指す、あるいは既に小児科医になっている若手に向けて、メッセージをいただけますか?

ホーランダー:先ほども申しましたが、小児は「小さな大人」ではありません。小児には驚異的な可塑性があり、私は常に魅了されます。医学は素晴らしい分野ですが、小児科では、神経、循環器、呼吸器、消化管、腎臓など、あらゆる臓器を、小さいですが、包括的に診ることができるという良さがあります。ダイナミックに連動する複数の臓器を目の当たりにできるのは本当に素晴らしいことです。また、小児科医は子どもと親の両方を診る必要があります。大変な仕事ではありますが、親子関係、家族全体を診るというのは、他の診療科にはない大事な役割です。
最後に、私から小児科医として一つだけアドバイスをさせてください。小児科医は絶対に嘘をついてはいけません。よく「痛くないから」といって注射をする人がいますよね。あれは子どもに絶対にしてはいけません。実際は痛いですし、嘘をついたことになります。子どもはそれを一生忘れません。

加藤:その辺には可塑性はないのですね(笑)。ホーランダー先生、髙橋先生、本日は本当にありがとうございました。

ジョージ・ホーランダー、髙橋 昌里、加藤 良太朗

研究で子どもを守る

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