記事・インタビュー

2024.01.18

【Doctor’s Opinion】臨床研修病院群プロジェクト 群星(むりぶし)沖縄が問いかけたこと

臨床研修病院群プロジェクト群星沖縄 名誉センター長

宮城 征四郎

2002年、沖縄県立中部病院院長であった私は県下の弟子たちからの要請を受け、2004年からスタートする卒後臨床研修必修化対応に取り組むべく、民間教育病院アライアンスへ軸足を移すことを決意し、定年を待たないで中部病院を退職し、プロジェクトリーダー兼研修センター長に就任した。

中部病院の卒後臨床研修は歴史があり、中部病院で私が伝えるべきことは全て後進に伝え、今後は経験の浅い民間プロジェクトで陣頭指揮を執ることが社会貢献になると考えたからだ。

発足当初は4基幹型病院を中心に協力型病院、協力施設の理事長・院長・研修委員長が定期的に集い、多数の医療機関が参加する「臨床研修病院群プロジェクト群むりぶし 星沖縄臨床研修センター」構想の発足趣意書を作り上げ、多くのマスメディアが「日本で前例のない医学教育プロジェクトが沖縄で始動」などと報じた。

新プロジェクトの準備段階にもかかわらず、全国の医学生、関係者より問い合わせが殺到したことから、急きょ専任事務局長を配置し対応を行った。

新プロジェクトを成功させるためには、病院群に参加する全職員の力の結集が大事であることから、ラグナガーデンホテルの大広間を貸切って「卒後臨床教育大講演会」と銘打ち、厚労省医師臨床研修検討部会委員の仲間である黒川清先生(東京大学名誉教授)に記念講演を行っていただいた。その際、黒川先生は壇上から次のような趣旨を述べられた。

「群星沖縄はコンセプトがユニークで、これからの時代を先取りした取り組み」かつ、「宮城先生をはじめ関係者の熱意も素晴らしい……」と評価したうえで、(「日本の医療風土」をふまえて)群星沖縄は「流れ星にならねばいいが……」との懸念をつぶやいた。

黒川先生の「流れ星発言」は、群星関係者の中でまたたく間に話題になった。結果として、黒川先生の発言は頑張る気持ちを引き出すような効果があり、それはみんなのやる気に火を付けた。

私が最も腐心したのは、卒後研修必修化のキーマンである「指導医」の教育者としての心構えであり、指導医相手に「研修医への臨床教育の実際」(ベッドサイド教育も含めて)に参加してもらう中で、研修医にとっての良き指導医の役割について徹底的に教えた。

FD(Faculty Development) を私、宮城を先頭に中部病院現役指導医、前任指導医に講師をお願いし、指導医としての意識高揚と勉強を支援し、ほぼ毎月指導医集団で集まり、交流を図った。

また、当時、ピッツバーグ大学医学部で教員をされていた赤津晴子先生にお願いして、「群星沖縄米国医学教育視察プロジェクト」を立ち上げ、1回あたり4~5人の少人数グールプで指導医視察派遣団を組織し、私が第1回視察団の団長を務め、合計11回に亘り米国に視察団を派遣した。

医学教育が何たるかをそこで直に見て感じた指導医の多くは現在、病院長や研修委員長となり、臨床研修事業のキーマンとして活躍している。

2003年、日本初の臨床研修マッチング対策については、私を先頭に医学生と面談し、精力的に群星沖縄のコンセプトを訴えた。

仲間の力の結集のおかげで、実績ゼロからのスタートだったプロジェクトに対してフルマッチしたことは快挙であり、それほどこのプロジェクトに対する若者の期待を強く感じた。実にマッチ者の7割は沖縄県外から志願し、男性は体力に自信がある体育会系医学生が多く、女性は明るくて活発な医学生が沖縄に集結した。

記念すべき第1期生の合同新研修医オリエンテーション「新研修医と指導医の大交流会」はラグナガーデンホテルで行われ、「沖縄メディカルオーケストラ」の演奏により幕開けし、参加病院後期研修医、看護師、薬剤師など多職種で編成された「青年エイサー」の躍動する舞いで歓迎し、締めは全新研修医が舞台に上がり沖縄の宴席では欠かせない「カチャーシー」で乱舞し閉宴した。

2023年度現在の群星沖縄研修医公募定員は73名(8病院合計)で、志願者の多くは全国各地の大学より参加する傾向には変わりはなく、第1期生から第20期生まで合計1218名の研修医を受け入れている。(たすきがけ研修医を除く)

プロジェクト発足当初より海外医学教育との交流に取り組み、ピッツバーグ大学、スタンフォード大学を経て現在はミシガン大学との双方向交流が盛んだ。

発足当初より支えてくださっている黒川清先生、赤津晴子先生、寺澤秀一先生(ER教育担当指導医)、岸本暢将先生(プレゼンテーション担当指導医)に誌面を借りて感謝を申し上げたい。

2017年度より徳田安春先生(総合内科)が沖縄に呼び戻され、プロジェクトリーダーおよびセンター長を引き継いだ。私は名誉センター長として群星沖縄の活動を見守り、引き続きサポートしている。

人生に第2章があるとしたら、生まれ変われるのなら、また指導医として研修医と共に臨床を学び、社会貢献できる医師人生を送ることを念じている。

宮城 征四郎 みやぎ・せいしろう

1964年新潟大学卒業。1969年京都大学大学院博士課程修了。1970年コペンハーゲン大学にWHOフェロー、1974年コロラド州立大学総合病院に留学。1972年沖縄県立中部病院に勤務、1996年同院病院長に就任。2003年群星沖縄臨床研修センター長、2017年より現職。「ドクターの肖像」2000年9月号に登場。2011年「Dr.宮城のクリニカルパールズ」のモデルに。

※ドクターズマガジン2024年1月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

宮城 征四郎

【Doctor’s Opinion】臨床研修病院群プロジェクト 群星(むりぶし)沖縄が問いかけたこと

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