記事・インタビュー
国立大学法人 東京医科歯科大学 副学長
学術顧問
高等研究院 特別栄誉教授
渡辺 守
難病とは、難病法で「発病の機構(原因)が明らかでないこと、治療方法が確立していない希少な疾病、当該疾病にかかることにより長期にわたり療養を必要とすること」と定義されている。難病の症状によっては長期間、高度の治療を続ける必要があり、治療にかかる医療費の負担が大きくなることもあり、医療費の負担を軽減するために定められたのが現在338ある「指定難病」である。指定難病は患者数の少ない疾病が多数ある事が特徴であるが、消化器系疾患(潰瘍性大腸炎、クローン病など)、神経・筋疾患(パーキンソン病関連疾患など)、自己免疫疾患(全身性エリテマトーデスなど)など患者数が多いものがある。
指定難病の中でも、最も患者数が多いのが、私が専門とする潰瘍性大腸炎であり、推定約22万人とされ、何と40年前の100倍、30年前の10倍に増加している。クローン病と合わせた炎症性腸疾患の患者数は30万人を超えている。
この20年、日本における炎症性腸疾患を含めた難病が注目されてきたのは、治療薬の劇的な進歩であり、それに伴う治療目標の劇的な変化である。その変化をもたらしたのは、たった一つの薬剤、抗TNF-α抗体製剤である。免疫に関わる病態に対して、過剰な免疫応答を起こすサイトカインであるTNF-αを抑える薬剤が炎症性腸疾患、関節リウマチ、乾癬などに劇的な治療効果をもたらし、幾つかの指定難病に使われるようになった。
この薬剤は製薬業界にも大きな変化をもたらす事になる。例えば世界医薬品売上高ランキングをみるとその劇的な変化が見て取れる。2006年のランキング上位に並ぶのは高脂血症、喘息、脳梗塞、高血圧など患者数が圧倒的に多い疾患の薬が主体であった。ところが、わずか10年後の2016年のランキング上位に並ぶのは抗TNF-α抗体を含む、免疫疾患やがんに対する2種類の抗体製剤である。中でも、1つの抗TNF-α抗体は長く1位であった高脂血症の薬に代わり、2012年から9年連続で世界医薬品売り上げナンバーワンのブロックバスター医薬品になった。すなわち、これまでの患者数を考えた製薬業界の方針が一気に変わり、たとえ患者数が少なくても需要がある高額な医薬品、抗体製剤の製造に傾いていったのである。
抗体製剤は炎症性腸疾患患者に大変な福音をもたらした。その一方で、潰瘍性大腸炎、クローン病が共に指定難病のため、抗TNF-α抗体をはじめ、その後の抗体製剤の医療費の患者負担が少なくてすむこともあり、日本は炎症性腸疾患に対して、使用割合でみると、世界で最も抗体製剤が多用される国になった。抗体製剤使用により、国が負担する医療費がこれまで以上にかかるようになり、世界中で費用対効果も論議になりつつあるが、日本でも考える時期が来ている。
もう一つの変化は治療目標の劇的な変化により生まれた。目の前の症状を治すことのみを考えていた時代から、患者の長期経過を考えて治療する時代となった。従って、多くの患者に早期に抗体製剤が使用され、また良い状態が続いても再燃防止に深い寛解維持をするようになった結果、炎症性腸疾患で増悪する患者が劇的に少なくなったのである。結果として二つのことが生まれた。一つは新しい薬剤の臨床試験に参加する再燃した患者が少なくなり、試験が進みにくくなったことである。この10年で2回、炎症性腸疾患専門医、PMDA(医薬品医療機器総合機構)、製薬企業の3者によるワークショップが開かれたのもそれを勘案した流れである。一方で、高い効果の抗体製剤使用の実績もあり、日本の臨床試験の質の高さが海外で評価され、新薬の多くが日本を含む国際多施設共同臨床試験になった。炎症性腸疾患の新薬はドラッグ・ラグがなくなる時代に入ったのである。例えば、最近出た新薬は欧州に次ぎ、米国よりも先に日本で承認されるという、これまで考えられなかった時代に突入している。
日本の難病でも比較的患者数の多い難病ではこのような新しい変化が続いている。希少な難病においても世界を視野に入れた変化が起きているに違いない。その際には炎症性腸疾患で実現した、「専門医、PMDA、製薬企業、厚生労働省が一体となった真のALL JAPAN 体制での変化」が起きることを強く期待する。
渡辺 守 わたなべ・まもる
1979年慶應義塾大学卒業。ハーバード大学留学、慶應がんセンター診療部長を経て、2000年東京医科歯科大学大学院消化器病態学・消化器内科教授。2017年理事・副学長。2019年高等研究院特別栄誉教授。2021年より現職。2003~2017年厚生労働省3つの炎症性腸疾患の難病研究班班長。日本炎症性腸疾患学会前理事長。2015年4月号「ドクターの肖像」に登場。
※ドクターズマガジン2022年8月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
渡辺 守
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