記事・インタビュー

2019.01.15

山あり谷あり谷底あり! ドイツ留学(1)

ドイツはノルトライン=ウェストファーレン州にあるボン大学で循環器内科のフェローとして働いている杉浦 淳史です。
この記事では、日本生まれ日本育ちの循環器内科がドイツでの研究・臨床留学の中で経験するさまざまな困難・葛藤・喜びを、ありのままにお伝えします。

ボン大学

留学を目指すようになるまで

2008年医学部を卒業後、初期研修を千葉大学病院で始めた僕は、すぐに循環器内科の面白さに取りつかれました。超音波を使って迅速かつ正確に診断し、静注薬や臓器補助装置、そしてカテーテル治療を施すことにより、患者の状態が劇的に改善するのを目の当たりにしたからです。

そんな僕が留学を意識するようになったのは医師になって4、5年目、ちょうど榊原記念病院で循環器内科専修医として働いていた時です。以前一緒に働いていた先輩医師たちが臨床留学から戻っては活躍する姿を見て、単純な僕は「ああ、留学すればああやって活躍できるんだな」と、安易な気持ちで眺めていました。でも当時は具体的な行動はおろか、「良さそうな留学先を見つけられたら交渉してみよう」くらいの甘い考えしかありませんでした。

転機は2015年、医師7年目の忘年会でした。ちょうどドイツのボン大学での留学から戻られた先輩に、「留学するの? しないの? 2年後くらいに行こうと思うなら、もう動かないと。行くなら知り合いの施設に見学できるか聞いてみるけど、どうする?」と言われたのです。

俗に言う「扉」を感じました。不意に気持ちを問われ、思わず「英語は大丈夫かな? コミュニケーションとれるかな?」などと不安が頭をよぎりましたが、すぐさま「行きます!」と答え、その場で覚悟を決めたことをよく覚えています。

留学先選びと病院見学

滞在先のドイツ

心を決めてからは、まず英語の勉強に取り組みました。なぜなら留学先との交渉に必須だと思ったからです。そして、当時盛り上がりをみせていた「弁膜症カテーテル治療」を学ぼうと、以前学会で連絡先を交換していた病院にメールを送ってみました。が、返事はなしのつぶて。また、先輩から紹介してもらった病院へ見学に行き、留学の交渉を試みたものの「今はフェローは取っていない」と言われ、その後はメールの返信もありませんでした。

そうこうしていた矢先、都内のある病院で行われたTAVI(経カテーテル大動脈弁置換術)の見学で、プロクターとして来日していた今のBossに出会いました。千載一遇のチャンスに、僕は不器用な英語を駆使して手技治療の質問をしながら、ドイツの先進的な医療に興味があることを伝えました。その後もメールでやり取りを続け、晴れて再び、ドイツに病院見学の機会を得ました。その時、Bossが半袖短パン姿で駅に車で迎えに来てくれたことは、今もよく覚えています。夜にはレストランでの食事にも招いてくれました。

滞在中、Bossはドイツでの臨床留学しか頭にない僕に、ドイツ語習得の必要性と難しさ、そして何より子連れ(3人!)での海外生活の大変さ何度も説いてくれました。今にして思えば。(笑)

しかし生来楽観的で猪突猛進、かつ英語の理解力が十分でなかった僕は、「あなたのところで働きたい、クリニカルフェローとして働きたい」とひたすらに熱意を伝え続けました。そしてBossの「それならば、ドイツ語を勉強してくることを勧めるよ」という返事にこぎつけ、その週末(2016年10月)からドイツ語の語学学校に通う生活を始めました。

ただ、ヨーロッパは各地でテロ事件が頻発し、家族や親戚は大反対。友人や先輩からは「今の時代、留学しなくても最新の情報は手に入る」と言われたりもしました。

意外と大変な留学準備(語学、奨学金、家族の移動の準備)

ドイツへ入国

それから6ヶ月後の2017年4月、Goethe Institutが主催するA2の試験に何とか合格しました。しかし、僕が留学を目指すノルトライン=ウェストファーレン州では、医療行為を行うのに必要な語学レベルはC1(6段階の上から2番目)。ここでようやく「これは大変だ!」と気づき、まずリサーチフェローとして働きながらドイツ語を学び、それからクリニカルフェローを目指すことに方向修正しました。さらにBossから「日本の奨学金を受けてきなさい」との助言を受け、Invitation letterを書いてもらい、奨学金の応募を始めました。

この時問題になったのは、「主著者として書いた論文数の少なさ」です。当時、原著論文2本と症例報告1本しか持っていなかった僕は、ここでも大きくつまづくことになりました。その他にも、さまざまな書類手続き、住居や子供の学校の手続き、外務省・厚生労働省や警察署での手続きなど、留学3ヶ月前からは常にあたふたしていた気がします。

それでも、多くの方に支えられながらあの手この手で何とか乗り越え、兎にも角にも2018年3月31日、フランクフルト空港に降り立つことができました。

※Approbation(ドイツでの医師活動許可)に必要なステップは各州で異なります。
Nordrhein-Westfalen州は、「一般ドイツ語のB2証明書」が申請に必要で、その後「医療ドイツ語のC1レベル」があることをドイツ医師会が主催する試験(患者問診、カルテ記載、上級医への上申とディスカッション)で示すことが必要になるようです。
詳しくはドイツ大使館までお問い合わせください。

<プロフィール>

杉浦 淳史

杉浦 淳史(すぎうら・あつし)
ボン大学病院
循環器内科 指導上級医(Oberarzt)

1983年千葉生まれ。2008年福井大学医学部卒業。
論文が書けるインテリ系でもないのに「ビッグになるなら留学だ!」と、2018年4月からドイツのボン大学にリサーチフェローとして飛び込んだ、既婚3児の父。

杉浦 淳史

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