記事・インタビュー

2025.05.08

<押し売り書店>仲野堂 #39

仲野先生

大阪大学名誉教授
仲野 徹

松浦 壮(著)/日本能率協会マネジメントセンター発行
志賀 浩二(著)/岩波書店発行
アンリ・エレンベルガー(著)、木村敏(監訳)、中井久夫(監訳)/弘文堂発行

今回はちょっとかわった読書体験のススメ。まずは量子力学から。どや、まいったか! 別にまいってもらわなくてもええんですけど、量子コンピューターの記事なんかがよく新聞に出るし、ここらでしっかりと勉強してこましたろかという出来心を抱いたのであります。「初学の編集者がわかるまで書き直した」と「基本の数理から現実の物理まで一歩一歩」といううたい文句に惹かれて読んだのが『基礎から鍛える量子力学』である。確かに一歩一歩ではあった。しかし、「初学の編集者」は相当に優れた頭脳の持ち主に違いない。たくさんの本を読んできたが、これほど苦労した記憶はない。そんな本を薦めるな! と言われるかもしれんが、まぁちょっと落ち着いてください。苦労と同時に、これほど素晴らしい読書経験も過去に記憶がないんですから。

確かに知識がゼロからでも理解できるように書いてある。速度・加速度の定義から、微分・積分へとステップワイズに論が進められていく。最初の方はそうでもないのだが、全14章のうち第5章のベクトル空間や第6章の線形演算子あたりからがぜん難しくなってくる。一歩一歩ということは、そこまでのことがわかっていなければ、先には進めないということでもある。文字通り、三歩進んで二歩下がる、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」の歌詞みたいに。と言いたいところだが、マーチのように速くも勇ましくもない。のろのろとほふく前進のごとく進んでいった。

毎日かなりの時間をかけて苦節2週間、ようやく読了。爽快だった。量子力学の入門書を何冊も読んだことがあったが、理解の次元が全く違う。難攻にして不落と思っていたシュレーディンガー方程式も一応ではあるがわかった(ような気がした)し。えらそうに言わせてもらうと、数学をきちんと押さえておかないと、量子力学の本質は絶対にわからないのである。

勇気凜々、元気はつらつ、意気揚々。読み終えたとき、どんな本でも読めるのではないかと妙な自信が湧いてきた。とてもじゃないが量子力学を理解したなどと言えるレベルではない。が、何だか新しい一歩を踏み出せたような気がしたのだ。

2冊目は、といっても全6巻もあるのだが、『数学が育っていく物語』を。第1週から第6週まで、毎日コツコツ勉強すると、微分・積分からフーリエ解析、微分幾何やトポロジーまでを学べるという構成になっている。高校2、3年生程度の知識が必要とされているが、ほとんどゼロの状態から高度な内容まで、これもあくまでも一応、ではあるけれど、理解が可能になる。再びえらそうだが、数学という学問がいかに美しいかを垣間見ることができた。ずいぶん前に読んだので記憶は定かでないが、量子力学の本よりはかなり易しかったはず。

これまでに読んだ中でいちばん長かった本は『無意識の発見ー 力動精神医学発達史』、上下二巻。箱入りハードカバーで、上下とも2段組みの450ページあまりという大冊だ。1980年の出版でいまだに販売され続けているのだから名著なのだろう。手に取ったのは、ユング心理学の河合隼雄が定年退官にあたり出版した『心理療法序説』(現在は岩波文庫)をきっかけに心理系の本を読みふけっていた頃。よくこれだけ大部な本を読み切れたと思うが、心理学にどっぷり漬かっていたタイミングだったからこそだろう。

どんな分野の本でも、関連する内容の本を5~6冊も読めば、間違いなくそれなりの知識を身に付けることができる。一時は経済学の本ばかり読んでいたこともある。どのみち細かいことは忘れてしまうのだけれど、何かが残る。こういった読書体験をしておくと、人生は間違いなく豊かになる。

ちょうど半世紀前、大学に入学したときに読書案内のパンフレットが配布された。そこにあった中から、オペロン説でノーベル賞を受賞したジャック・モノ-の『偶然と必然』(みすず書房)と高木貞治の『解析概論』(岩波書店)を購入したが、全く歯が立たなかった。けれど、大事に本棚の目立つ場所に飾っておいた。積読ならぬ飾読(「かざりよみ」??)である。20年たったころ、『偶然と必然』はさくさくと読めて驚いた。『基礎から鍛える量子力学』で自信をつけた今、ホコリまみれの『解析概論』を引っ張り出してきたところだ。さて、結果やいかに。

いつもと違って、今回の三冊はあんまり読んでもらえなさそうな気がしますな。けど、何でもええからチャレンジングな読書をされたらどうでしょうという提案は悪くおませんやろ。ほな。

今月の押し売り本

初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩
初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩
松浦 壮(著)/日本能率協会マネジメントセンター発行
価格:2,970円(税込)
発刊:2024/8/27
Amazon

今月の押し売り本

数学が育っていく物語
数学が育っていく物語
志賀 浩二(著)/岩波書店発行
価格:3,080円(税込)
発刊:2018/9/11
Amazon

今月の押し売り本

無意識の発見 上- 力動精神医学発達史
無意識の発見 上- 力動精神医学発達史
アンリ・エレンベルガー(著)、木村敏(監訳)、中井久夫(監訳)/弘文堂発行
価格:6,160円(税込)
発刊:1980/6/30
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仲野 徹

隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。

※ドクターズマガジン2025年4月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

仲野 徹

<押し売り書店>仲野堂 #39

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