記事・インタビュー

2024.10.21

【Doctor’s Opinion】難聴と認知症 ~日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会の取り組み~

日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会 前理事長

村上 信五

本年5月厚生労働省は認知症患者が2040年に584万人に達し、高齢者の7人に1人が認知症になるとの推計結果を発表した。また、認知症予備軍である軽度認知障害(MCI)患者も613万人になるという。人生100年時代がうたわれる一方で90歳を越えると6割以上が認知症という現状を手放しでは喜べない。認知症は長寿という光の影で、生活環境や医療の進歩で生命は肉体的に延伸したものの脳機能が追い付いていない。

さて、「難聴と認知症」と言ってもピンとこないと思うが、2017年に国際アルツハイマー病協会国際会議において認知症発症の最大のリスク因子が難聴(予防可能な因子40%のうち9%)であることをランセット誌に報告した。それを契機に世界で注目されるようになり、2024年に7%に下方修正されたものの高血圧や肥満、糖尿病、喫煙、うつ病、社会的孤立、運動不足、教育をしのぎ最大のリスク因子になっている(Livingston G et al., Lancet 2020)。ではなぜ、難聴が認知症のリスクになるのか。それは直接認知症を発症させるのではなく、難聴により脳への音声入力が減少することで、思考や理解、判断、記憶などが低下し、脳が萎縮するというもので、事実、難聴者では記憶力や認知機能の低下、脳容積の減少が報告されている。また、会話によるコミュニケーションが障害され、社会的孤立やうつ状態に陥り、これらの悪循環が認知症を助長するカスケードとして考えられている。一人暮らしの高齢者に認知症が多いという事実も納得できる。

認知症にはアルツハイマー型、血管性、レビー小体型、前頭側頭型があるが、最も頻度の高いアルツハイマー型認知症はアミロイドβの脳への沈着が原因で、異常タンパクを除去することが根本治療と考えられている。しかし、抗認知症薬であるアリセプトは脳のアセチルコリンを増加させる効果しかなく、期待されたレカネマブも脳内に沈着したアミロイドβを除去する効果があるとはいえ、実際の効果は症状悪化を27%抑制する(進行を7・5カ月遅延)に留まっている。この効果にどれほどの意義があるのか。また、治療が軽度認知障害と軽度認知症に限られ、薬剤費も年間298万円と高額で費用対効果を考慮すると悩ましい。では難聴者が補聴器を装用することで認知症が予防できるのか。この命題を解決するには長い研究期間を要するが、Linらは認知症リスクの高い動脈硬化を伴う難聴者に補聴器を介入することで3年後の認知機能低下が48%抑制され言語能力にも有意な効果を認めたと昨年報告している(Lin FR et al., Lancet 2023)。

補聴器介入による認知症予防のエビデンスが期待される一方で、難聴対策にはいくつかの課題がある。それは難聴が自分では気付きにくいsilentdisorderであることだ。目は悪くなると自分で気付くが難聴は家族や友人から「耳悪くない?」と聞かれて初めて気付くことが多い。そして、視力障害は仕事や日常生活に支障をきたすが、耳は悪くてもさほど生活に困ることはなく、むしろ困るのは周囲の家族や友人である。また、日本では核家族化が進み65歳以上の高齢者世帯の半数以上は一人暮らしという。このような現状を反映してか、日本では補聴器装用率が15%と欧米諸国の41~55%と比べ低く、また購入に関しても欧米諸国では約80%が公的助成を受けているのに対し日本では僅か8%である。日本では補聴器購入助成制度は市区町村が管轄しているが、成人の中等度難聴に対して助成制度があるのは全国1741のうち238市区町村(14%)にとどまっている。

このような状況を鑑み日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会では、認知症の予防を視野に入れた難聴啓発活動を行っている。その骨子は、難聴に気付いてもらい、聴力検査を行い、必要に応じて補聴器を介入するというものである。その嚆こう矢として、ACジャパンキャンペーンで近藤真彦氏に登壇いただき「60歳を越えたら聴力検査!」を7月から放映している。また、NHKも軽度難聴(潜み難聴)を取り上げ「あしたが変わるトリセツショー」で「難聴かも?聴力低下を放置しない全力対策」を7月18日に放映した。

現在、認知症に特効薬はなく、発症予防あるいは遅らせるのが関の山である。新薬の開発はもちろん、難聴はじめ高血圧や肥満、糖尿病、喫煙、うつ病、社会的孤立、運動不足、教育といった予防可能なリスク因子への多面的な対応が必要である。そして難聴、特に加齢性難聴(老人性難聴)は足音もなく訪れるsilent disorderで、認知症へのエントランスでもある。「聞き違い、聞き返しが多くなったら聴力検査!遠くなるのは耳だけではない、人も遠ざかる」。

村上 信五  むらかみ・しんご

1980年愛媛大学卒業。愛媛県立中央病院副医長を経て、1989年に米国スタンフォ−ド大学耳鼻咽喉科に留学、1998年名古屋市立大学耳鼻咽喉・頭頸部外科学教室 教授就任、2018年名古屋市立東部医療センター 病院長、2020年~2024年日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会 理事長。「ドクターの肖像」2021年4月号に登場。

※ドクターズマガジン2024年10月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

村上 信五

【Doctor’s Opinion】難聴と認知症 ~日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会の取り組み~

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