記事・インタビュー

2024.10.09

<押し売り書店>仲野堂 #32

仲野先生

大阪大学名誉教授
仲野 徹

デイヴィッド・グラン(著)、David Grann(著)、倉田 真木(翻訳)/早川書房発行
アーネスト シャクルトン(著)、木村 義昌(翻訳)、谷口 善也(翻訳)/中央公論新社発行
佐野 三治(著)/山と溪谷社発行

漂流モノっちゅうのはホンマにそそられますな。子どもの頃読んだジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』(光文社古典新訳文庫など)や、漂流した子どもたちが次第に残虐になっていくノーベル文学賞・ゴールディングの『蠅の王』(早川書房)のような小説もよろしいけど、やっぱりノンフィクションが圧倒的におもろおます。

『絶海』は、英国軍艦の遭難物語である。ウェイジャー号は、1740年9月、スペインのガレオン船を拿捕すべく、数隻の艦隊のひとつとしてポーツマス港を出港する。南米のパタゴニア沖で他の船とはぐれて座礁。この時点ですでに250人ほどもいた乗組員はチフスや壊血病で145人に減っていたというから、いきなり過酷である。帆船でマゼラン海峡を越えるなどというのは無謀としか思えないが、一応、チリ側まで回り込めた。さすがは英国海軍である。とはいえ、普通の判断力を持った人は行きたくない。無理矢理に船員にさせられた人もたくさんいたというのは恐ろしい。

30数人が英国に生還する。だが、一丸となって艱難辛苦を乗り越えて、ではない。いろいろな出来事から仲間割れが起こるわ、島に置き去りにされた者が出るわと、とんでもない漂流生活、最終的には敵対した二つのグループとなって帰還した。

まず戻ってきたのは、人望があった叩き上げの掌砲長(砲手長の上官)バルクリーのグループ30人、1742年1月のことだった。奇跡の生還だ。英雄として迎えられたのは言うまでもない。しかし、半年後、頼りない新米艦長チープをはじめとする3人が帰国し、部下にあたるバルクリーたちは反乱分子だったと批判する。当時の英国海軍の法律では、反逆罪は絞首刑もありうる重罪だ。バルクリーたちは軍法会議にかけられるが、その審判やいかに。

もうひとり、16歳で乗船したのがジョン・バイロン、与謝野鉄幹が「あゝ吾ダンテの奇才なく バイロン、ハイネの熱なきも…」と詠んだバイロン卿の祖父である。ずっと後年になってバイロン卿が祖父の苦難をしたためた文章も紹介されているが、さすがにむっちゃ熱い。ちなみにこの本、スコセッシ監督で映画化される予定らしいから見逃せませんで。

英国、漂流、ときたらアーネスト・シャクルトンの『エンデュアランス号漂流記』を思い浮かべる人も多いだろう。時代は下り、第一次世界大戦の開戦直後、1914年8月に南極大陸の初横断を目指し、シャクルトンと28名の乗組員はプリマス港を出発した。しかし、年があけたころ、氷海に閉じ込められて座礁。そして11月、とうとう船は沈んでしまう。

エレファント島に上陸するも、冬を越すことは不可能と考えたシャクルトンは、救助を求めるため、6名で救命艇に乗りこんで荒波へと漕ぎだした。幸運もあっただろうが、シャクルトンの判断力とリーダーシップは素晴らしかった。なにしろ全員が生還できたのだから。ウェイジャー号のチープ艦長とはえらいちがいですわな。

この漂流の特筆すべき点は、写真、それもかなり芸術性の高い写真ががたくさん残されていることだ。専属カメラマンが同行していたおかげである。フィルムではなくて乾板写真の時代だから、持ち帰るには相当な無理と苦労があったはずだ。しかし、第一次世界大戦の泥沼化のため、展覧会で大儲けという目論見は外れてしまったというのが悲しすぎる。

三冊目は迷うところだが、『たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い』を。1992年12月29日、グアム島へ向かう外洋ヨットレースに参加していた「たか号」が転覆してしまう。艇長は溺死し、残る6人は救命ラフトで漂流し始めた。積まれているのは500ミリリットルの水とビスケットが9枚のみ。狭いラフトの中、次々と仲間が衰弱で亡くなり、残されたのは、この本の作者、佐野三治だけだった。

すでに食べるものはなにもない。ときおり飛んできてボートにとまる海鳥カツオドリを捕まえて食べるだけだった。鳥の肉だけではなく、胃の中に残っている魚やイカも食べた。自分の尿も飲んだ。壮絶としか言いようがない。そして27日間の漂流の後、通りかかった英国船籍の貨物船に救助される。はぁ、書いてるだけで心拍数があがってきますわ。すごすぎるやろ。

他にも、椎名誠の『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)や、吉村昭の『漂流記の魅力』(新潮新書)には、いくつもの漂流記が紹介されていてオススメです。漂流記にハズレなし、というてもよさそうですな。ほな、また。

今月の押し売り本

絶海—— 英国船ウェイジャー号の地獄
デイヴィッド・グラン(著)、David Grann(著)、倉田 真木(翻訳)/早川書房発行
価格:2,750円(税込)
発刊:2024/4/23
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今月の押し売り本

エンデュアランス号漂流記
アーネスト シャクルトン(著)、木村 義昌(翻訳)、谷口 善也(翻訳)/中央公論新社発行
価格:859円(税込)
発刊:2003/6/1
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今月の押し売り本

たった一人の生還「たか号」漂流二十七日間の闘い
佐野 三治(著)/山と溪谷社発行
価格:968円(税込)
発刊:2013/12/20
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仲野 徹

隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。

※ドクターズマガジン2024年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

仲野 徹

<押し売り書店>仲野堂 #32

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