記事・インタビュー

2023.04.21

<押し売り書店>仲野堂 #14

仲野先生

大阪大学名誉教授
仲野 徹

#14
小川 和久(著)/集英社インターナショナル 発行
マリア・ノリエガ・ラクウォル(著)、藤村 奈緒美(翻訳)/ヤマハミュージックエンタテイメント ホールディングス 発行
ミーガン・ラピノー(著)、栗木 さつき(翻訳)/海と月社 発行

いきなりですけど、世の中にはけっこうすごい話っておますなぁ。今回はそんな本を三冊紹介します。どれも主人公が女性のノンフィクションだす。最初の一人は全く無名、後の二人は少なくとも日本では有名とはいえまへん、っちゅうのが、またよろしいやろ。

一冊目は『「アマゾンおケイ」の肖像』を。アマゾンおケイこと小林フサノは1903(明治36)年熊本生まれ。13歳にして叔父に連れられてブラジルへと渡る。移民ではなく棄民ともいわれるような劣悪な環境から自由になりたいと、2年後に拳銃とナイフを懐にいれて家出し、サンパウロへと向かう。現地紙の会社で働きながら習い始めたダンスで稼ぎを上げ、21歳で祖国へと戻る。

ここでもダンスを生かしながら金を貯め、27歳の時に上海へと渡る。そこで巡り合ったさまざまな幸運-ウソやろと言いたくなるような幸運もたくさんあった-を生かし、身一つで相当な資金を稼いで1934年に帰国し、不動産などで利益を上げ、雑誌に写真付きで紹介されるほどになる。しかし、終戦、そして…というのがあらすじだ。

すまん、こう書かれても面白くないように聞こえるかもしれん。けど、差別を憎み、正しいと考えた道を突き進む生き様、さらには、時代の波に乗りながら上昇した後に翻弄されていく人生は波瀾万丈としか言いようがない。

この本の著者・小川和久は軍事アナリストとして有名だ。どうしてそんな人がこのような伝記をという違和感が本を見かけたときの第一印象だった。前書きを読んでそれは氷解した。何と、小川和久はフサノの息子なのだ。アナリストとしての能力を最大限に生かして書かれたのか、よくこれだけいろいろなことを調べあげることができたものだと感心するしかない。

フサノの人生というメインストーリーはもちろん、その生きた時代のこともじつに生き生きと描かれている。それだけではない。フサノの初恋の人で、上海で知り合い恋人となった米国外交官で、後に諜報に身を投じることになるロバート・ジョイスについてのサイドストーリーが美しい。結ばれることはなかったが、ずっと後年まで、フサノのそばにジョイスの影が見え隠れする。

母の生涯を息子・和久は必ずしも好きではなかったという。けれど、母親のことをこれだけ素晴らしい本に仕上げるほどの親孝行があるだろうか。内容だけでなく、そのような本の成り立ちも含めて、ホンマにええ本を読ませてもらいましたわ感で胸がいっぱいになった。

ふぅ、ちょっとため息をつきたくなるくらいにええ本でした。ほっと一息音楽を、という訳ではおませんけど、二冊目は『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団~』を。

いまでは信じられないが、20世紀の前半まで、オーケストラは女人禁制の「男性限定クラブ」だった。そんな時代に、女性だけの交響楽団を作り上げた音楽家エセル・スタークの物語である。その発足時はプロだけでなく、ほとんど楽器経験のない人までかき集めての編成だった。しかし、わずか7カ月でデビュー公演、そして7年でカナダのオーケストラとして初のカーネギー・ホールでの公演を果たしたというから驚きだ。

単なるシンデレラストーリーのようだが、もちろん数々の苦労があった。それらを、エセル・スタークのとんでもない意志の強さと努力、さらにはマネージメントを仕切ったマッジ・ボウエンの献身的な協力とで乗り切っていく。大成功を収めた女性だけの交響楽団だったが、その成功が仇となり…というように話は続く。

二冊とも最後はちょっとほろ苦い。お口直しではないけれど、三冊目は現在進行形で突き進んでいる女性の本『ONE LIFE ミーガン・ラピノー自伝』を。ミーガン・ラピノー、ご存じだろうか?全く知らなかったのだが、2019FIFA 女子ワールドカップで米国を優勝に導き最優秀選手に輝いたプロサッカーのエースである。しかも、ただのアスリートではない。男女や人種の差別に敢然と立ち向かい、また、自らが同性愛者であることをカミングアウトした勇気ある女性でもある。この本、その強さだけでなく、弱さや悩みも赤裸々につづられているのが素晴らしい。

すごい女性がいたもんですな、というような言い方はもう時代遅れなんかもしれませんわ。女性と限定せんと、いやぁ、すごい人間がいたもんです、と言うた方が正しいような気がしとります。三冊ともなんだが勇気が湧いてくる、ホンマにええ本ですでぇ。ほな。

今月の押し売り本

「アマゾンおケイ」の肖像
小川 和久(著)/ 集英社インターナショナル 発行
価格:2,310円(税込)
発刊:2022/9/26
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今月の押し売り本

キッチンからカーネギー・ホールへ 〜エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団〜
マリア・ノリエガ・ラクウォル(著)、藤村 奈緒美(翻訳)/ ヤマハミュージックエンタテイメント ホールディングス 発行
価格:2,530円(税込)
発刊:2022/11/29
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今月の押し売り本

ONE LIFE ミーガン・ラピノー自伝
ミーガン・ラピノー(著)、栗木 さつき(翻訳)/ 海と月社 発行
価格:1,690円(税込)
発刊:2022/6/30
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仲野 徹

隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。

※ドクターズマガジン2023年3月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

仲野 徹

<押し売り書店>仲野堂 #14

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