記事・インタビュー
大阪大学名誉教授
仲野 徹
#02
剛心木内 昇 (著) / 集英社 発行
東京、はじまる門井 慶喜(著)/ 文藝春秋 発行
明治の建築家 伊東忠太オスマン帝国をゆくジラルデッリ 青木 美由紀 (著)/ ウェッジ 発行
医学系の本を続けたら医学本専門の押し売り書店かと勘違いされるかもしらんので、連載第2回は明治時代の建築家の本であります。メインの本は直木賞作家・木内昇(のぼり)さんの『剛心』です。木内さんとは2020年から読売新聞の読書委員会で2年間、席を同じゅうしておりました、というのが利益相反の開示です。
読書に劣らず建築が好きで、気になる建物があればわざわざ見に行くこともあるくらいだ。しかし、『剛心』の主人公、妻木頼黄(つまきよりなか)のことはまったく知らなかった。なんでも、明治における建築家の三大巨匠の一人であるというのに、である。他の二人は、2冊目に紹介する本の主人公である辰野金吾と、京都国立博物館や迎賓館(旧東宮御所)を設計した片山東熊(とうくま)だ。もちろん、その二人についてはよく知っている。
妻木があまり知られていないのには理由がある。その設計した建物があまり残っていないし、現存するものもさして有名ではないからだ。最も有名なのは、建物ではないが、東京の日本橋であろう。高速道路の下で日陰になってしまっているが、麒麟と獅子の青銅像による装飾が素晴らしい。こういった感じに、西洋の技術に日本古来の伝統を取り入れるのが、幕臣の子として江戸の町並みを愛した妻木の真骨頂だった。
そんな地味な建築家の話のどこがおもろいねん、と思われるかもしれないが、むちゃくちゃに面白い。圧巻は日清戦争のときに広島に造られた臨時の国会議事堂、広島臨時仮議事堂のエピソードである。20日間で完成したというからすごい。設計に20日間ではない、設計から竣工までが20日間である。広島に乗り込み、職人や資材をかき集める日数を含めての期間だというから驚くよりほかはない。
職人を見下すような役人や建築家が多い中、妻木は職人たちをとても大切にし、それぞれの技量やリーダーシップを一目で見抜くことができた。もちろん、設計の腕については言うまでもない。でないと、このような離れ業はできるはずがない。工事途中でわずかな不具合が見つかったとき、残り短い日数なのに造り直しを命じたというエピソードは実話なんだろうか。
建築の過程を描く、木内さんの筆力がすごい。どこかで建築を学ばはったことがあるんですか、と思わずご本人に聞いてしまったほどだ。恥ずかしながらタイトルの「剛心」という言葉すら知らなかった。妻木の強い心を表すために作られた言葉かと思ったが、地震などで建物に力が加わる場合の、建物の強さの中心点をいう建築用語らしい。なるほど、妻木にぴったりの言葉ではないか。
畏れ多くも、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』の書評を木内さんと同時に書かせてもらったことがある。読み比べてがくぜんとした。言葉の使い方のレベルがまったく違うのだ。まぁ、直木賞作家と比べること自体が失礼といえば失礼、身の程知らずですわな。
米国の大学でも学んだ妻木だが、東大時代の師匠は、迎賓館などを設計したお雇い外国人ジョサイア・コンドルであった。コンドルの弟子といえば、誰が何と言おうと辰野金吾だ。妻木の兄弟子にあたる辰野は、歴史に残る日本人建築家の中でおそらくいちばん有名だ。何しろ設計した建物が、日本銀行本店や東京駅なのだから桁違いだ。辰野を描いた本はたくさんあるが、同じく直木賞作家である門井慶喜(かどいよしのぶ)さんの『東京、はじまる』を挙げておきたい。
一匹狼的だった妻木に対して、辰野は数多くの弟子を育てている。だから、影響力も大きかった。『剛心』では、そのあたりも含めてちょっといやなやつみたいな書き方がされているが、『東京、はじまる』では、決してそのようなことはない。このあたりが小説家さんたちの想像力と腕の見せどころ、読み比べてみると面白い。
この2冊は小説だが、3冊目の『明治の建築家 伊東忠太オスマン帝国をゆく』は、築地本願寺や平安神宮の設計者、伊東忠太のトルコ旅行についての本だ。日露戦争のさなか、スパイと疑われつつも膨大な記録を残しながら旅する忠太、ユニークすぎます。
押し売り書店としては、建築関係の本なんか読んだことないという人にこそ、読んでほしいんですわ。そうやって世界を広げていく、それこそが読書の醍醐味やおまへんか。
今月の押し売り本 |
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仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2022年3月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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