記事・インタビュー

2021.04.23

ちょっと離島まで③

薩摩川内市下甑手打診療所所長
齋藤 学

 皆さん、こんにちは。今年の4月から鹿児島県の西の沖に浮かぶ下甑島の手打診療所所長を務めております齋藤学です。そう、 フジテレビのドラマ、「Dr. コトー診療所」のモデルとなった 島です。第3回となる今回は、離島でのエピソードをつづってみようと思います。

「Uber Eats(ウーバーイーツ)」

ちょっと離島まで
ちょっと離島まで

下甑島に引っ越してきた最初の1 カ月間は、単身赴任でした。家族が来るまでに齋藤を餓死させてはいけないと島の方々が心配してくださっていたようです。「ピンポーン」。夕方18 時になると、毎日誰かが玄関に立っています。しかも満面の笑みで。「いい刺身が入ったよ」「天ぷら揚げたから食べて」「夕飯食べに来ない?」。雨の日も風の日も週末も、ほとんど毎日でした。食べきれないときには、仲良くしてもらっている、こ近所の一人暮らしの おじいさんと分け合います。「この煮魚はいい味付けだ」とか「あの人は魚の締め方がうまい」と、ワイワイ楽しいひとときです。 しかし、嬉しいやら、申し訳ないやら。頂いたこ馳走の写真を妻に送ると「私よりいいもの食べてるじゃない!?」と毎回うらやましそうな返事がきました。島の方々に私が良くしていただいているので安心していたようです。そして、家族が島にやって来てからも、“Uber Eats” は続きました。「えー」「ちょっと一」「ひょー」。何が届くか分からない“Uber Eats” に、妻はリアクション芸人のことく毎回驚いていました。もちろん、下甑島には、本物UbのUber Eatsなんてありません、タクシーすらないのですから。

「穏やかな日々、ときどき豪速球」

ちょっと離島までナポレオン岩をバックに記念撮影
ちょっと離島までナポレオン岩をバックに記念撮影

離島での診療は、それはそれは穏やかなものです。もちろん大変なことも、冷や汗をかくことも、武勇伝も語ればキリがありませんが(笑)、頻度としては月に一度くらいです。「いつもの薬~」「山に入って虫に刺された」「腰が痛くて草取りができん」。救急車を呼ばずに、家族や近所の方が患者を連れて来るので、「頭から血を流しているんだったら救急車で来てくださいよ~」というような方も時々いて、本土から交代で島に来ている救命士たちは、「もっと救急車を活用してください!」と呼びかけて回っているほどです。まあ、元気なこ老人が多いです。最近飛んできた豪速球は、妊婦さんの切迫早産でした。まだ30週にも届いておらず、看護師と副所長が同乗し深夜に漁船で本土まで搬送しました。私は、遠くの方でまだ見える漁船の灯りを祈るように見送ることしかできませんでしたが、妊婦さんが搬送先の本土の病院で無事出産したと連絡を受け、胸をなでおろしました。飛んできた豪速球は連携プレーがうまくいき、確実にミットに収まったというわけです。

「離島医を救う“代診医”」
“豪速球は月に一度くらい”とはいえ、離島の診療所で24時間365日働くのは、ちょっとつらいです。幸い、今年度から下甑手打診療所は、私とゲネプロ卒業生の室誉原伶医師の2名体制になり、かなり楽になりました。いままでの先生方が一人で診療所を守られていたかと思うと、気が遠くなります。連載のタイトルにもあるように、「ちょっと離島まで」という気軽な感じで医師がへき地を行き来できる体制になれば、離島診療の負担はかなり軽減されます。そのためには何が必要なのでしょうか。一つに、「代診医制度」があります。「代診医」はオーストラリアでは「locum(ローカム」)と呼ばれており、初期研修が終わってからローカムをして、どこの地域が自分には合っているか、どの専門性がよいか、と放浪の旅に出る若手医師もいたりします。常に高い質の結果を出さなければ二度と呼んでもらえないので、ローカムとして働くのは大変ではありますが、へき地で働く医師にとってローカムの医師は、ワークライフバランスを確保するための強い味方です。今回、ドイツで心臓外科医をしている元同僚が、ローカムとして応援に来てくれました。帰国に合わせて代診のスケジュールを組んでくれたのです。地域研修に来てくれている二人の研修医と一緒に、この連載のイラストにもある「ナポレオン岩」をバックに記念写真を撮りました。
もちるんこの前に看護師さんから“Uber Eats” が届いたのは、言うまでもありません。
次回もここ下甑島でのエピソードをこ紹介したいと思っています。「ピンポーン!」。おや、また何かの差し入れでしょうか。どうぞお楽しみに!

齋藤 学

2000年順天堂大学医学部卒業。千葉県総合病院国保旭中央病院で研修後、救急医として沖縄県浦添総合病院に勤務。その後、国内外の離島やへき地での修業を経て、へき地医療をサポートする合同会社ゲネプロを設立。2017年オーストラリアへき地医療学会とコラボしたRural Generalist ProgramJapanをスタート。2020年4月より薩摩川内市下甑手打診療所所長。同年8月、国内外のへき地視察をつづった『へき地医療をめぐる旅』(三輪書店)を上梓。

※ドクターズマガジン2020年12月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

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齋藤 学

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