記事・インタビュー

2019.10.02

離島・へき地に医療をつなぐ ゲネプロ(2)

「国内外を問わず、離島やへき地でも一人で闘える医師を育てる」という理念の基に設立された合同会社ゲネプロは、へき地医療トレーニングの最先端を行くオーストラリアの仕組みを参考とした研修プログラムを提供し、「Rural Generalist(へき地医療専門医)」の育成を支援しています。
救急医としてキャリアを築きながら、医師を育てることを使命とし、起業するに至った代表の齋藤 学先生にお話を伺いました。全3回にわたって、研修プログラムの詳細や先生が歩んでこられた道、そして離島・へき地医療への想いをお届けします。今回は、私が医師を志したきっかけ、在宅医療から起業に至る経緯などをご紹介します。

地元に貢献できる総合診療医になりたい


もともと医師を志した時から出身の千葉県旭市で働ける医師になりたかったので、それが叶うのは総合診療医かなと漠然と考えていました。当時、総合診療はまだ盛んではなく、医学部卒業後は、地元でスーパーローテート方式の研修を行っている国保旭中央病院を選びました。

3年ほど経験を積み、この先どうしようかと悩んでいた時、福井大学の寺澤 秀一先生から「総合診療医を目指すなら、救急・麻酔・集中治療の三本柱を学んだ後に地域医療に進んだらどうだ」と、アドバイスをいただきました。その三本柱を学べる病院を探すなかで出会ったのが、井上 徹英先生です。そして井上先生が院長を務める沖縄県の浦添総合病院に入職、やがて救急科の立ち上げを任されました。

井上先生は人の育て方が特徴的です。私をまるで現場から引き離すかのように、半ば強制的に外部病院の研修に参加させたこともありました。研修を終えて浦添に戻ってくると、自分がいない間に残された仲間たちが見違えるように逞しく成長している。誰か一人の力に頼るのではなく、チーム全員が成長できるように考えられているんです。

離島こそ最大の総合診療の場

©アイパブリッシング株式会社

井上先生はよく、「救急にスーパースターはいらない。24時間365日稼働するから、きちんと結果を残せる3割バッターでいい」とおっしゃっていました。そして私には「(医師になって)10年経ったら、離島に行け」と。離島こそ最大の総合診療の場であり、総合診療医を目指す私にとって、最も勉強になる場だと教えてくださいました。

そして2009年に赴任したのが、鹿児島県の徳之島徳洲会病院。半年間の予定でしたが、いざ離島に行ってみると全く歯が立たない。「これまでの10年間はなんだったのか」と悔しい思いをしました。

離島研修はあっという間に終了し、「いずれまた離島でリベンジを」という思いを胸に、救急医としてのキャリアを再開させました。ところが、ある時ぷっつりと病院に行けなくなってしまいました。当時、現場だけでなくマネジメントの難しさを痛感していたので、心が折れてしまったのでしょう。もう医師を続けられないのではと周囲が心配する中、妻が「これまでで一番楽しかったところで働けばいいじゃない」とアドバイスしてくれました。それが「地域医療に戻ろう」と決意したきっかけです。

再び赴任したのは、以前内視鏡研修でお世話になった鹿児島県の今村病院です。そこでひたすら内視鏡の技術を磨いていたところ、浦添の救急を一緒に立ち上げたコールメディカルクリニック福岡の岩野 歩先生から「在宅医療を立ち上げるから手伝わないか」と誘われました。見学に行ってみたら、これが衝撃でしたね。

アルコール依存症のおじいさんが、自宅に敷いたブルーシートの上で生活しているんです。そのおじいさんに岩野先生が点滴しようとしたところ失敗してしまい、「下手くそ!」と怒鳴られて。岩野先生といえば、浦添救急のスーパースターです。そんな先輩が、アル中のおじいさんに怒鳴られている。これこそが地域医療のあるべき姿だと実感しました。すぐに弟子入りさせてほしいとお願いしました。

在宅医療から起業へ

在宅医療での学びは素晴らしいものでした。「こんな医療をずっと続けたい」。まさに自分が描いていた医師像でした。ところが岩野先生のもとで在宅医療に携わるうち、ある思いが心に浮かぶようになりました。在宅医療ではクリニックから16km圏内に住む患者さんしか診ることができません。16kmと17km。そのわずかな距離の差で、住民が受けられる医療に格差が生じていることに胸が痛みました。離島・へき地は、その格差が最たる所です。そうした格差のある地域でこそ自分は頑張りたい、離島でリベンジしたい。「自分一人の力では限りがある。だから、夢に向かって共に闘ってくれる仲間を集めよう」と思いました。

旧友である臓器移植コーディネーターの宮島にそのことを話すとすぐに賛同してくれ、「会社にするべきだ」と起業を勧められました。そして2014年、ゲネプロが誕生しました。

2017年4月にスタートした離島・へき地研修プログラム(Rural Generalist Program Japan、以下RGPJ)は、幸い初年度から興味を持ってくれる人が多く、申し込みもあったので安心しました。自分の想いとニーズは一致しているんだな、と。

受講生を迎える側の研修病院探しも大切な仕事の一つです。紹介や口コミを頼りに全国行脚して探しています。院長が賛同してくれたとしても、指導医となる現場の方たちに、私のことやRGPJのことを知ってもらわなければ良好な関係は望めません。研修病院の一つである上五島病院では私も実際に勤務して、「齋藤とは何者だ」「何をしようとしている人間か」を理解してもらうところから始めました。

現在は上五島病院(長崎県新上五島町)、島田総合病院(千葉新銚子市)、大井田病院(高知県宿毛市)、益田地域医療センター医師会病院(島根県益田市)、匝瑳市民病院(千葉県匝瑳市)、長崎大学熱研内科(長崎県長崎市)が研修病院になっています。

ゲネプロでは、第4期プログラム受講生を募集しています。

2020年4月からの研修開始に向けて、病院見学およびプログラム参加希望者の募集を開始しました。新しい環境に身を置き、自分の弱点を見つめ、必要な手技や知識を獲得し、強化するプログラムです。
15ヶ月間限定で、全力で夢にチャレンジしてみませんか?

研修プログラムへのお問い合わせはホームページから
齋藤先生がどんな質問でもお答えしてくださいます。

<プロフィール>

齋藤 学(さいとう・まなぶ)
合同会社ゲネプロ代表

2000年順天堂大学医学部卒業。千葉県国保旭中央病院で研修後、救急医として沖縄県浦添総合病院に勤務。ドクターヘリを通して離島医療の魅力を知る。徳之島徳洲会病院を経て、内視鏡、在宅医療の研鑽を積んだ後、2014年9月に合同会社ゲネプロを設立。2017年4月より日本版「離島・へき地研修プログラム(RGPJ)」をスタート。世界トップクラスのへき地医療を展開するオーストラリア・クイーンズランド州と提携を結び、プログラムの質の向上を図っている。

離島・へき地に医療をつなぐ ゲネプロ

  1. (1)ゲネプロについて
  2. (2)総合診療医を目指し救急へ、そして起業
  3. (3)離島・へき地研修プログラム(Rural Generalist Program Japan)について

齋藤 学

離島・へき地に医療をつなぐ ゲネプロ(2)

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