記事・インタビュー

2019.12.05

「月刊米山」創刊 -自己紹介編-

はじめまして、心臓血管外科の米山 文弥と申します。僕の留学先はアメリカのTexas Children’s Hospitalで先天性心疾患の施設です。投稿頻度は月1回程度、北原大翔先生のブログ「週刊北原」への尊敬の念も込めて、三日三晩考え抜いた、その名は…
「月刊米山」。
ん、大丈夫ですかね。(笑)
本編ではまず自己紹介をさせていただきます。

医学生時代 -テニス、バンド、USMLE-

医学生時代、頑張ったことが3つあります。
一つはテニスです。僕の大学は関東医科歯科リーグで1部、そして東医体も常に優勝候補といった強豪校だったので、雨の日以外は毎日テニスをしてました。なんかアオハルだな、と思ってました。特に部員全員に順位が(押し)付けられ、その上位6-7人がレギュラーとして試合に出れる(30-40人中)という鬼畜なシステムだったので、実習や授業の合間にテニスをする、いやしなきゃいけないそんな生活でした。

もう一つはバンド。ギターかっこいいな、やってみようかな、そんな感じでふわっと始めたつもりが気付いたらバンドを組んでいました。ボーカルも兼任していたので自宅マンションで練習もしていたある日、ポストに「夜間男性の歌声が…迷惑行為となるので注意して下さい。」と注意書きが入っていて、「けしからんな!」と思いつつ練習に勤しんでいたら、また別の日マンションの全ての部屋のドアの隙間にその注意書きが差し込まれてました。。。なんかのホラーなんじゃないか、いやこれはあれだなと察しました。

最後にUSMLE。ポリクリ・実習中のUSMLEの勉強も大変でした。朝回診で指導医の先生に最大限の愛想を振りまいた後、全力で病院を抜け出し、図書館で毎日勉強してました。同じ実習班の人たちはとてもニヒルに対応してくれました。

ちなみに心臓外科医を目指したのは大学2年生の時でした。なぜなら、理論が単純で手先指先を動かすから、それだけでした。当時絶好調だった僕(大学2年生)は、当時の教授に入局の挨拶にいって速攻イなされました。でもその時教授は「まだ早いから、でも今のうちに英語とか勉強しときなさい」と僕に告げ「ああ、つまり留学を目指せってことか」と僕なりに解釈して、僕の留学計画は幕を開けました。

研修医~若手心臓血管外科医 -確固たる信念のもとに-

卒業後、地方の病院で1年、大学病院で1年の初期研修を終えて卒後3年目から心臓外科医として働き始めました。しかし心臓外科医といっても若いうちは何が出来るわけでなく、オーダー入力、ICのセッティング、上司の夜ご飯のセッティング、退院サマリーの日々…。英語や留学へのモチベーションは下がる一方でした。

「あれ、これは僕が求めていた心臓外科医と違うな」そう思い、ひとえに医局から飛び出そうとした時期もありましたが止められました、「何を言っているんだ!」と。。。我慢の日々でした。
(同じような経験をした先生も多いと思います)

僕の持論ではありますが、『外科医は職人』であり、『手術はスポーツ』だと思っています。外科医は自分の技術や作品にこだわりを持った職人気質であるべきだと思います、運針とか結紮とか。例えば、テニスでは東医体とかの本番では普段の練習の3-4割の実力しか出せないですし、毎日練習しているからこそ本番でその技術を発揮できるわけで、それはスポーツも手術も同じだと思ってます。

話はそれましたが、とにかくこの時期はどうして留学を目指しているのかもはや不明な状況に陥っていました。それでも「一度決めたことは」と。

留学準備と進路 -なるほど、コンジェニタールですね-

USMLE STEP3を卒後5年目で取り終え、その後は本気で留学を考え始めました。アメリカの先生方に連絡を取りましたが、あまり良いお返事はもらえず、「えー、いつになったら留学って決まるんだろうな、うーん」と約1年嘆いていました。

心折れそうになりましたが、Texas Children’s Hospitalが面接に応じてくれ、その後OKをもらいました。面接では「先天性心疾患のどの分野をやりたいんだ、おい」と不意を突かれ、「先天性」までしか持ち合わせていなかった僕は、とっさに「ねね、ネオネイト(neonate)!」と答えました。グレイトと言われました。当時は自分でも将来の進路をきめあぐねていたので、「なるほど、先天性ですか」とついに僕は腹をくくりました。

それ以降、学会では積極的に先天性のセッションに参加しました。「ふふふ勉強してやるぜ、ふんふんーっ」と意気揚々と誰も座りたがらない前方めの席に陣取ってみたものの、「この人達は一体何を喋っているんだろう」的な内容からあげくの果てには「はてこれは心臓の外科の話なのだろうか」ととても難しく感じたこともありました。つまり先天性心疾患はかなり特殊性が高い分野だと僕は思いますし、逆にそれだけやりがいがある領域だと感じます。今のところデバイスもあまりないですし、将来的にも外科医っぽく働ける分野だと思ってます。

 

僕の場合はかなり早くに心臓外科を決め、そして留学を決め、「今さら引くに引けない」的な状況を自ら作り出してしまったといっても過言ではありません。しかし多くの留学組の先生方(とその記事)には励まされましたし、同じ境遇にいる方々へこれから何か伝えることができればと考えています。

<プロフィール>

米山 文弥

米山 文弥(よねやま・ふみや))
Texas Children's Hospital Clinical Instructor
1987年生まれ、2012年筑波大学医学部卒業。Challengers' Live Demonstrations 2018 優勝。筑波大学附属病院、長野県立こども病院等を経て2019年に渡米。先天性心臓外科医としての一歩を踏み出す。

米山 文弥

「月刊米山」創刊 -自己紹介編-

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