記事・インタビュー

大阪大学名誉教授
仲野 徹
伊与原 新(著)/新潮社発行
米沢 富美子(著)/岩波書店 発行
猿橋 勝子(著)/中央公論新社発行
今回はちょっと趣向を変えていきます。同じ人を違った角度から描いた3冊です。
その人は猿橋勝子。この人ほど名前がよく知られているのに「何をしたかを知られていない」人は珍しいのではないだろうか。かくいう私も、てっきり物理畑の人だとばかり思っていた。しかし、実際には分析化学の研究者である。猿橋の名を広く知らしめているのは、言うまでもなく、その名を冠した「猿橋賞」があるからだ。
毎年、大きく報道されるからご存じの方も多いだろう。猿橋勝子が1980年に気象研究所を退官する際に設立した「女性科学者に明るい未来をの会」が、年に1回、優れた研究業績を上げた女性科学者に「学術賞」(猿橋賞)を贈呈している。すでに45回を数えるが、特筆すべきは、ノーベル賞と同じく、その選考レベルの高さと正しさだ。『私の科学者ライフ 猿橋賞受賞者からのメッセージ』(日本評論社)を読めば、そのことがよく分かる。読売新聞の読書委員をしていた時に取り上げた書評がネットで読めるので、興味をお持ちの方は【猿橋賞×仲野】で検索してほしい。
前置きが長くなったが、1冊目はその猿橋勝子を描いた伝記小説『翠雨の人』を。著者は令和7年に『藍を継ぐ海』(新潮社)で直木賞を受賞された伊与原新さん。伊与原さんは地球惑星物理学を修められた東京大学の理学博士で、富山大学理学部で助教を務められたこともあるバリバリの理系作家である。そして、その経歴は作品にも色濃く表れている。
NHKでドラマ化された『宙わたる教室』(文藝春秋)に帯を書かせていただいたご縁で一度お目にかかったことがあるが、とても思慮深く物静かな印象だった。いずれの小説でも、そういった優しさと科学的な着眼点がじつに見事だ。『翠雨の人』でも、猿橋博士の人柄は温かく、そして、研究に取り組むシーンはとてもシャープに描かれている。
『猿橋勝子という生き方』は、猿橋賞を受賞した物理学者・米沢富美子による猿橋勝子の評伝である。伊与原さんの本より研究に重きが置かれていて、実験の図が幾つか載せられているのだが、『翠雨の人』を読んでイメージしていたものと寸分違わなかったことには驚いた。小説家の描写力ってすごい。ちなみに、米沢の自伝『人生は、楽しんだ者が勝ちだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版)も痛快と言えるほどの面白さなのでオススメだ。
3冊目は、猿橋自身によるエッセイ集『学ぶこと 生きること-女性として考える』を。自伝的な要素も多く含まれているのだが、先の2冊に比べて、猿橋博士の厳しさをより強く感じるのは私だけではないだろう。
とことん芯の強い猿橋だが、3冊ともで強い印象を残すのは、東京女子医大の創設者・吉岡彌生による面接試験と、米国人研究者との真剣勝負ともいうべき「解析合戦」である。猿橋は、吉岡の傲岸不遜な態度に怒り、医学への道を放棄する。あとは流れるように良き指導者に恵まれて化学者への道を歩むのだが、もし医学生になっておられたらどんな人生を歩まれただろう。米国サンディエゴのスクリプス海洋研究所へ単身乗り込んでのセシウム含有量解析は、多勢に無勢の中、見事な仕事を成し遂げる。
自伝を含めて同一人物の伝記を何冊か比較して読むのはとても楽しい。高橋是清と戦争写真家のロバート・キャパ-それぞれ、『高橋是清自伝』(中公文庫)と『ちょっとピンぼけ』(文春文庫)という自伝を残している-などは抜群の対象だ。どちらも、自伝では、都合の悪いところを自分勝手に取り繕っていたりするところが人間らしくてとても好き。
もう一人、最近読んで面白かったのは、NHK朝ドラ「あんぱん」のモデルになった漫画家やなせたかしである。自伝が『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)としてだいぶ前に、最近では『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受けられた手練れのノンフィクション作家・梯久美子さんが『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)を、元編集者で現在は東京科学大学でメディア論を教える柳瀬博一さんが『アンパンマンと日本人』(新潮新書)を出版されている。前者は自伝出版後の出来事も書かれており、後者はもう少し広い視野からの本で、どれも読み応えたっぷり。やなせたかし、「素晴らしき哉、人生!」と言いたくなる。
伝記に限らずやけど、あるテーマについて、何冊か読み比べてみるいうのはなかなかよろしい。仲野堂オススメの読書法ですわ。
今月の押し売り本

今月の押し売り本

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仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2026年2月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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