記事・インタビュー

2023.10.26

<押し売り書店>仲野堂 #21

仲野先生

大阪大学名誉教授
仲野 徹

#21
田中 ひかる(著)/中央公論新社 発行
三浦 綾子(著)/小学館 発行
茨木 保(著)/医学書院 発行

仲野堂、なんせ伝記が好きなんです。本屋さんで見かけると、たいがい迷わずに買うてしまうくらい。有名人の伝記もおもろいけど、ぜんぜん知らなかった人の生涯っちゅうのも読んでみたらおもろいもんです。今回はそんな一冊、田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語』から。

大関和(おおぜき ちか)、無名である。下野国、黒羽藩の家老の次女として生まれ、維新後に家格のつりあった結婚をするが、理不尽な扱いに耐えきれず離婚を決意する。嫁から離縁を申し出るというのは、当時としては考えられないことだった。それも二人の子どもを連れて、である。元家老の娘が、と嘆く母を尻目に、東京で女中として働き始める和。その家の主人に英語の学習を勧められたことから運命は大きく変わっていく。

英語塾を経営する牧師・植村正久を通じキリスト者となっただけでなく、正久の知り合いであった大山捨松を通じて鹿鳴館で通訳をするようになる。さらに、正久から看護婦になることを勧められる。その頃、現在のような認定看護師制度は存在せず、病人の世話は「看病婦」という名の付き添い婦のような仕事で世間では「賤業」とされていた。そうではなく「専門的な訓練を受けたトレインド・ナース」を目指せというのだ。

麹町にある桜井女学校付属看護婦養成所に一期生として入学。校長は矢嶋楫子(やじま かじこ)で、同じくキリスト者であり「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」という考えから校則などは作らずに生徒たちを指導した。その教えの源はナイチンゲールそのものであった。教育方針は異常なまでに厳しかったが、楫子との出会いも和を大きく変えていく。二人部屋の寮で同室になったのは、一歳年上、29歳の鈴木雅(まさ)だった。相当性格の違った二人は最初こそうまくいかなかったが、後に生涯の友となる。

2年後、近代的な意味での教育を受けた初の看護婦となる。以後、東京帝国大学付属病院外科の看護婦長、雅の設立した看護婦講習所の講師、東京看護婦会会頭などをつとめる。さらにはキリスト教精神に基づいた看護婦の育成をめざした大関看護婦会を設立し、クライアントから非常に高い評価を受ける。その間、命がけで廃娼運動にも取り組んだ。

むちゃくちゃにエライ。そやのに、なんで無名やねん。こういった話が、無味乾燥な伝記ではなく、小説としてじつにうまくまとめられている。和、楫子、雅という三人の個性の絡み合いが壮絶だし、認定看護師制度がいかにして作り上げられていったかもよく分かる、一石二鳥の本、ぜひ読んでもらいたい。

田中ひかるさんの本はどれも面白い。最初に読んだのは10年前の『生理用品の社会史』だ。この手の本にしては珍しく文庫化されて、いまは角川ソフィア文庫で読める。同じく田中さんの『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(中央公論新社)もオススメだ。高橋瑞(たかはし みず)、この人も無名だが日本で三番目に医師国家資格を取得した女性医師である。ただし、性格はぶっとんでいる。どちらも拙書評を【HONZ×生理用品の社会史】、【HONZ×高橋瑞】で検索すれば読めるので、よろしければぜひ。

二冊目は、矢嶋楫子を描いた三浦綾子の小説『われ弱ければ矢嶋楫子伝』を。酒乱の夫に愛想を尽かし離縁を言い渡した楫子は熊本から上京し、キリスト教徒、教育者になる。矢嶋楫子のことも全く知らなかったのだが、2022年に主人公を常盤貴子が演じ、本と同じタイトルで映画化されている。宣伝HPには「もっと早くに、矢嶋楫子を知っていたならば、私の人生が大きく変わっていた」という三浦綾子の言葉が紹介されている。何か、分かる。いやぁ、楫子さんもむっちゃぶっとんだ人ですわ。

伝記本の三冊目は、ご存じ近代看護の創始者ナイチンゲールを。でも、子どもの頃以来、読んでへんやん。偉人伝の人気では必ず上位に食い込むナイチンゲールなので、伝記本もたくさんあるだろうと調べたが、ほとんどが子ども向けである。う~ん、あかんのちゃうん。で、選んだのは茨木保先生の『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに』。マンガなのだが、じつによく書けている。クリミア戦争以降のナイチンゲールがどんな生涯を送ったか。おそらく、皆さんのイメージとは大きく違うはず。むっちゃびっくりしてしまいましたわ。

いやぁ、こうやって紹介してたら、あらためて、伝記ってホンマに面白いもんですな。「偉人伝」としてではなく、生身の人間の記録としての伝記、一人でも多くの人に好きになってほしいわぁ。

今月の押し売り本

明治のナイチンゲール 大関和物語
田中 ひかる(著)/中央公論新社 発行
価格:2,310円(税込)
発刊:2023/5/10
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今月の押し売り本

われ弱ければ
三浦 綾子(著)/小学館 発行
価格:770円(税込)
発刊:1998/12/4
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今月の押し売り本

ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに
茨木 保(著)/医学書院 発行
価格:1,980円(税込)
発刊:2014/2/10
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仲野 徹

隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。

※ドクターズマガジン2023年10月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

仲野 徹

<押し売り書店>仲野堂 #21

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