記事・インタビュー
大阪大学名誉教授
仲野 徹
#15
山内 一也(著)/みすず書房 発行
田村 京子(著)/慶應義塾大学出版会 発行
高橋 幸春(著)/東洋経済新報社 発行
毎回、テーマを決めて三冊を選ぶのがホンマに楽しみですねん。どんな球を投げ込もうか、という感じで。いつもは、最大多数の最大幸福やありませんけど、一人でも多くの人に興味を持ってもらえる本、というのを最優先にしてるつもりでおます。けど、今回はかなりの変化球かも。とはいうものの、どれもストライク!読んだらむっちゃおもろいです。そんな一冊目は『異種移植』。
異種移植の歴史は、最初に行われたのが20世紀の初めだから、思いのほか長い。移植免疫などという現象があることすら分かっていなかったので、当然うまくいかなかった。近代的な意味での異種移植は、アザチオプリンやステロイドといった免疫抑制剤が有効であると分かった後、1960年代に入ってからのことになる。ヒヒやチンパンジーからの腎臓、心臓、肝臓移植が行われたが、ごく一部の例外を除き、短期間で死亡するという惨憺たる結果だった。
一時はあきらめられかけた異種移植だが、移植免疫研究の進歩、とりわけシクロスポリンによる免疫抑制が著効を示したことなどから、1980年代になって息を吹き返す。そのときドナーとして着目されたのは、霊長類ではなく豚だった。理由はいくつかある。まず、解剖学的な構造やサイズが人間に似ていること。そして、特定の病原体を持たないSPF豚(スーパーとかで売られているやつ)が利用でき、コスト的にサルよりもはるかに安くつくことである。
しかし、人間と豚の遺伝学的距離は近くない。そのため、豚からの異種移植における最大の問題点として超急性拒絶反応がある。豚の血管内皮の表面には、人間の細胞には存在しないαガラクトースを含む糖鎖がある。このために、豚の臓器を移植すると瞬く間に免疫反応が生じて、血管がボロボロになってしまうのだ。
この問題は、クローン技術により、その糖鎖を作り出す酵素の遺伝子を破壊した豚を開発することで解決された。ゲノム改変技術のおかげで、この遺伝子破壊は以前よりずっと容易になっている。しかし、もう一つ大きな問題があった。それは、豚の内在性ウイルスである。通常は人間に感染することはないのだが、臓器移植により強制的に人間の体内に持ち込まれた場合、おそらくその確率は低いが、とんでもない病原性ウイルスが作られてしまうという懸念が否定できない。
新しい病原性ウイルス発生の危惧があるので、異種移植はいつまでたっても実現化できないのではないかと思われていた。ところが、これもCRISPRによるゲノム改変技術により、ほぼ解決できるようになった。考えてみれば、CRISPRというのは、元々が細菌によるウイルス感染排除システムなのだから、内在性ウイルスをやっつけるにはベストのシステムなのだ。
というような話が書いてある。異種移植の過去から現在、そして未来までもが分かる素晴らしい一冊だ。著者の山内一也(やまのうちかずや)先生は農学博士で東京大学名誉教授、なんと1931年生まれの91歳! 1999年に出版された『異種移植-21世紀の驚異の医療』(河出書房新社)の改版という位置づけだが、最新情報も余すところなく紹介されている。脱帽するしかありませんわ。
異種移植の倫理的ハードルは一般的に低いとされている。ただし、動物愛護の活動家にとっては大きな問題である。倫理の問題はかくも複雑だ。脳死移植が日本でなかなか一般的にならないのは、日本人の倫理観が大きく影響している。そんなこともあって、日本での肝移植は脳死移植より生体移植の方が10倍以上多い。しかし、生体移植には脳死移植とは違った倫理的問題が存在する。あまり論じられてこなかったが、『生体臓器移植の倫理』はそのあたりを哲学と倫理から詳細に描き出す。いやぁ、ほんまに難しいことです。
三冊目の『だれが修復腎移植をつぶすのか』は、2006年に「宇和島臓器売買事件」ならびに「病気腎移植事件」で大きく報道された故・万波誠医師を描いたノンフィクションである。当時はワイドショーなどで連日のように取り上げられていたので記憶しておられる方も多いだろう。
日本移植学会などから病気腎移植(この本では「修復腎移植」)の妥当性が問われ、厚労省は原則禁止にした。しかし、あらためて認可を受けた万波医師らが再開し、後に先進医療として認められるようになる。ヒステリックな報道に比べると、この経緯を知る人ははるかに少ないはずだ。いろいろなことを相当に考えさせられた。
ちょっとオタク的かもしれませんけど、たまにはこういう本を読むのもよろしいでぇ。ほな。
今月の押し売り本
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今月の押し売り本
仲野 徹
隠居、大阪大学名誉教授。現役時代の専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。
2017年『こわいもの知らずの病理学講義』がベストセラーに。「ドクターの肖像」2018年7月号に登場。
※ドクターズマガジン2023年4月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
仲野 徹
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