記事・インタビュー
刑務所や少年院などの矯正施設で働く「矯正医官」。被収容者の治療や健康管理、施設内の感染対策などにも関わる重要な役割を担っている。今回は、心臓外科医から転身し、現在は大阪医療刑務所の所長を務める川田哲嗣氏と、依存症を専門とする精神科医として浪速少年院で診療に当たる中野温子氏の対談を実施。矯正医官のお二人に、これまで歩んできたキャリアや、2015年に矯正医官特例法が施行されてからの働き方の変化、矯正医療の現状について語ってもらった。
<お話を伺った方>
中野 温子(なかの・はるこ)
京都大学工学部卒業後、毎日新聞社に入社。記者として5年勤務した後、フリーランスのライターに転身。2002年に医師を志し、神戸大学医学部医学科に進学。赤穂市民病院での研修後、2010年4月から岡山県精神科医療センターに勤務。2017年に京都医療少年院医務課を経て、2018年に奈良少年院医務課長に就任。2022年から現職。共著に『薬害を追う記者たち』(三一書房)、『ぼくらのアルコール診療』(南山堂)、『市民のためのお酒とアルコール依存症を理解するためのガイドライン』(慧文社)など。
<お話を伺った方>
川田 哲嗣(かわた・てつじ)
1983年に奈良県立医科大学卒業。同大学附属病院での研修後、同大学集中治療部助手、第三外科学助手を務める。専門は心臓血管外科。1997年にアメリカDuke University Medical Center, Department of Surgery, Division of Thoracic and Cardiovascular Surgeryに留学。帰国後は奈良県立医科大学胸部・心臓血管外科学講師、社会医療法人高清会高井病院心臓血管外科部長を経て、2015年から矯正医官に。京都刑務所医務部長、奈良少年院医務課を兼務し、2019年に大阪医療刑務所医療部長に就任。2020年4月から現職。
経験を積み矯正医療の道へキャリア選択の一つに
川田 先生 :中野先生とは奈良少年院で一緒に働いていた時期があります。私は京都刑務所と兼務していて、週1、2回、奈良少年院での診察を担当していました。
中野 先生 ︙そうでしたね。私は当時、京都医療少年院に勤務していたのですが、奈良少年院に月2回、精神科の診察に行っていました。川田先生は心臓血管外科がご専門ですが、なぜ矯正医官の道に進まれたのですか?
川田 先生 :これは私の持論なのですが、10年単位で働く環境を変えるべきだと思っているんです。大学を卒業して心臓外科医として一人前になるまでに10年。アメリカで心拍動下冠動脈バイパス術を学び、日本で術式を確立させるまでに10年。さらにそこからの10年は、一般病院の心臓血管外科部長として明けても暮れても手術をしていました。
中野 先生 ︙10年ごとに違うステージでチャレンジをされてきたのですね。
川田 先生 :ええ。それで、医師になって30年、58歳で「心臓外科医としてはやり遂げた」と思ったんです。そのときに思い出したのが矯正医官の仕事でした。医学生だった息子が実習で矯正施設を見学したことがあって、その話を聞いて幅広い臨床ができそうだなと。中野先生は、どうして矯正医官の道に?
中野 先生 ︙私は医師になる前に、5年間、新聞記者をしていたんです。事件や裁判を担当する中で、世間ではいわゆる「悪人」とされる犯罪者たちが、どんな生い立ちで、どんな背景を抱えているのかを目の当たりにしました。そのときに興味を持ったのが司法精神医学。その後、外科医だった父が亡くなったことで一念発起して、医師になろうと決断しました。医学部に入ったのは35歳のときでした。
川田 先生 :はじめは一般病院に勤務されていたんですよね。
中野 先生 ︙はい。司法精神科医療に力を入れている岡山県精神科医療センターに7年間勤務しました。少年事件の精神鑑定などを多く引き受けている病院で、診療を通して次第に「矯正医療も面白そうだな」と思うようになって。
川田 先生 :興味があるところをどんどん辿っていったんですね。
中野 先生 ︙そうですね、思い付くままに(笑)。岡山県精神科医療センターでは依存症病棟も担当したのですが、薬物依存の患者さんには少年院歴・刑務所歴がある人が多いことも分かりました。もっと早い段階で医療が介入できれば、薬物の再使用防止につながるのではないか。そう考えたのが、少年院で働きたいと思ったきっかけです。
川田 先生 :私が矯正医官になって苦労したのは、精神疾患の診療でした。それまで何でも診るような病院に勤務していたので、幅広い身体診療には対応できたのですが、精神科は経験がなく、かなり勉強しました。臨床精神医学で有名なカプランのテキストは、20回以上は読んだと思います。
一般医療との在り方の違いにはじめは戸惑うことも
中野 先生 ︙私は川田先生とは逆に、身体疾患の診察ができるか、はじめはとても不安でした。でも、実際に勤務してみると、専門治療が必要な場合は医療少年院で診る仕組みができていますし、日々の診療で困ることはほとんどなかったですね。
川田 先生 :一般の矯正施設は医師1人で勤務しているところがほとんど。そこには総合診療のスキルが求められます。
中野 先生 ︙診療では、初期研修のときに各診療科をローテーションした経験が役に立っています。特に皮膚科や泌尿器科、整形外科での研修はやっておいてよかった。もちろん今も勉強をしながらですが、幅広い診療スキルが身に付いてきたのを実感しています。
川田 先生 :矯正医官になったばかりの頃は、医療の在り方の違いに戸惑うことも。病棟に入るのにも鍵が必要ですし、診察には常に刑務官が立ち会います。保険制度はなく、被収容者の治療には税金が使われるので、薬はジェネリック薬品を中心に選ぶ。あくまでも被収容者が改善更生するために治療を行うという観点もあり、一般社会とは異なる医療の目的があります。
中野 先生 ︙それに一般の病院では、医師はある意味「特別扱い」される存在ですが、ここでは看護師や薬剤師がしてくれていたような採血や調剤といった業務も、全て自分でやります。
川田 先生 :一般社会ではフリーアクセスで、患者さんは自分で病院を選んで通います。ところが受刑者は刑によって収容施設が決まり、そこでの医療を受けるしかない。信頼関係がないところから診察がスタートするので、コミュニケーションがとても難しいですよね。私も半年くらいは悩みました。
中野 先生 ︙どうやって乗り越えられたのですか?
川田 先生 :あるとき、出所前にわざわざ診察室に来て「ありがとうございました」と伝えてくれた被収容者がいたんです。他にも、京都駅で元受刑者に肩を叩かれて「お世話になりました」と言われたことも。彼らには彼らの流儀があって、感謝の気持ちを示そうとしてくれている。それが分かったので、自然とモチベーションも上がりました。
兼業で診療のスキルアップや研究、育児との両立ができる
川田 先生 :2015年に施行された「矯正医官特例法」によって、兼業が認められるようになりました。一時は、矯正医官の不足が深刻な状況でしたが、施行後は志願する医師の数も増え、近年では充足率が約9割まで回復しています。
中野 先生 ︙少年院での勤務だけだと、どうしても新しい薬剤の情報などをキャッチアップできないので、私は月2回、精神科の病院でアルバイトをしています。また、少年院では診る機会が少ない疾患もあるので、精神科医としてのスキルを維持するためにも、矯正施設外での勤務は必要だと考えています。
川田 先生 :大阪医療刑務所に勤務する医師は40代が多く、また13人いる医師の約3割が女性です。国家公務員という安定した立場にあり、勤務時間もコントロールしやすい。だから、勉強と臨床を両立させたい大学院生や、子育てや介護をしながら働きたい人、事情によりフルタイムでは働けない人たちにとっては、働きやすい環境です。
中野 先生 ︙勤務時間は8時半から17時までなので、最初のうちは「こんな早い時間に帰っていいの?」と戸惑いました(笑)。
川田 先生 :社会にいたときには、さまざまな理由で診療を受けられなかった被収容者も少なくない。診療が心のよりどころのようになっている面もありますよね。
中野 先生 ︙そうですね。少年院でよく診るのは皮膚疾患。週3回の入浴ということもあってか、ニキビや蕁麻疹、夏には汗疹が多いです。それから陰部の白癬、泌尿器系の感染症、アレルギー性鼻炎、腰痛や捻挫ですね。最近増えているのは、梅毒などの性病です。外部の医療機関での診療が必要なケースは年に数件。急性陰嚢症や急激に視力が落ちて視神経炎を疑うケースなどで、専門治療につなげます。また、身体愁訴の背景に生い立ちにまつわる不遇感を抱えた少年が多く、本人が希望すれば、精神科診察で話を聞くようにしています。
後編に続く。
※ドクターズマガジン2023年3月号に掲載されました。
中野 温子、川田 哲嗣
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