記事・インタビュー
徳島大学医学部を卒業後、神経内科の専門医を取得。ハーバード大学公衆衛生大学院に進み、ブリガム・アンド・ウィメンズ病院での勤務を経て、帰国後マッキンゼー・アンド・カンパニーでアソシエイトコンサルタントに。
臨床、留学、研究と、多彩なキャリアを積んできた矢野 祖さんは、なぜ大手コンサルティングファームへの道を選んだのでしょうか。また、今後のビジョンをどう描いているのでしょうか。キャリアを形成する上で注力されたことや、考えられてきたことなどを伺いました。
<お話を伺った先生>
矢野 祖(やの・はじめ)
医療法人社団 エイチ・エス・シー理事長
医師・神経内科医
学生時代から米国医師免許への関心が高かった
――マッキンゼーに入社されるまでの道のりを詳しくお聞きしたいと思います。まず、医学部に入学される前は、どんな学生でしたか。
徳島県に生まれて、小学校6年間はサッカー少年、中高は馬術部だったこともあり、高3の夏までは獣医学部に進みたいと考えていました。獣医が馬たちを治療する様子を見て、医療の力強さに胸を打たれたからです。
ただ、その後、動物との意思疎通や生命倫理の問題、家族の健康問題などについても考えるようになり、結果的に人を診る医師になることを決め、徳島大学医学部に進みました。
――医学部時代は何に注力されましたか。留学やUSMLE受験についても、すでに考えられていたそうですね。
サッカーが8割という学生生活でしたが、4年生の終わりくらいから、「世の中にはUSMLEという、なんだかカッコいいものがあるらしい」と知って、留学や海外での仕事に興味が湧き、部活休みや休日を利用して県外のセミナーや勉強会に参加していました。そこで同じような志をもつ全国の学生と仲良くなり、情報交換をするようになりました。週5回以上練習のあるハードな部活でしたが合間を縫ってマッチングに向けては聖路加国際病院、音羽病院、亀田総合病院などへの見学にも積極的に参加しました。
学内では、5年生の時にアリゾナ州のメイヨー・クリニックに3週間見学に行ったことが非常に刺激になりました。オブザーバーとして、当時神経内科の教授として指導してくださっていた梶 龍兒先生に後押ししていただいて参加したのですが、自分がそれまで見てきた日本の医療と大きく異なるアメリカの医療を目の当たりにして「ECFMGを取得してトレーニングを受ければこういう環境で医師として働く可能性も開けるのか」とモチベーションアップにつながりました。
ただ、現実はそう甘くなく、勉強不足から国試に失敗してしまいました。どこかで“みんな受かるものだし心配ないだろう”と油断があったと思います。今考えると完全に勉強不足でした笑。国試浪人中は勉強不足を補いつつ、転んでもただでは起きないぞという気持ちで、英語力の強化や、留学への情報収集に力を注ぎました。この1年は苦しかったですが、将来的に海外で働きたいという気持ちも再認識できましたし、キャリアの基礎を固めた1年だったと今になって思います。
充実の初期研修時代。徳島、沖縄、愛媛へ
――初期研修は徳島大学病院とのことですが、どんな研修医でしたか。
大学のプログラムで1年目は大学病院、2年目は院外への国内留学を選択しました。
大学の同期が2年目になっており、手技をバリバリこなしているのを見た時は、正直焦る気持ちもありました。ただ、その後2年目に国内留学のプログラムで非常に充実した研修を経験させていただくなかで、そうした気持ちはおのずと消えていました。
国内留学先の最初は、沖縄県の浦添総合病院の救急に約4か月間勤務し、八木正晴先生を始め、教育熱心な先生の元で、幅広い症例を経験させていただきました。定期的に宮城征四郎先生や入江聰五郎先生のレクチャーも受けられる贅沢な環境で、短期間でも自分の成長を感じられました。残りの半年間は、愛媛県立中央病院での研修でしたが、こちらも三次救急まで対応している病院で、沖縄で学んだことを研修医同士で共有しながら、アカデミックな活動にも触れられたことは非常に良い経験になりました。
――3年目からは、留学へのサポート体制が充実していることで知られる千葉県の亀田総合病院にマッチングされたそうですね。
はい。学生時代に一度見学に伺っており、脳神経内科の福武敏夫先生という素晴らしい先生がいらっしゃって、教育方針にも強く惹かれるものがあり、亀田で神経内科の専門医を目指すと決めました。先述の梶先生の影響も大きかったです。
臨床教育専任医師として勤務されていたサンフランシスコ大学のサンドラ・ムーディー先生にも多くの教えを受けました。明るくサポーティブな先生で、今も懇意にしていただいています。
――後期研修と並行して、USMLEの勉強を継続されていたのでしょうか。
いえ、自分の目の前の患者さんのことで手一杯、よく言えば患者さんを最優先すべきと考えて、臨床に力を尽くしていました。空いた時間は担当患者さんに関連する論文を読み、学会での発表も経験させていただきました。医師4・5年目の時期は特に、臨床の奥深さと、その中で感じた疑問や課題、気付きをどう検証し形にして伝えるのかというプロセスにも興味を持つようになっていました。
――留学に舵を切られたのは、6年目からという事でしょうか。
そうですね。医師5年目の夏に沖縄米国海軍病院を受験して合格し、再び沖縄で勤務しながら、留学に向けて具体的な勉強と準備を進めました。
――海軍病院とのマッチングについては、どんな対策をされたのでしょうか。臨床経験が減ることへの不安などはありませんでしたか。
エクスターンシップに参加したことと、亀田病院の先輩である清水翔志先生(現在Case Western Reserve University内科レジデント)が当時勤務されていたことから、カルテの書き方、診察時の英語の言い回し、日本とアメリカでの患者さんとのコミュニケーション様式の違いなどについてアドバイスをいただいたことが良かったと思います。確かに直接臨床に関わる機会は減りましたが、日本人フェロー以外は患者さんや医師も含めてすべて米国環境下で過ごすことによって得られるものが多く、不思議と不安は感じませんでした。この頃には、すでに次にやりたいことが見えていたことも理由の一つかもしれません。全国から集まった優秀で、個性豊かな同期は本当に尊敬できる存在ですし、今でも米国や日本で活躍する姿をみて励まされています。また、軍病院のスタッフとも家族ぐるみで交流をさせていただき、そのおかげで後の留学環境にスムーズになじめたと感じています。
沖縄でフェローシップを1年経験し、2016年6月末に渡米して、ハーバード大学公衆衛生大学院のMPH(※)に進みました。
※ 公衆衛生学修士
▲海軍病院時代写真
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