記事・インタビュー
アメリカ、オレゴン州にある病院で循環器内科医として活躍する河田宏先生。日本とアメリカ、合わせて15年にわたるトレーニングの経験を積み、不整脈治療のスペシャリティを獲得するまでの歩みをお話していただきました。第1回は幼少期から医学部時代、循環器内科医として知識を蓄え、手技を磨きながら臨床留学を目指すまでの経緯をお聞きします。(全2回)
<お話を伺った先生>
河田 宏(かわた・ひろ)
日本循環器学会専門医、米国内科、循環器、不整脈専門医
――幼少期時代の想い出と医師になろうと思ったきっかけ
兵庫県西宮市の出身なのですが、小学校高学年は関西では誰もが知っている浜学園という塾に行き、受験の直前には“常在戦場”という鉢巻きを締めて、勉強していました。不健康な生活でしたが、そのおかげもあり、西宮市内にある中高一貫の甲陽学院に入りましたが、それまでの反動か入学後は友達と遊ぶことばかりに時間を費やし、成績は常に悪く学年170人中、140番ぐらいでした。
中学校の頃は、大阪市内の淀屋橋に近い道修町で薬問屋をしていた祖母の家によく遊びに行っていました。祖母が好きだったこともありますが、お小遣いをすぐにくれるというのが理由の半分でした。その祖母は、私が中学に入る直前に長男(私の叔父)を不慮の事故で亡くしていました。叔父は神戸大学の耳鼻咽喉科の医師であったこともあり、私にも医師になってほしいと口にしていました。しかしながら、当時の私は成績が悪く、将来のことも真面目に考えていなかったので聞き流していました。私が高校1年生の冬に、その祖母が脳梗塞で倒れ、植物状態となります。大阪市内、大阪城に隣接する大手前病院に数ヶ月入院し、何度も祖母のお見舞いに行きました。意識がないまま、横たわる祖母の姿を見るうちに、祖母の望みを思い出し、医師になることに少しずつ興味が湧いてきました。祖母は結局、意識が戻らないまま亡くなりましたが、このことが影響して、進路を決めるにあたり、とりあえず医学部を目指すことになりました。当時は世の中にある色々な仕事を知らなかったというのもあり、他になりたい仕事が見つけられなかったことも理由に挙げられます。
さらに翌年、高校2年の冬に阪神大震災が起こり、自宅が全壊します。すぐに近くの家に引っ越すことができましたが、しばらくは生活のインフラも安定しませんでした。学校や部活はなくなり、他の同級生が毎日何をしているのか分からず、不安な日々が続きました。そんな状況で、塾の自習室へ黙々と通うサッカー部の同級生“木村君”がいました。彼は元々成績が良かったにもかかわらず、学校がない間も黙々と勉強を続けていました。それまでは勉強に身が入らなかったのですが、彼を見て、そろそろ勉強をしなければと真剣に思うようになりました。その頃から、毎日塾の自習室に通い、何とか神戸大学の医学部に入学することができました。あの時、木村君から刺激を受けていなければ、大学に合格できていなかったと思います。
――どのような大学時代を送られたのですか?
サッカー部に入部したのですが、高校時代に大阪府や県選抜を経験しているような先輩がいて驚きました。同期にも大阪の北野高校出身の“尾原君”という文武両道を体現するような友人がおり、彼の部活に対する姿勢には大変刺激を受けました。この頃の神戸大学医学部には『 部活 > 勉強 』といった雰囲気があり、サッカー部にも留年を経験している先輩が2-3割はいました。1年生の後期に、絶対に落とせない必修のドイツ語のテストがありました。試験前日のサッカー部の練習がありました。部活後、ちゃんと勉強すれば良かったのですが、誘われるがままにサッカー部の同期、先輩と食事に行ってしまいます。その影響もあり、サッカー部の同期全員がそのドイツ語の試験に落ちてしまい、1年目の冬にして留年が決まってしまいます。その時はショックもありましたが、他の試験を全て通していたため、何の役にも立たないドイツ語1単位で留年になるシステムに怒りを覚えていました(その後の医師人生でドイツ語が必要となった場面は全くありません)。
気持ちを切り替えて、この一年をどう使おうかということを考えました。4月から10月は全く授業がありませんので、ワーキングホリデーか海外放浪でもしようかと思いましたが、サッカー部の先輩にも止められ、結局1年間バイトをしつつ、英会話を始めることにしました。それも英語ができたらかっこいいという安易な動機でした。約1年間、弁護士事務所や喫茶店、中華料理屋で働きつつ、英会話の勉強をして過ごしました。結果として、この年の西医体で20年ぶりに優勝することができたため、日本に残ってよかったと思っています。その後も毎夏の西医体終了後に、英語圏(ロサンゼルス、ロンドン、マルタなど)に短期留学を繰り返し、英会話を続けていました。
医学部6年生(7年目ですが)になり、神戸大学が初めて、外病院実習の一環として、ハワイ大学への短期留学を募集します。当時、「ER」というテレビドラマを見ており、アメリカの医療現場に対する漠然とした憧れはありましたが、臨床留学を目指しているわけではありませんでした。むしろ、ハワイで1ヶ月暮らしたいというのが主な動機で、ハワイ大学への短期留学に応募します。このハワイ留学には応募者が複数いたため、これまでの成績とTOEFLの合計で、派遣される学生が決定されることになりました。学業成績は下の下でしたが、TOEFLで何とか挽回し、ハワイ大学に行くことができました。留年したおかげで始めた英語が思わぬ形で自分を助けてくれました。
留学する前は米国の医学や臨床留学についての知識はほとんどありませんでしたが、ハワイ大学で米国の臨床や医学英語に触れ、自分の臨床レベルと英語力の低さに衝撃を受けます。特に米国の医学生の知識の多さには本当に驚きました。米国の医学生は1年生から勉強が生活の中心で、バイトやクラブが生活の中心であった私とは全く異なるものでした。留学中は、幸運にも藤谷茂樹先生(聖マリアンナ医科大学 救急医学 教授)と岸本暢將先生(杏林大学 リウマチ膠原病内科 准教授)という素晴らしい先生方の下で1ヶ月勉強させていただき、日本人が米国で臨床医として活躍している姿に感銘を受けました。ここで初めて、臨床留学を意識します。とはいうものの、それまでバイトやクラブに明け暮れていたため、日本の医師国家試験の勉強が第一で、USMLEの勉強をする余裕はとてもありませんでした。
――その後、大学の医局に所属せずに市中病院での勤務を選ばれています
研修義務化の1年前の世代でしたので、まだ、大学に残る同期もたくさんいました。臨床留学をするなら、外病院の方が良いと思い、いくつかの病院をアプライします。その時点で神戸に25年も住んでおり、中学高校の友人はほとんど東京にいたので、関東へ行こうと思いました。臨床留学で当時から有名な亀田総合病院に迷わずアプライしましたが、人気が高く、事前見学ができませんでした。11月の試験当日に初めて鴨川市にある病院を訪れたのですが、その時に鴨川市が東京から相当離れていることに気づきました。たまたま、亀田総合病院の試験の前日に時間があったため、中学高校の親友である“二階堂君”が勤務する東京都済生会中央病院も受けることにしました。済生会中央病院は民生病棟という路上生活者を受け入れる病棟があり、そこでは専門医の指導の下、若い医師が中心となって病棟のマネジメントをしており、珍しい症例もたくさん経験できます。また、済生会中央病院は東京タワーにどの病院よりも近く、”大東京”を肌で感じられる病院でした。亀田総合病院と済生会中央病院の両者で相当迷いました。臨床留学を真剣に考えるなら、亀田に行くべきなのは頭で理解していましたが、最終的には“東京のど真ん中”にある東京都済生会中央病院で研修をすることにしました。
済生会中央病院での研修は内科が中心で研修病院としての歴史も長いため、すごく充実していました。ただ、研修が忙しいのと、東京の生活が楽しく、1年を経った頃には臨床留学のこともすっかり忘れかけていました。2年目の後半に差し掛かり、後輩の研修医の“山田君”が臨床留学を目指しているのを偶然知ります。これに刺激を受け、自分ももう一度頑張ろうと思い、USMLEの勉強を始めました。小児科と産婦人科という比較的楽な科があったため、昼も夜も図書館にこもり、2か月の勉強後、STEP1を受けました。山田君がいなければ、臨床留学の勉強を再開していなかったかもしれません。余談ですが、山田君もその後小児科医として臨床留学し、現在は帰国して小児感染症専門医として活躍しています。
――USMLE STEP1に向けてどのように勉強されましたか?
ひたすら「First Aid」と「USMLE World」を解きました。昼間は研修の合間に、夜は3時くらいまで勉強していました。正直、あまり点数のことは考えておらず、とにかく2か月集中してやろうとしか思っていませんでした。結果、合格はしましたが、かなり低い点数となってしまいました。私より低い点数で合格した人はほとんどいないと思います。
循環器内科医として手技を磨く
臨床留学を目指していたものの、留学できる保証もなかったため、とりあえず、一人前の循環器内科医になろうと思い、済生会中央病院で3年間の後期研修を受けることとしました。宇井進部長や中川晋部長のもとで、一般循環器内科、主に冠動脈インターベンションを学ばせて頂きました。5年目にはチーフレジデントも経験させて頂き、民生病棟では研修医とともに勉強することができました。
――不整脈をご専門に選ばれたのはなぜでしょうか?
循環器内科の研修を始めた頃は、5-6年目の若手の先輩が、虚血性心疾患への冠動脈インターベンションやIABP(大動脈内バルーンパンピング)、VA-ECMO(PCPS)の留置などを一人で行うのを見て、こういった手技ができて初めて一人前の循環器内科医だと思っていました。そういった先生方の指導で、5年目になり、緊急の冠動脈疾患の治療もある程度できるようになりました。その頃、慶応義塾大学の教授でいらっしゃった三田村秀雄先生が済生会中央の副院長として赴任され、慶応義塾大学の先生方の下で不整脈のアブレーションの治療を学ばせていただく機会が増え、今度は不整脈が面白いと感じるようになりました。ただ、不整脈を学ぶからには不整脈治療を専門的に行なっている病院に異動する必要がありました。また、臨床研究を行い、学会発表や論文執筆をしたいという思いもありました。当時も今も、不整脈治療を高いレベルで学べる病院はほとんどが大学病院もしくは医局の関連病院です。ただし、医局に一旦入ってしまうと自分のタイミングで留学などできなくなります。ですから、医局に無関係でかつ症例数が豊富、そして臨床研究もできるという条件で病院を探しました。その条件に唯一合致したのが大阪吹田市の国立循環器病研究センター(以後、国循)で、吹田市も地元に近かったので迷わず応募しました。国循の不整脈部門には、世界でも有名な先生が数多くいらっしゃり、また、医局との関連もありませんでした。選考手続きを経て、幸いにも6年目から専門修練医に採用してもらうことができました。実は、研修医2年目にも国循に見学に来たことがあり、国循でいつか働きたいと思っていました。
――国立循環器研究病院の印象はどうでしたか?
国循のトレーニングは屋根瓦方式で、レジデント(内科研修を終えて、3年目以降の医師が循環器全般を学ぶ)と専門修練医(一般循環器を修了した後に、不整脈や冠動脈疾患、心不全などをより専門的に学ぶ)に分かれています。専門修練医やレジデントに来ている同世代や自分より若い先生たちはやる気に満ち溢れ、すごく刺激を受けました。また、不整脈部門における臨床や研究のレベルは非常に高く、鎌倉史郎部長や清水渉部長を始めとする素晴らしい指導医の先生方および同期や後輩の専門修練医やレジデントに恵まれ、循環器の研修するのには最高の環境でした。市中病院で循環器のトレーニングをした私とは違い、国循のレジデントを経験している“山形君”という同期は心不全、心移植や遺伝性心疾患などへの知識や経験も豊富で、彼を見て、国循でレジデントをすればよかったと思ったほどです。専門修練医の間、臨床のトレーニングだけでなく、研究の機会も与えて頂き、毎日真夜中まで病院に残って研究をしていました。また、留学に向けてお金も貯めなければいかなかったので、それ以外の時間は大阪中の色々な野戦病院でバイトをやり、かなり忙しい毎日でした。
――その頃、臨床留学の準備もされていたのですか?
USMLEのSTEP2-CKは済生会の循環器研修中にまたもや低得点でパスしました。この時はもはや高得点も目指さずパスすることだけを考えていました。残念ながら、STEP2-CSは二度落ちました。シカゴにあるKaplanに通い、そこでの模擬試験でも「合格できる」と言われた上で落ちたので、結構ショックでした。ロサンゼルスでSTEP2-CSを受けるだけでも、受験料と渡航費、ホテル代などを入れると40万円ほどかかるのでそれも結構痛手でした。最後は、Berlitzという英会話の予備校でひたすら模擬練習をしたうえで、できるだけアクセントを直しました。それでもアクセントを完全に矯正するのは難しいので、ゆっくり話すことを心掛けて、ようやく3回目でパスすることができました。結局ECFMG(米国で臨床研修に参加するための資格)を取得できたのは卒後7年目でした。
河田 宏
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