記事・インタビュー
アメリカ、オレゴン州にある病院で循環器内科医として活躍する河田宏先生。日本とアメリカ、合わせて15年にわたるトレーニングの経験を積み、不整脈治療のスペシャリティを獲得されています。第2回はアメリカで無給のリサーチフェローとしてスタートし、不整脈フェロー、内科のレジデント、循環器フェローを経て、不整脈専門医として勤務するまで、日米のトレーニングの違いなどをお聞きしました。
<お話を伺った先生>
河田 宏(かわた・ひろ)
日本循環器学会専門医、米国内科、循環器、不整脈専門医
念願のアメリカ臨床留学へ
――アメリカにはリサーチフェローとして行かれたそうですね
国循での不整脈専門修練医としての2年のトレーニングが終わりに近づき、次の就職先を見つけなければなりませんでした。日本で就職するという選択肢もありましたが、今、留学に挑戦しなければ、どんどん遅れてしまうと思い、とりあえず米国に行くことにしました。不整脈リサーチフェローから不整脈クリニカルフェローに移り、米国で臨床を始めたという日本人の先生を何人か知っていたため、あわよくばECFMGを使って、クリニカルフェローに潜り込もうと思っていました。
幸いにも当時、University of California, San Diego(UCSD カリフォルニア大学サンディエゴ校)で不整脈のクリニカルフェローをされていた齋藤雄司先生を前述の藤谷先生から紹介していただきました。齋藤先生は見ず知らずの私の、向こう見ずな夢に耳を傾けてくださり、不整脈部門責任者のFeld教授を紹介してくださりました。米国不整脈学会の会場でFeld教授と面談後、無給のリサーチフェローとして採用されることが決まりました。それまでにもFeld教授のもとで齋藤先生や岩佐篤先生(新東京病院)が指導を受けており、日本人への信用が高く、留学が実現したのだと思います。とはいえ、無給であれば、どんなに有名な施設でもリサーチフェローとして留学するのは難しくありません。全米のトップ施設ですら、経験のある日本人が無給で留学したいと言えば、多くの場合、採用に至ります。
経験された方は分かると思いますが、無給は経済的にも精神的にも大変です。留学前に日米医学医療交流財団から80万円もの貴重な奨学金を頂きましたが、家族の渡航費でほぼ消えてしまいました。サンディエゴは生活費が高く、家賃だけでも月$2000(約20万円)以上します。妻子を連れての生活は大変で、留学当初は生活困窮者に与えられる食料引換券を支給されていたほどです。カリフォルニア州サンディエゴは全米でも住みたい街ランキング上位に選ばれる都市ですが、お金がなかったせいか、この頃にあまりいい思い出はありません。1日いかにお金を使わずに過ごせるかということばかり考えていました。例えば、スターバックスでコーヒーを買うなんてことは全くできませんでした。これほど、お金がないと心も貧しくなっていきます。この頃を耐え忍んで、支えてくれた妻には本当に感謝しています。
(写真左から)マイアミ州オーランドで行われたAHAで鎌倉 史郎部長と神戸大学同期でペンシルバニア州Temple大学で心臓外科医として活躍している砂川 玄悟先生と一緒に/UCSD スルピィツィオ心臓血管センター/USCDのアブレーション中 Feld教授と
――どうやって就職先を見つけられたのですか?
2010年の7月から始めた無給でのリサーチフェローも半年が経過すると、ほぼお金が底をつき、これ以上は無給で暮らすのが無理だということになりました。既に、ECFMGも持っていましたので、不整脈(Electrophysiology:EP)クリニカルフェローとして採用してくれるプログラムを探しましたが、こちらで内科のレジデンシーおよび循環器のフェローシップを経験していないため、簡単ではありません。全米のプログラムにメールを出し、実際、NY州の大学病院においては面接までこぎつけました。採用したいと言われたのですが、NY州のライセンスを取得するのに半年ほどかかることが分かり、話がなくなってしまいました。
その年の3月には長男が誕生するため、急遽、東京に一時帰国しました。長男が生まれた3日後に東日本震災が発生し、しばらくアメリカに戻れなくなりました。ようやく4月頃にサンディエゴに戻りましたが、先行きは暗く、帰国も考えていました。そんなある日、突然、Feld教授からUCSDの不整脈クリニカルフェローに7月から採用したいと連絡を受けました。なんと正規の不整脈フェローのポジションに急に空きが出たのです。不整脈フェローに内定していた循環器フェローが進路をインターベンションに変え、不整脈のポジションをキャンセルしたのです。こんなことは先にも後にもUCSDではありませんので、本当に幸運でした。無給でも、臨床研究を続け、カンファレンスなどで積極的に発言し、不整脈の知識をアピールしていたことも、採用につながったのかもしれません。
――その後、内科のレジデントになられたのは、どういった経緯からですか?
2年間の不整脈のクリニカルフェローを修了したとしても、アメリカの医師免許はおりません。基本的には正規のレジデンシーを修了しないと州の医師免許はおりません(何年の研修が必要かは州によって異なる)。この時点で、日本に帰国するか、アメリカでレジデントをやり直すかのどちらかしか選択肢がありませんでした。とは言っても、自分のUSMLEの点数ではレジデンシーのポジションを得られる可能性も低いため、ダメもとでとりあえず応募することにしました。
――またレジデントとしてスタートすることは覚悟がいったのではないでしょうか
同年代の日本人の医師からは、「よく最初から頑張るなー」と言われることもありましたが、価値観は人それぞれですし、日本に帰るよりも、こちらでうまくいくかどうかも分からない道のりの方がチャレンジングで面白そうに思えました。決められた道を行くよりも、自分で道を見つけていく方が向いているという自分の性格も分かっていました。また、自分が英語で苦労した分、子供には小さい頃から英語を学んでほしいという気持ちもあり、アメリカに残ることにしました。
――マッチングでは苦労はありましたか?
そもそも、有名なプログラムは外国人を採用しません。実際、フェローとして働いていたUCSDで、内科のレジデンシーのプログラムディレクターを不整脈のFeld教授から紹介していただき、面接を受けさせてもらえましたが、そのプログラムディレクターには外国人を採用することはほとんどないと言われました。一般的に、外国医学部卒業生(International Medical Graduate: IMG)を採用するプログラムはIMG Friendly Programと言われます。レジデンシー応募の際には全米のレジデンシープログラムの中からIMG Friendly Programに40個ほど応募しました。こういったプログラムには、外国人もしくはアメリカ人でもDO School(アメリカにはDoctor of Osteopathy(D.O.)の学位が授与されるOsteopathic Medical school(OM)がある。OMでは通常の医学教育に加え整骨医学に相当する分野の教育が含まれる。) やカリブや海外の医学部を卒業したレジデント大半を占めます。このようなプログラムでも10-15人程のポジションに3000通を超すアプリケーションが届きます。それら全てに目を通す時間はありませんから、卒後年数(5年以上)、ビザ必要者、USMLEの点数で足切りされます。私の場合もほぼすべてのプログラムで足切りになったと思います。
――では、先生はどのようにしてマッチングに成功されたのですか?
応募したプログラムのプログラムディレクターに分かる範囲でメールを出しました。勿論、99%返事すら返ってきませんでした。私はあるオハイオ州シンシナティのプログラムには間違って、前のプログラムディレクターにメールをしてしまいました。この方は、プログラムディレクターを辞めた後、内科部門のトップに出世されていました。何が起こるか分からないもので、内科のトップの方が、偶然メールを読んでくださり、不整脈のフェローをやっていることに興味を持ち、現プログラムディレクターに推薦してくださいました。結局インタビューに呼ばれたのはそのプログラム一つだけでした。マッチングの発表の日もあまり期待せずに待っていましたが、運よくマッチして、2015年の7月からシンシナティでレジデントを始めることができました。
――レジデント期間の思い出は?
写真にもあるように私のプログラムにはいろんな国の人がいました。アメリカ人、ドミニカ人、インド人、パキスタン人、エジプト人、シリア人、イラク人、ナイジェリア人、ウクライナ人、ロシア人、中国人、韓国人など。日本にいたら、こんな国際色豊かな環境で仕事をすることはなかったと思います。ロシアがウクライナに侵攻した際には、ロシア人とウクライナ人の仲が悪くなり、本当にお互い口を利かなくなりました。イラク人の友人は、イラクでの紛争中に同級生が何人も殺されたと言っていました。シリアの友人は故郷が戦争の場となっていることに心を痛めていました。色んな事情、思い、夢を持って、祖国からアメリカに必死の思いでやってきているわけです。そんな彼らと仕事ができたことは私の財産ですし、これを経験するだけでもアメリカで臨床留学をした価値があると思っています。
(写真左から)Good Samaritan病院の研修医たち、ヨルダン、ナイジェリア、日本、ロシア、アメリカ、ドミニカ共和国、リビア、イラク、ウクライナ、イラン、ハイチ、エジプトと様々な国から来ている/UCアーバイン医療センター、アーバインはアジア人も多く、天候にも恵まれており、治安も全米一と言われており、過ごしやすい街であるが、物価は高い。/UCアーバインの循環器フェローと
――先生は内科のレジデント期間を1年短縮されたそうですね
日本で内科を3年以上経験していると、1年短縮できる制度があります。レジデントに応募する前からそれを知っていましたが、最初からそれを言い出すと心証が悪くなるので、他の内科のレジデントに心電図のレクチャーなどをして、プログラムディレクターにアピールをしました。数カ月経ってから満を持して相談したところ、” you are overqualified(お前にレジデントは3年も不要だという意味)”と言われ、1年間短縮してもらえました。
――診療に対する日頃の姿勢も評価されたのですね
アメリカでは医師は定時で帰りますし、自分の仕事以外のことはやらない分業制がとられています。私は日本でトレーニングを受けたせいか、自分のオーダーした結果を見ずに帰ったりすることに抵抗がありました。申し送り制度はありますが、完璧ではありません。受け渡し事項がうまく伝わっておらず、翌朝来たら前日の夕方に出た大切な検査結果を誰もフォローしていないことや、伝達不足で食事が止められておらず、翌日の手術がキャンセルになるなどということもよくありました。また、学年が上になると、さぼりがちになり、午後になると姿を消したりするレジデントやフェローはたくさん見てきました。“郷に入れば、郷に従え”ですし、他人に自分のやり方を強要することはできませんが、自分はできる限り、日本で身に付けた、自分の仕事、自分の患者に対しては責任を持つという姿勢を崩さないようにやりました。アメリカでは日本人は評価されていると私は感じます。その評価はそういった日本人の真面目さ、責任感から来ていると思います。
――その後、循環器フェローシップに応募されたのですか?
本来ならば、内科のレジデンシーを3年、循環器(Cardiology)のフェローシップを3年間行った後、不整脈のフェローシップに進むことができます。(図米国の循環器トレーニングパス)私の場合は、不整脈のフェローから始めたため、内科のレジデンシーを終わった後、循環器のフェローシップに応募する必要がありました。内科のレジデンシーを2年に短縮したため、レジデントを開始して、次の夏(内科レジデント2年目)にはもう循環器フェローシップへの応募が始まりました。不整脈のフェローシップの経験や研究の実績があるため、今回は内科のレジデンシーに応募した時よりはたくさんインタビューに呼ばれると思っていましたが、そんなことはありませんでした。
結局、内科のレジデンシーと同じで、USMLEの点数と卒業年数である程度足切りを行うので、コネがない限り、私のアプリケーションに目を通しません。ですから、呼ばれたインタビューは5つだけで、すべて何らかのコネクションがあるプログラムでした。不整脈フェローを修了したUCSDに戻りたかったので、UCSDをマッチングの1位にランクしました。ランキング順位提出の前日にUCSDの循環器のプログラムディレクターから「君を上位にランクした(から君もUSCDを上位にランクしなさいという意味)」というメールをもらっていたので、UCSDにマッチできると思っていました。(本来、こういったやり取りは禁じられているのですが、プログラム側もランク上位の候補に来てほしいので、こういったメールを送ります。規則違反になるので、向こうもポジションを確約したりはしません。)
てっきりUCSDに行けるかと思っていましたが、ふたを開けてみればUCSDではなく、同じ南カリフォルニアにあるUniversity of California Irvine(UCI)にマッチしていました。どうやらUCSDはポジションの数よりも多くこういったメールを候補者に送っていたようです。UCIもカリフォルニア州のオレンジカウンティ―という治安も良いエリアで、日本に近い西海岸でしたし、住環境としては良かったです。
日米のトレーニングの違い
――日本で7年、アメリカで8年のトレーニングを受けられて、どのような違いがありましたか?
日本では専門医の数に制限がありません。ですから、なりたい専門医のトレーニングに進むことができます。逆にアメリカは人気が高い科は競争が激しく、自分のなりたい専門医になることができない可能性があります。
次に、日本は科目によっては入局が必要となり、どこの病院でトレーニングを受け、どれくらいの経験を積めるかは不透明なところがあります。また、同期が多い場合、症例数に偏りが生じる可能性があります。さらに、1人前になるまでの時間は読めません。医局内のローテーションを通じて様々な病院や指導医から指導を受けることは良いところかもしれません。
一方、アメリカではフェローシップの人数は症例数に応じて決まっているため、経験できる症例数はある程度保証されています。ほとんどの分野でアメリカでのトレーニング中に経験できる症例は日本より多いと思います。外科系や手技が必要な科においてはこの点は特に重要です。ただし、1年から5年といったトレーニングの間に1人前になる必要があります。言い換えれば、フェローシップやレジデンシーを卒業した次の日から、独り立ちすることが求められます。残念ながら、必ずしも、フェローシップを修了した医師が一定のレベルに到達できるわけではありません。アメリカでも手術の成績が悪いと解雇されることもあります。また、不整脈の分野でもアブレーションといった手技を諦めてしまう医師も時々見かけます。
――現在はオレゴン州にある病院に勤務されているそうですね
J Visaを使ってアメリカに滞在していたので、トレーニング期間の7年間が終わったあとは、2年間母国に帰るか、医師が不足している地域に3年間勤務(J Waiver)するという「7 years rule」が設けられています。私はアメリカに残ることにしたので、医師不足地域の中でも比較的日本へのアクセスの良いオレゴン州を選んで、就職を決めました。オレゴンと聞くと年配の人は『オレゴンから愛』というドラマを思い出すかもしれませんが、海も山もあり、自然がいっぱいの土地です。私が住んでいるユージーン(Eugene)という市は、オレゴン州の大都市ポートランドから1時間40分ほどの距離にあり、オレゴン大学(University of Oregon)という大きな大学があります。ナイキ(Nike)社創業の地でもあり、アメリカ陸上競技の街として知られ、来年(2021)には世界陸上が開かれます。
――日本とアメリカ、どちらが働きやすいですか?
一概に比べるのは難しいですが、働きやすさでいうとアメリカでしょうか。よく言われるようにオンオフがはっきりしています。多くの医師は17時までにはいなくなります。私の場合は、仕事が遅いせいもあり、18-19時まで残るということが多いですが、日本にいた頃のように、21時や22時まで残るということはほとんどありません。家族との時間は日本よりも多く持てると思います。医師の給料はアメリカの方が日本より一般的には高いですし、専属の医療事務(Medical Assistant)や看護師、フィジシャンアシスタント(Physician assistant :PA)がいるため医師が医師にしかできない仕事により集中できるような組織になっています。
――最後に、若手の医師・医学生に向けてメッセージをお願いします
臨床留学に関しては、USMLEの点数も悪いですし、あまり正攻法でここまで来たわけではないため、若い先生にアドバイスできることはあまりありません。早めにUSMLEの勉強を始め、5年目までに応募するのが王道だと思います。ただ、フェローから始めても、運が良ければ生き残ることは可能です。
臨床に限らず、留学して、異なる国に住み、様々な国籍の人と働くということは人生において、なかなか経験できるものではありませんし、自分と家族にとって大きな財産になると思います。家族や家庭の事情で留学をしたくてもできない人もたくさんいます。留学を目指せるというだけでも幸運だと思います。
臨床留学に関しては、成功体験記はたくさん世に出ています。その裏でうまくいかなかった、臨床留学を諦めたという先生もたくさんいます。本当に臨床留学したいなら、諦めない。これは大切です。一方で、臨床留学を目指しても、必ずうまくいくとは限りません。諦めないという意識とは少し矛盾しますが、失敗しても日本で医師として頑張ればいいんだという意識も大切だと思います。これは、留学に限らず言えることですが、医師免許があるということは他の職業に比べても大きなメリットなので、リスクになると思われるような行動も自分が思っているほどリスクではないということです。留学もそのうちの一つだと思います。ですから、若手の方には、留学に限らず、やりたいことが見つかったら、積極的にチャレンジしてほしいと思います。目標が決まったら、それに向けて目の前にあることをひたむきに取り組んでほしいと思います。
(図)米国における循環器トレーニングパス
(写真左から)UCアーバインのヘリポートで移植患者の搬送後/ピースヘルスリバーベント病院/クレーターレイク オレゴン
河田 宏
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