記事・インタビュー
※ドクターズマガジン2019年9月号に掲載された内容です。
#03 多様性の街で
この連載がモントリオールを留学先に選んでみよう、次の旅の目的地にしよう、という、お会いしたことのない誰かのきっかけになったら、それは嬉しい奇跡です。そして、きっかけなんてそういうものだということを私は知っています。また、臨床や研究で痛みに携わってみようかなとか、確かに痛み分野でも社会医学は基礎医学および臨床医学とクロストークできるかもしれないねと支持してくださるともっと嬉しいです。
世界は親切と配慮にあふれている
【英語で銀行口座を開設する】英会話教材のセッティングでよくあるものの、自分の人生にはまず登場しない場面だと思ってました。決死の思いで(大袈裟!)一大イベントを無事に終え、感激したのが、知的で話の分かる黒人のお姉さん(お名前をFlorenceさんといった)がカラフルで小さな付箋や蛍光マーカーを丁寧に使って、細やかに書類に印をつけながら手続きを進め、最後はATMまで付き添って操作方法を親切に教えてくれたこと。一事が万事といいますが、いま振り返って序盤に出会った彼女がこの街の民度を体現してくれていたように思います。欧米は個人主義でクールかつドライだという話で気構えていたんですが、当然人による!という。カナダ人は人とぶつかっても「sorry」と謝ります。これを自虐ネタとした「sorryの国カナダ」Tシャツも見かけました。冬の寒さが厳しすぎるので人間同士が仲良く協力しないと生きていけないからでは? と文化人類学の研究者に尋ねたところ、実際学術的にもそういう見解があるそうです。つまり、冬の極寒が共通敵であり、諦めに似た寒さの受容が醸し出す人間味です。そして、移民が多く、かつバイリンガルなこの街では、人々が拾える周波数や言語に対する許容の幅が広いとみえて、私の下手な英語をことごとくキャッチしてくれるので語学が堪能になった錯覚ができ、自信をくれます(その後、別の街で撃沈することになる)。
私はフランス語=格好いいという理由だけで、Doctorをフランス語読みしたDocteur. Keikoで始まるメールアカウントを10年以上日本社会で気取っていたんですが、この度フランス語の街で銀行の彼女や不動産契約を通して「あんたフランス語分からんってゆーてんのに、メアドが自称どくとるケイコ(ケイコ博士)て!オモロイやんか(意訳)」と笑い飛ばされるという超恥ずかしい仕打ちに……これを自戒とすべく“どくとるケイコ” をコラムのタイトルにもってきました。フランス語も徐々に頑張っています。
痛みの研究環境もダイバーシティ
私の所属ラボはMcGill大学のAlan Edwards Centre for Research on Pain(AECRP)で、ここには痛みを題材とする研究者が約150人も所属しており、研究者たちの所属は医学部だけでなく、私が所属する心理学科や、基礎系学部などなど、さまざまに及んでいます。また、痛みの研究組織はMcGill大学内だけで完結せず、モントリオール市内の複数大学や、ケベック州全体でネットワークが構築されており、私にはまだ全貌が見えていません。個別の分野同士は折り合いをつけながら理解し合うのが難しい面もあるようですが、痛みの研究ネットワークという意味で日本とは圧倒的な差があることは明らかです。
実をいうと、この街においても私がやろうとしている、公衆衛生的な考え方を導入しつつ、ビッグデータも使った疫学的な手法と計量心理学を融合して神経科学にも食い込みながら痛みの研究をしましょうという「合わせ技一本」方針に完全一致する研究者にはまだ出会えていません(いたらご一報を!)。しかし、ケベック州の学術界では痛みを研究対象にすること自体が市民権を得ており、また、個々の研究パーツを理解してくださる学術的深みが段違いで、そこが私にとっての居心地の良さです。
価値観を否定しないということ
多様性に大切なのは、価値観や行動様式が違う相手への完全理解を目指すことじゃなくて、理解が伴わなくても違いを否定しないことじゃないかと最近よく思います。その点において私は、臨床研修、その後の麻酔科勤務医時代、大学院で研究を始めて以降と日本でのキャリアを通じて、異端の傾向にある私の在り方を否定せずに受容し、自由にさせてくださる組織や上司に恵まれて育ちました。そんなことにも気付かせてくれるこの多様性の街。
次回以降はこの辺りをもう少し掘り下げつつ、私自身のカナダでの研究内容も詳しくご紹介しようと思います。
山田 恵子(本名)Keiko Yamada
McGill大学心理学科ポストドクトラルフェロー
日本学術振興会海外特別研究員
山田 恵子