記事・インタビュー

2019.12.25

未知なる感染症との出会いに導かれて

関西空港検疫所 検疫課長
上野 健一

2002年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行が確認されて以降、新型インフルエンザ(現インフルエンザA H1N1pdm)〈2009年〉、MERS(中東呼吸器症候群)〈2013年〉など新たな感染症が海外で流行し、国内でも大きな話題になりました。特に2009年の新型インフルエンザは、日本を含む全世界でパンデミックとなりました。私の人生は、この未知なる感染症との運命的な出会いによって、大きく変わりました。

大学病院でのSARSとの出会い

私が研修医として大学病院での勤務を始めた2002年、SARSが発生しました。中国の初発例を発端に、9ヶ月間で全世界32の国々に拡大し、日本国内では一類感染症に指定された時期もありました(現在は二類感染症)。当初はクラミジア肺炎が集団発生しているという報告であったものが、新型コロナウイルスが原因の新興感染症であることが判明し、世界中で大きな話題となりました。

正直なところ、私は学生時代から感染症分野について強い興味を抱いたことはなく、海外で発生している感染症についても、講義で学んだ以上の知識はありませんでした。日々の研修医業務に追われていたこともあり、SARSが発生したという話題についても、海外の感染症は日本には関係ないという思い込みがあり、関心は薄いものでした。

しかし、SARSの世界的な流行に伴い、院内感染防止対策として医療機関の敷地内にテントが設営され、テント内で発熱患者のトリアージが行われました。防護服に身を包んだ医師が発熱患者の診察や検査を行う姿は映画でしか見たことがなく、これまで感染症分野に興味がなかった研修医にとっては衝撃的な光景となりました。

保健所での鳥インフルエンザとの出会い

世界中がSARSの対応に追われた光景に衝撃を受け、私は2005年、保健所で働く決意を固めました。保健所の業務は学生時代の実習で感染症対策を経験したことがあり、ふとそれを思い出したからです。

臨床医から公衆衛生医師になることについては先輩や友人からいろいろなアドバイスを受けて悩みましたが、「感染症対策」と「健康づくり対策」に取り組みたいという気持ちが強くなったため、人生の新たな一歩を踏み出しました。保健所の健康づくり対策については、高校生時代に父親が生活習慣病で他界(高血圧に伴う脳出血)したこともあり、実習で予防医学としてのさまざまな施策に興味を持っていたことも一因となりました。

保健所で勤務を始めた翌2006年、鳥インフルエンザA(H5N1)が指定感染症に定められました。この頃から、鳥インフルエンザウイルスが変異して新型インフルエンザが発生し、パンデミックを引き起こすという議論が世界的に活発になり、勤務していた保健所においても行動計画を策定するように指示を受けました。行動計画を策定するに当たっては、他部署とも調整を行いながら作業を進めましたが、当時は新型インフルエンザの発生について懐疑的な意見も多く、話がなかなか進まなかったことは今でも強く印象に残っています。

パンデミックによる検疫所との出会い

指定感染症であった鳥インフルエンザA(H5N1)は2008年、二類感染症に追加されました。懐疑的な意見が根強く残る中、新型インフルエンザ対策の準備が全国的に進み始めていた矢先、今度はSARSに続く世界的な大事件「新型インフルエンザパンデミック」が発生しました。2009年のことです。しかも、以前から予想されていた鳥インフルエンザウイルス由来ではなく、豚インフルエンザウイルスが由来となりメキシコから世界に感染が拡大したことは、誰も予想していなかった状況でした。

全世界はもちろん、日本においても新型インフルエンザ対策が強化され、保健所と検疫所が連携して対応する場面もありました。当時の私は、研修等で検疫所という存在を知ってはいたものの、「雲の上の機関」というイメージが強く、この時はまだ、まさか自分が検疫医療専門職になるとは想像もしていませんでした。

検疫所との連携で記憶に鮮明に残っている対応は、発生国からの帰国者情報を検疫所から受け健康状態を確認していたところ、発熱を認めたため、防護服を着用して検体採取を行ったことです。また、同様に情報提供を受けていた複数名の学生(修学旅行で米国に滞在)が帰国後に発症し、集団発生として対応した事例も経験しました。

保健所医師から検疫医療専門職へ

2009年4月末に海外で発生した新型インフルエンザは、わずか数週間で全世界に感染が拡大しました。日本においても2週間弱で国内感染例が報告されるようになり、強化対策は1ヶ月半で終了を迎えることとなりましたが、未知なる感染症がパンデミックになることの恐ろしさを、日本中が経験するきっかけとなりました。2012年には、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が制定されました。

保健所と検疫所は、地方公務員と国家公務員という違いはあっても、感染症対応に従事する点においては、志を同じくする機関です。私は新型インフルエンザ対策の連携を経て検疫医療専門職に興味を抱くようになりました。検疫医療専門職は、水際対策の最前線を担う存在です。より高いリスクに対する施策を医療職の立場から検討・実施することは、医師として非常にやりがいのある仕事ではないかと魅力を感じるようになりました。

そして家族の事情で転居が必要になったことをきっかけに、保健所医師から検疫医療専門職に転職して今に至ります。検疫所では、海外から帰国した方の診察や検査、海外へ渡航する方の黄熱ワクチン接種を行いながら、エボラ出血熱やMERSなどの感染症対策を考える充実した日々を過ごしています。

 

医師免許を取得した後の進路には、臨床現場だけではなく、さまざまな道があります。医師免許を活かせる働き方は、能力や性格を含めて人それぞれです。

未知なる感染症に導かれて検疫医療専門職に従事することになった私の経験談が、検疫医療専門職という仕事を知るきっかけの一助になれば幸いです。

<プロフィール>

上野 健一

上野 健一(うえの・けんいち)
関西空港検疫所
検疫課長

1975年東京生まれ(育ちは兵庫県)。2002年東京医科大学卒業。
2005年から東京都の保健所、2013年から関西地区の検疫所に行政医師として勤務。
2017年社会医学系指導医に認定され、後進の育成にも取り組んでいる

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担当:厚生労働省 医薬・生活衛生局生活衛生・食品安全企画課 検疫所業務管理室 人事・給与係
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上野 健一

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