記事・インタビュー
医療法人財団 岩井医療財団 稲波脊椎・関節病院 会長・名誉院長
稲波 弘彦
SDGsは毎日のように喧伝されています。その17項目の中でも「気候変動に対する具体的な対策」すなわち地球温暖化対策は人類の生存に深く関与する項目であろうと思われます。しかしそれをわが身のこととして実感し、本気で取り組んでいる人は稀でしょう。地球温暖化の様々な兆し、すなわち突然の豪雨や酷暑などの異常気象を経験し、あるいは南極の氷の減少や大規模な山火事そして絶滅危惧種の増加などは知っていても、それらは徐々に起こり、そして毎日の生活は何とか送れているからです。一方で、この状況はもっと悪化するであろうとも感じているはずです。しかしそれらは対岸の火事の如くであります。
こういった意味で地球温暖化は生活習慣病によく似ています。偏った食事や運動不足そして過度の飲酒などの不健全な日常生活を送っていても、その影響や結果が出るには長い年月がかかります。しかし臨界点を超えたときには雪崩のように激烈に襲いかかってきます。同様に地球温暖化の影響も慣れを伴ってじわじわとやってきます。しかし実感した頃には時既すでに遅し、ミネルバの梟は黄昏に飛び立つのであります。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によれば、これからの100年間で地球の平均気温は1・8度から最大6・4度まで上がる可能性があるそうです。最後の氷河期から産業革命前にかけて、平均気温は約3~8度上昇したとされていますが、この間に生じた気温変化は約10万年というサイクルの中で起きてきた自然現象です。それに比べ、人類による地球温暖化はあまりにも短期間で起きているので、多くの野生生物が環境の変化についていけず、減少・絶滅するおそれが極めて高いのだそうであります。そしてその連鎖はわれわれの生存そのものにも大きな脅威を与えずにはいられないでしょう。
当財団では2000年から省エネ推進と職員ならびに患者さんを対象とした啓発活動を始めました。2008年には国連を通じて二酸化炭素の排出権を購入してカーボンオフセットの組織となりました。また2019年4月にはSDGsを推進しているGlobal Compact Japan に医療機関としては日本で最初に認可され、加盟しました。それらは私共の先見性を物語るものではありません。たまたま宇沢弘文先生に頂いた何冊かの中に『地球温暖化を考える』という著書がありました。その中には「急激な温度変化は、激しい異常気象などに加え、温度変化に適応できない植物の絶滅とそれに連鎖する動物種の絶滅を招く可能性が高いのである」と書かれていました。いわば生活習慣病の末路を明示された如くであります。その、ある種の恐怖が私共を環境保全に向かわせたのであります。一昔前、癌検診を勧める為の「癌は怖いものである。だから検査を受けましょう。」という啓発方法には批判がありました。しかし地球温暖化に関しては、その怖さをもっと知らしめる方向が必要なのではないでしょうか?
六朝時代の陳延之の『小品方』に「上医医国、中医医民、下医医病」の語があります。「上医は国を医す」、それは必ずしも国政に携われ、ということではないかもしれません。幸いにもわれわれはヒトの健康に携わる仕事を行い、周囲にも同じ目的意識を持った看護師や種々のコメディカルがいます。これらの人々と力を合わせて患者さんを啓発し、地球温暖化を防止し、環境保全を行っていくことは上医への道であろうと思われます。
生活が壊滅的な脅威にさらされることは、随分と先のことでありましょう。子供、孫、いや、ひ孫の時代かも知れません。しかしこの債務を子孫に残すべきではありません。次世代の地球環境を想像し、世界が向かっている方向を変える必要があるのでしょう。そして現在を変える力を持っているのはわれわれなのであります。
医療人には、不摂生の結果を予測できる多くの知識と経験が備わっています。そしてそれらは想像以上に他職種の人々に大きな影響力を持っているのです。本誌の読者の大半は今後も医療に携わっていかれるでしょう。しかし毎日の医療、研究、教育などに加えて、地球温暖化防止に向けて同業者の医師やコメディカル、患者さんそして関係ある人々を啓発し、不作為の作為から脱却すべき時なのではないでしょうか?
稲波 弘彦いななみ・ひろひこ
1979年東京大学卒業。同大学医学部整形外科学教室入局、都立墨東病院、三井記念病院、虎の門病院などを経て、1990年医療法人財団岩井医療財団 岩井整形外科内科病院院長、2007年岩井医療財団理事長、2015年稲波脊椎・関節病院理事長・院長、2020年~岩井医療財団 会長、稲波脊椎・関節病院 名誉院長(現職) 2016年3月号「ドクターの肖像」に登場。
※ドクターズマガジン2023年3号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
藤田 次郎
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