記事・インタビュー
淀川キリスト教病院 外科
笹子 三津留
私が兵庫医大の主任教授を退いた翌月の2016年5月から、以前からやりたかったカフェを開きました。患者さんやご家族の大半は、外来で医師との時間を独占してはいけない、と自制されます。しかし、彼等には、医者にこそ聞いてほしいことがたくさんあるのです。以前、告知やインフォームド・コンセントに関するアンケートを行ったところ、それは明確に示されていました。私が通っている御影神愛キリスト教会から理解と協力を得て、場所を提供され、理想的な環境でこのカフェを運営しています。
当初は病理学者である樋野興夫先生が始められたNPO法人がん哲学外来(現在は一般社団法人)に所属して活動していましたが、考え方の違いもあり「メディカルカフェこころのともしび」として独立し、月に2、3回、教会の主催で行うようになりました。私の妻は長年がん看護に携わった看護師であり、男性に話しにくいことも妻が医療者として聞くことができ、まさに二人三脚で行っています。
元々私は口が達者な方でしたが、聞き上手であったかというとそうではありません。このカフェを開いてみて、じっくり聞く、傾聴するうちに、すぐに言い出せなかった思いが最後に出てくるという体験をして、傾聴することがいかに大切であるかをつくづく感じました。言葉にならない思いを汲み取ることの大切さも分かりました。
がん治療の場では、医者が選択肢を示し、各々の利点と欠点を説明し「自分で決めてください」と、突き放すことが当たり前のようになっています。当の医者は突き放しているつもりはなく、正しいインフォームド・コンセントのやり方に従っているつもりですが、多くの患者さんは迷って混乱し、大きな不安を感じるようです。カフェでは、その時点で何をどう迷っているのか、一番大切にしたいものは何か、を考えてくださいと話します。先輩患者さんが有用なアドバイスをくれることも多々あります。
治療の選択では、その人の社会的事情がとても大切なことが分かります。幼い子供を持つ母親、親の介護をしている人、独居の人、その人のこれからの人生が治療によってどう影響を受けるのかは一人ひとり違います。医学的には全脳照射が最適とされる状況でも、最後まで頭脳明晰でいたい、人間として自分らしくいたい、と再発するたびにサイバーナイフで治療を繰り返された方もいました。この方は亡くなる直前、この選択をして本当に良かったと言い残されました。医者はどうしても寿命の長さを優先しがちですが、患者さんから人生観や信条、社会的事情まで十分にお話を伺っているうちに、多くの方は自分で答えを見出されます。
がんの学会では、緩和ケアは積極的がん治療の段階から並行して行うべき、としています。将来の入院を見越して患者さんの地元の病院の緩和ケア科医に併診を依頼すると、断られることがほとんどで、抗がん治療が終了した時に来てくださいと言われます。他院で抗がん治療中の方にまで手が回らないようです。専門医を含めて、それだけ緩和ケアの体制が不足していることが分かります。また、緩和医療の専門家は疼痛管理が得意でも、じっくり傾聴してくれる先生ばかりとはかぎりません。そんな状況ですから、患者さんはサロンで治療情報を交換し、慰め合い、支え合うのですが、支え切れないような不安や痛みがどうしても残ります。WHOのいう痛みには、身体的、精神的、社会的と同時に霊的痛みがあります。死を間近にした女性から夫を赦せない苦しみを訴えられたこともあります。それはもはや社会的というより霊的な痛みでした。この痛みを理解しない医者もいますし、理解したとしても、ケアを誰にお願いしたらよいか見当もつかないと思います。わが国では、スピリチュアルケアの専門家の養成はがん医療の中で最も遅れた分野だからです。
日本人の多くは本当の信仰を持たず、自分の死を間近に迎えると死の恐怖と死後の世界への不安で苦しみます。私自身は魂のケアの専門家ではありませんが、クリスチャンになって以来、多くの書物を読み、たくさんの講演を聞いて勉強を続けています。スピリチュアルな痛みがなくなって、患者さんの魂が安らかな状態で最期を迎えられた場合、ご家族の心の傷は、そうでない場合と格段に違うことが分かってきました。
AIの医療への導入が叫ばれていますが、機械に聞いてもらい、同情され、慰められ、寄り添われて嬉しいでしょうか。改めて医者のあるべき姿を考える時代が来ています。
ささこ・みつる
1976年東京大学卒。1984年フランス政府給費留学生としてパリ大学に留学。1987年国立がんセンターを経て、1989年オランダ・ライデン大学招聘教授就任。1991年国立がんセンター、2007年兵庫医科大学教授、2016年兵庫医科大学特任教授、名誉教授。2018年より現職。
※ドクターズマガジン2019年6月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
笹子 三津留
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