記事・インタビュー
東海大学名誉教授
国家公務員共済組合連合会立川病院名誉院長
東京矯正管区矯正医療アドバイザー・東京矯正管区委員
日本人間ドック学会理事長
篠原 幸人
昨今、医師や医学生のモラルを問う事件が頻回にマスコミの話題になる。大学医学部によっては入試に面接制度を復活したとか、医学部進学に特化したコースを持つ高校では「人間力」を養う授業を開始したとのニュースも見聞きする。
筆者は数年前まで医学部新入生に先輩面をして、「医師としての心構え」を2時間ほど話してきた。その中で、「君たちは患者さんの苦痛を和らげるために医者になったつもりだろうが、医師の仕事の中には、患者さんの死を看取るという重要な部分がある、しかしその詳細は大学の座学ではなかなか教えてもらえない。医学生は今からそれを心しておくべきだ」という内容をテーマのひとつとして話してきた。
多くの医学部の6年間の授業で欠けている、あるいは十分といえない科目には、他にも臨床予防医学や矯正医療などがある。
その一つ、矯正医療は多くの一般医師にもいまだあまり興味を持ってもらっていない。矯正医療とは端的に言えば「犯罪を犯した被収容者に対する医療」である。当然ながら、ごく特殊な場合を除けば、医療費は全額国費で賄われる。
日本の人口が約1億3千万として、その0・04%が被収容者とされる。従って単純計算すれば日本の全医師の中で130人位が矯正医療に携わればよいという考えが成り立つ。2017年4月1日現在、我が国の矯正医官定員は328人であるが、実際に275人の医師が全国の矯正施設に勤務しているから、数の上では一見医師数は充足されているようにも感じられる。
しかし、矯正という言葉から想像されるように、過去には精神神経科の医師が少年院も含めた被収容者矯正の主な担い手と考えられていた。実際に、現在でも矯正医官には精神神経科医が比較的多い。
しかし被収容者にも健康管理が義務付けられる時代である。受刑者の医療は矯正ないし矯正教育という言葉だけでは片付けられない。高齢受刑者や外国人受刑者も増加し、さらに糖尿病・高血圧・脂質異常症などの一次的生活習慣病や、虚血性心疾患・認知症・骨粗しょう症・関節痛・がんなどの二次的生活習慣・生活環境病患者が刑務所内でも激増している。刑務所内の医務室は矯正という従来の言葉のニュアンスでは言い尽くせない状況になっている。その上、刑務所内では一般の患者さん以上に「心と身体の病」の合併患者が多い。
この現在の〝いわゆる矯正医療〞の実態を医学生時代に実体験させ、これも臨床医学の実態の一環であることを認識させることは、ジュネーブ宣言の6項目、特に患者の非差別の項目や、守秘義務・人命の尊重などの実地指導に最適ではないかと筆者は常々考えている。
学生時代にこの社会から疎外視されているともいえる医療にも接し、どのような立場の患者さんにも、医師として正しく対応する術を理解させることは、重要な医学教育の一つであると筆者は思っている。
実際にここ数年来、一部の医学部では、6年間に1〜2時限ではあっても、〝いわゆる矯正医療〞の講義が開始された。しかし試験もない、国家試験の出題範囲でもない講義に学生が興味を持たない可能性は大きく、まして私が重要視する学外実習などはいまだ恐らく存在していないだろう。
殺人などの重要犯罪人になぜ国民の血税を消費するのかの議論もあろう。なぜ、被収容者だけがそのような厚遇を受けるのか、出所した後はどうなっているかとの疑問もあるだろう。しかしそれ以前に、目の前にいる「心も身体も病んでいる一人の患者さん」の気持ちを理解する、理解できる医師を育てることは医学教育を考える上で重要なのではないだろうか。
国側にも従来のしゃくし定規の規則を改める必要がある。今や、生涯現役・80 歳以上定年が叫ばれる時代である。たとえ高齢でも矯正医療に携わろうという志を持つ医師には一般的な定年制などは度外視して協力を求めるべきである。常勤でなければ雇用できない、週5日働かなければ常勤とは認めないなどという規則はさっさと取っ払って、そのような方々にも医学生・看護学生の指導・教育を請うべき時代ではないだろうか。
しのはら・ゆきと
1963年慶應義塾大学卒業。聖路加国際病院インターン後、米国デトロイト・ウェイン州立大学、ヒューストン・ベイラー医科大学留学を経て慶應義塾大学から1976年東海大学医学部神経内科科長就任。1983年教授、東海大学東京病院院長、日本脳卒中学会理事長などを経て2006年立川病院院長。2016年より日本人間ドック学会理事長。
※ドクターズマガジン2018年6月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
篠原 幸人
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