記事・インタビュー
東京女子医科大学 附属膠原病リウマチ痛風センター 所長
山中 寿
3月に初孫が生まれ、私は「おじいちゃん」になった。感慨は大きいが、それ自体が本稿の主旨ではない。
「赤ん坊を乗せやすい最新の車に買い替えよう」。日曜日の朝、そう考えたことから話は始まる。選択肢が多過ぎるのだ。
自動車メーカーが多数ある上、車種も極めて多い。さらに色やシートの形状から内装まで、すべてを購入者が選ぶシステムになっている。「店頭のこれが気に入ったからこれをください」という安直な選択は許されないようだ。車好きならば至福の時間なのだろうが、私にとって車は移動の手段であって、人生の目的ではない。目の前の多様な選択肢を熟慮する気にはなれなかった。販売店のスタッフは熱心にアドバイスし、シートやエアコンのスイッチについての選択を促すのだが、結局何も決まらないうちに日が暮れた。私は「貴重な日曜日を潰してしまった」と後悔した。「選択肢を増やすことが消費者の好みを満たすことになる」と信じて努力されている企業の方々には誠に申し訳ないが、それが実感だった。
最近読んだ本、『選択の科学』(シーナ・アイエンガー、櫻井祐子訳、文藝春秋)を思い出した。現代においては、「選択肢は多いほど良い」と考えている人が多いが、著者のアイエンガーは「必ずしもそうではない」ということを、多くの実験から検証した。
例えば、ある店で試食用のジャムを6種類の並べた場合と24種類並べた場合、前者の場合、試食した30%の客が購入したのに対し、後者の場合、購入したのは3%に過ぎなかった。選択肢が多過ぎると消費者は決められないのだ。また、選んでアメリカ産のジャムを買っても、家に帰ってから「日本産のほうが良かったかも」と思いはじめると、せっかく買った商品に満足できなくなることもあるだろう。新車を選べなかった私と同じである。
とにかく現代は選択肢が多過ぎる。これは薬剤を見てもわかる。降圧薬、糖尿病治療薬、骨粗鬆治療薬など、市場には、多くの分野で多くの薬が溢れている。しかも効果はほぼ同じだ。前出の『選択の科学』よると、人間が処理可能な情報量には限界があり、それが7を超えると間違いが増える、という。
私が専門とする関節リウマチでは、生物学的製剤が導入されて、治療成績が著しく改善した。その後も次々と新しい薬剤が開発され、現在では7つになった。そして、我々は7種の異なる薬剤をどう選択するか、大いに戸惑っている。今後さらに選択肢が増えれば、すべての薬剤を理解して使うことは困難になるだろう。「この薬剤を使う」という選択ではなく、「この薬剤は使わない」という後ろ向きの選択が必要になる。
著者のアイエンガーは、「医療における選択」についても大きな問いを投げかけている。彼女がコロンビア大学で行った調査は以下のようなものだ。
――非常に厳しい状態の患者を「情報なし・選択権なし」「情報あり・選択権なし」「情報あり・選択権あり」という3つの条件に分け、医療行為を受けさせる――。
一つめは「父権主義的医療」、二つめは「インフォームド・コンセント」、三つめは「インフォームド・チョイス」ということだ。多くの人は「大切なことほど自分で選択したいのだから、当然3つめの『情報あり・選択権あり』の満足度が最も高くなるだろう」と考える。しかし、実際は二つめの「情報あり・選択権なし」が状況がもたらす悪影響を最も和らげる、という結果だった。
患者は医学的知識が十分ではない。そのため、自分で判断することの不安と結果への恐れから、選択を放棄する傾向があるのだろう。これは、医師にとって、とても重い事実である。患者が選択しなければ、選択は医師に委ねられる。そして、医師はどのような結果になろうとも、自らのプロフェッショナリズムに派生する責任を全うせねばならない。だからこそ、医師は医学の進歩はもとより、広く社会全般の常識にも研鑽を積まねばならないし、患者とのコミュニケーションにも気を配らねばならない。
社会的な視座から見れば、治療法の選択は、車のインテリアやジャムの選択とは次元の違う話である。そして、そうした重要な選択を、私を含めた医師は毎日のように行っている。そのことを改めて考えると、ますます目が冴えてきた。
今夜は眠れない夜になりそうだ。
※ドクターズマガジン2014年6月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
山中 寿
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