記事・インタビュー
放送大学客員教授、
東京高等・東京地方・大阪地方裁判所専門委員
元 了徳寺大学教授
久 智行
自己の決定に基づいて行った行為には責任がある。ところが、自己の決定に基づいて行った行為に責任が無いかのように振る舞う者が存在する。反対に、現代社会においては、自己に決定権が無い場面も多く、「仕事だから」との理由で、職場で言われたことを言われたとおりにせざるを得ない場面も存在する。研修医が臨床で大学院生が研究で決定権が無いのみならず、専門医や研究者も会社の従業員と何ら変わりはない。
しかし、自己に決定権が無く、上司や指導者から言われたことを言われた通りに行ったにも拘わらず、(言われた者に)責任があるとされることがある。なぜか。“Meine Schuld ist mein Gehorsam”という言葉がある。直訳は「私の責任は私が従ったこと」。色々と深く解釈できるが「言われたことを言われたとおりに行っても(言った人に責任が有るか否かとは別次元の問題で)私に(も行ったという)責任がある」という世俗的な意味にも採れる。
たしかに、日本国の刑法で、言った者が間接正犯として一方的に責任を負う(言われて行った者は道具に過ぎないとされる)場合がある。しかし、その要件は厳しく、言った者に正犯意思が有り、言った者が行った者を介して結果を実質的に支配する場合に限られる。
具体的には、第一に、行うことに規範的障害が有るかが問題となる。規範的障害が無ければ行った者に責任非難を向けることはできない(但し、規範的障害が無くても、事情を知らないこと自体が過失の場合は注意義務違反・結果予見可能性・信頼の原則などの問題が生じうる)が、そもそも従いたくないことから論理的に考えて規範的障害が有る。
すると、第二に、行うことに心理的物理的強制力が有るかが問題となる。心理的物理的強制力を基礎づける具体的事実が有るかの検討で、言われた者は継続的依存関係のもと日常的に強制を受け独自判断が不可能、と立証して初めて、責任非難から逃れ得る。しかし、心理的強制力は(個人的には筆者は多くの職場に有ると認めるが)裁判では認められ難く、その結果(強制されていないから)責任が有ると判断され易い。いかなる自己決定権があるだろう。単なる使用人に過ぎない被用者には(行うことを業務命令で命じられたが、良心という規範に照らして行うことに障害を感じた場合、その職場から)辞めるという自己決定権しかない。専門医や研究者も同じである。
いまだに医師は社会的地位が高いからnoblesse oblige を持てなどと寝言をいう時代錯誤の大教授がいるかもしれないが、筆者自らの経験では、東大勤務といえど赤貧の日雇いルンペンプロレタリアート、教授といえど代替容易な組織の一歯車であった。前提条件(社会的地位が高い)が間違っているのであるから、結論が誤るのは理の当然である。さらにnoblesse oblige はそもそも評価する側に依存する。筆者如きアインアルツトが高潔な犠牲的精神など有しているはずがない、と燕雀からは下衆の勘繰りを以て、親切にすれば利権絡み公平にすれば弱い者イジメと評される。医師は、社会的地位が高くないにも拘わらず、高いという誤った類型的判断により、嫉妬(平等という大義名分にすり替え)により引きずり下ろされ、他方、高いからと犠牲を要求され、犠牲を提供すると(高い精神など持っていないはずだから)裏が有ると解される、使用人である。
そもそも医師のraison d’etre は何だろう。たしかに違法か合法かは国家が定める。しかし法は歴史的社会的に相対的なものに過ぎない。その時々の政権与党の判断に阿ることなく、プロフェッショナルインディペンデント(独立した専門家)として、医師として正しいと信じる道を筆者は進みたい。違法なことを行った場合に責任を負うことと同様に、「私の責任は私が従ったこと」という視点から考えると、法に従うということでも責任を負うことはあるのだから。なお、力は悪いことにも使えるが、良いことを行うにも力は必要である。読者諸兄諸姉の力を筆者は頼りにしている。
※ドクターズマガジン2012年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
久 智行
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