記事・インタビュー
会田記念リハビリテーション病院 整形外科部長
五十嵐 康美
医者になってこのかたもっぱら「職人」として自らの技量を上げることに夢中だった。母校の整形外科医局に入局したのは「道具立てがおもしろそう」という単純な理由ではあったが、自分の指向・性格にぴたりとはまった。整形外科の中でも顕微鏡で無血野の神経・血管を縫う繊細な手外科が特にはまった。しかし、大学院を出てすぐ主任教授とぶつかり母校の医局をやめて郷里に近い別の大学に移籍した。後で考えると怖いもの知らず、当時としては何とも大胆なことをしたものである。
一人医長で赴任した東北第2の地方都市では、広大な市域に手外科医がたった2人しかおらず、毎日市内の医療機関から委ねられた豊富な手の症例を診療できた。短期ながら末梢神経外科で海外留学も果たし、当時日本の最先端にあった慶応大学手の外科カンファレンスに定期参加した。技術は目に見えて上達し、忙しくも人生でもっとも充実した時期だったように思う。やがてそれまで順調だった公立病院の経営が怪しくなり、統廃合で過酷な全科救急を強いられるようになって体をこわした。このため45歳で関東の県庁所在地にある小さな病院に移った。
一方、30歳頃から漢方は好んで使っていたが、病院を移ってから中国医学、ひいては中国人の考え方を根本から知りたくなって中国語の勉強を始めた。その都市の大学に留学中だった北京中医薬大学講師から正統な中国語・中医学を学び、漢方を実践するようになった。和漢の古典や中国語文献を読むのはまったく苦にならなかった。やがて煎じ薬を自在に使えるまで腕もあがったから、その病院で始めた漢方外来は盛況だった。論文も書き、各地に講演にも呼ばれた。しかしあるとき一般の人にとって漢方はやはり「代替」医療に過ぎないことを痛感させられ、急速に熱意を喪った。新研修制度のあおりで病院は大学間のジッツ替えとなり、やむなく次の職場に移ることになったのを機にすっぱり中医学をやめた。手術も、少し早いとは思ったが執刀通算1500例を少し超えた頃、50歳でメスをおいた。
転職したリハビリ専門病院では、手術とはまったく異なったチーム管理というリハ医の役割が新鮮だった。さらに、障害をかかえて苦しむ患者とそれを援助するスタッフの不思議な心理力動に興味をもった。思いたって3回目の入試でようやく放送大学院臨床心理コースに入学。いろいろな職種・年令の学生たちとの年3週間ほどのスクーリングでは、講義も実習も毎夜深更に及ぶ酒・語りあいもほんとうに楽しかった。また、この大学院で初めて尊敬する人生の師にも出会えた。臨床心理士資格試験に合格した後、精神分析の本を読みあさり、認知行動療法や臨床動作法までも貪欲に自分の治療にとりいれるようになって現在に至っている。
60歳を目前にした今、ふり返ってみるとなんとたくさんの寄り道をしてきたことかと驚く。もちろん救急や新研修制度の問題で抗しがたく流されたこともあったが、基本的に興味のおもむくままに熱中してきた道が一定の水準に達したあるときに終わり、そのとき次の魅力的な寄り道が現れる。ただ、それらは手外科、東洋医学、臨床心理学など、いつも整形外科あるいは医学の本流ではないことが共通していた。これはへそ曲がりな自分の性格によるものだろうが、臨床心理士の目でみると、どうやら自分の無意識領域になんらかの心理的問題を抱えているに違いないと思える。
ひとつの道に行くことを拒んだのだからさっぱり偉くもなれず、世間からりっぱと誉められることもない。もちろん金もない。そしておそらくそれは医学の道をひたすら邁進し、功成り名を遂げた医師たちからは腰の定まらない人生に見えるだろう。しかし、気がつけばいつも目の前に好きなことがあったのだから、やっぱりそれでよかったのだと今は思える。寄り道人生は欲張り人生でもあったのだ。
ひとつ付けくわえるならば、寄り道の対極に学生のときから一貫してやり続けてきた音楽がある。音楽を通じた医療界の外の人々との出会いは、喜びとともに様々な価値観と医者の知らない世間というものを教えてくれた。あと何年医者をやれるのかわからないが残りの医師人生、これまで経験してきたすべてを統合、可能なら音楽までも包含し、自分にしかできない「痛みの心身医療」を実現できないだろうかと、あらたな興味で模索中である。
※ドクターズマガジン2012年7月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
五十嵐 康美
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