記事・インタビュー
医療法人社団慈佑会 方波見医院 北海道
方波見 康雄
東日本大震災のとき、惨状を刻々と伝えるテレビ報道に、多くの人がわがことのように心を痛めた。当院のある女性患者は、涙があふれ血圧が190mmHgに急上昇して外来受診にみえた。だが、彼女には被災地に地縁はなく血縁や友人がいるわけではない。
日本医師会JMATに参加した知り合いの若い医師と看護師は、窮屈な避難所生活を強いられた高齢者の中に、かかりつけ医との連絡も途絶え、慢性疾患が急性増悪、心的外傷の痛手に苦しむ人たちが多かったことを、悲痛な面持ちで話してくれた。
心を痛めたのは被災者だけにではない。被災地の瓦礫の山と荒廃した大地そのもの、飼い主を失いさまよう痩せこけた牛の群れや餓死した豚の映像にも向けられている。福島原発事故のセシウムに汚染され、無惨に刈り取られる茶畑の緑の葉にも憐れみを寄せる。
人はなぜ身も知らぬ他者の苦しみにかくも深くおのが内奥をゆさぶられ、いのちあるものの呻きを感受し惻隠の情をいだくのか。被災地に友人医師がいる私が、にわかに直面した彼らの困難を思いながら、心に浮かべたのはこの問いだった。そして、こう考えてみた。まずは谷川俊太郎の詩を引用しておこう。
私は少々草です 多分多少は魚かもしれず名前は分かりませんが 鈍く輝く鉱石でもあります
そしてもちろん 私はほとんどあなたです
現代科学の成果によると、地球上のすべての人びとの祖先は、およそ20万年前にアフリカで生まれている。つまり私たちは親元を同じくする「きょうだい」であり、お互いまるっきりの他人ではないということになる。「私はほとんどあなた」「あなたはほとんど私」なのだ。
さらに遡るにつれ、人間はヒトそして霊長類から哺乳類にと姿が立ち返り、5億年ほど遡上すると最古の魚類の形となり、やがては単細胞生物へと辿りつく。そのゆきつく向こうには元素や素粒子そしてビッグバンがあり、大きさにして約10-33センチ、時間にすると約10-43秒、ほとんど「無」ともいうべき「プランク時代」へと収斂されてゆく。言い換えると、いま地球上に在るすべての生けとし生けるものは、宇宙誕生137億年の歴史から紡ぎ出されて来た、昔からの仲間なのだ。
被災者と被災地の苦しみに寄せる共感はいわば、私たち一人ひとりの内奥に潜む、意識を超えた遥か彼方で出自を共にしていたころの仲間への懐かしい思い出が喚起したものなのだろう。谷川詩は、その「つながりの記憶」を柔らかな詩的イマジネーションで表現したものだ。
「つながりの記憶」つまり「他者と共に在る」とは、「プランク時代」から、いや、もっと前の究極の始源から、やがて誕生するであろう地球上のすべてのものに付与されていた根源的な状況なのだ。私たち人間にしても、いつも「我と汝」という関係性の中で生かされている。汝という他者との関係がなければ、我という実体などそもそも在り得ない。しかもこの他者は、それぞれヒトゲノムに基礎づけられた普遍性と独自性を併せ持つ。哲学の言葉を借りると、何ものにも支配されない侵すべからざる尊厳と個性をもつ自由な存在者、これが他者ということになる。
他者から見た他者つまり「我」もまた同じである。「他者と共に在る」とはしたがって、我も汝も同格であり、どちらかが一方的に主格あるいは支配者ではありえない関係性ということになる。他者には常に畏れを持たなければならないのだ。この他者には、かつての仲間、地球上のあらゆる生けとし生けるものや自然の森羅万象を含めておきたい。「核融合」を手中に収めた現代科学技術の畏れを忘れた暴走が、福島原発事故の惨禍を招く要因となっているからだ。病人から病気だけを抽象して人間の実存をおろそかにしがちな現代医療の立ち位置にも、医学教育の在り方にも、同じ指摘ができる。経済効率を最優先して人間生存を危うくする医療保障政策もまた同様だ。
東日本大震災の被災者や他者の苦しみに心を痛ませるのは、内なる自己としてのこのような他者からの痛切な呼びかけである。この叫びや呻きに照応して共感を寄せるのは、「つながりの記憶」という究極の始源の自己つまり存在の根源に立ち帰ることである。本当の絆とは、こういうことである。愛とは、こうした根源との関わりから生まれる。
医療の立ち位置はもともとが、この愛つまりはスピリチャリティーに依拠していたものなのだ。
※ドクターズマガジン2011年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
方波見 康雄
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