記事・インタビュー
公立八鹿病院脳神経内科部長・福祉センター長
近藤 清彦
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気がある。多くは数年間で進行し呼吸不全にいたる難病である。患者数は約8,000人、うち2,000人余りが人工呼吸器を装着、その半数が在宅療養を行っている。意思伝達装置の進歩で、四肢麻痺、発語不能でも意思伝達が可能なことが多い。
宇宙物理学者のホーキング博士や昨年、普天間飛行場移設問題で首相が会談された徳洲会理事長徳田虎雄氏、かつてクイズ番組で人気を博したフランス文学者篠沢秀夫氏も同病で人工呼吸器を使用しながら研究や社会活動、執筆活動をされている。
一方、呼吸器装着後に入院できる病院が少ない、在宅支援体制が不十分、介護負担が大きいなどの理由で呼吸器装着を断念する患者が8割という現実がある。
ALSに罹患した眼科医渡辺春樹氏は、本誌2003年10月号のドクターの肖像で「ALS患者が生き抜くには3倍の忍耐が必要」とワープロで語っておられる。
ALSの在宅人工呼吸療法
私は信州大学第三内科で塚越廣教授、柳澤信夫教授から神経学を学んだ後、佐久総合病院に勤務した。赴任してすぐに若月俊一院長から1冊の本をいただいた。人工呼吸器を装着し佐久総合病院に入院中のALS患者川合亮三著『筋肉はどこへ行った』(1975)だった。
若月氏の前書きに、「一刻一刻の『生きる』尊さがどんなものか。私たちはそれを川合さんのようにまじめに考えているであろうか。」とあった。川合氏の妻は、呼吸器装着16年目の手記で「私は心からこの長い年月があって本当によかったと思っているのです。」と書いている。呼吸器を装着した十数年間の生活を「あってよかった」と妻に言わせた川合氏の存在がその後の私に大きな影響を与えた。
1986年に、佐久総合病院でALS患者の在宅人工呼吸療法を開始した。当時、自宅で呼吸器を使用した例は、ほとんどなかった。呼吸器の操作など、家人への指導方法は確立できたが、在宅支援体制は乏しかった。
1990年に郷里の病院に移り、谷尚院長のもとでその仕事を発展させた。院内に多職種ケアチームを組織して、院外に保健所、かかりつけ医、救急隊などとのネットワークをつくった。
一人ひとりの患者に取り組むことで全国に先駆けて兵庫県北部でALS患者のケア体制が確立された。ALS患者によって地域が育てられたと言っても過言ではない。呼吸器装着後に在宅療養と長期入院のどちらも可能な体制があることを示した結果、9割以上の患者が気管切開による呼吸器装着を希望し、呼吸器を装着した56名のうち40名が在宅療養を行った。
ALSと音楽療法
人工呼吸器使用後も発声や、嚥下、歩行が、ある期間保たれることがわかった。しかし、それでも病気は容赦なく進行する。
あるとき患者にかける言葉がなくなり、意を決してベッドサイドで「あざみの歌」をアカペラで歌った。すると無表情だった患者に笑顔が戻った。それを機に、月に一度の訪問診察に音楽療法士が同行しベッドサイドでの音楽療法を開始した。懐かしい歌の演奏に合わせて患者が口を動かした。その変化を見た介護者にも、笑顔が見られた。部屋の空気が変わるのを感じた。ひとつの歌をきっかけに昔の思い出話に花が咲いた。この音楽療法は8年つづいた。
音楽療法は患者と医療者の距離を縮め、言葉では言い表せない思いが伝わる。昔聴いた歌や音楽は心のふるさと、心の支えであり疲労した心に容易に染み込む。それをきっかけに、今までの人生を振り返る。生きていることを実感できる。生きていて良かったと思えることが、最高のQOLではないだろうか。ALS患者の在宅ケアにはケア技術とケアシステムに加え、「こころ」を支えていくことが必要だと気づいた。
これまで当院のALS患者11名に訪問音楽療法を実施。昨年、訪問音楽療法プロジェクトを企画、音楽療法士26名を動員し近畿のALS患者22名に派遣した。各5回のセッションに「感動と癒しの時間だった」、「生きる勇気、パワーをもらえた」、「毎回、涙が出た」などの感想が寄せられた。
生命といのち
「生命」は血圧や心電図などで客観的に測定評価できるものを指し、「いのち」は主観的、無限で、その人が本当に大切にしているもの、生きる意味や価値を指す。ギリシャ語では、前者はビオス、後者はゾーエと呼ばれる。医療は「生命」だけでなく、「いのち」にも目を向ける必要がある。「生命を救う医療」と「いのちを支える医療」の両者が必要である。
近代外科学の祖アンブロワーズ・パレ(1510-1590)の「To cure sometimes, to relieve often, to comfort always」という言葉を考えるとき、音楽療法の持つ意義は大きい。
治らない病気を持つ人に対しても、医療者ができること、すべきことは多い。
※ドクターズマガジン2011年3月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
近藤 清彦
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