記事・インタビュー
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科教授
丸山 征郎
◆私は“シマウマ探し”が好きであった
若きころ、私は“シマウマ探し”が好きであった。“シマウマ探し”とは頻度のきわめて少ない疾患を探し求めること。私の最初のコーチ兼監督は、井形昭弘先生(鹿児島大学医学部の第3内科教授から鹿児島大学学長、愛知の中部病院院長を経て、現在名古屋学芸大学学長)だ。先生は、新設の鹿児島大学医学部第3内科の教授として東大から就任された新進気鋭の若手教授であった。先生は当時難病奇病として日本中を騒がせていたスモン(SMON:Subacute Myelo-optico-neuropathy)の病因が整腸剤キノフォルムであることを発見された。シマウマの発見である。私はまったくできの悪い学生だったが、難しい病気を診断する、治療する医師に密かに憧れていたので、迷わず井形教室に入局した。新設の教室は医局員が少なく、入局1年目から外来患者当番もまわってきた。
ある日私に、血痰を来たし、肺に円形陰影のある患者がまわってきた。私はすぐに肺ジストマを疑った(鹿児島の田舎に稀に肺ジストマ患者がいる)。井形先生は、「まずは頻度の高いものから鑑別していかないといけないよ」とやんわり諭された。このときは偶然、患者は肺ジストマであった。“シマウマ”だったのだ。間もなく、当直で訪れた市中病院に輸入熱マラリア患者を発見した。2頭目の“シマウマ”。以降、Lesch-Nyhan 症候群、Hemochromatosis、ポルフィリン尿症、Louis-Bar 症候群、SSPE(Subacute Sclerosing Panencephalitis)、エーラス・ダンロス症候群などなどの“シマウマ”的希少疾患患者を市中病院のベッドの上にたくさん見つけた。
◆シマウマはめったにいない
しかし、“シマウマ探し”には多くの問題がある。1頭のシマウマ探しに費やす時間は相当である。諸検査を強いられる患者の肉体的、精神的、あるいは経済的負担も無視できない。シマウマが群れている地域ならまだしも、普通の地域にそうシマウマがいるわけがない。若き野心に満ちた狩人医師は、どれくらいの頻度でシマウマがいるか知らずにシマウマ探しに走りまわる。この無謀さ。今の私なら決してシマウマ探しはしないであろう。恩師井形先生はそのことを諭されたのである。
さらに、大学病院やそれに匹敵する病院では患者層にふるいがかかっているので、当然シマウマの表れる頻度は高い。しかし一般病院では、多くはシマウマではない普通の馬で、「シマウマはきわめて少ない」ことを念頭に置くべきである。
◆臨床医学教育における合理性
医学には3通りあると筆者は考えている(図)。ひとつは図の左に書いたように、遺伝子というシナリオの世界である。生殖、発生、分化、成長など、いわゆる基礎医学である。医学部教育の大半はこれに割かれる。一方、図の右がいわゆる臨床医学を指し、右端は遺伝子というシナリオが破綻し患者が重篤な病に陥っている状態の領域である。この中間に、生体の揺らぎの状態、あるいは折り合いのモードがあり、患者は通院もでき、管理可能な状態である。
今の日本の医学教育ではこの右の部分、いわゆる臨床医学に関してはきわめて表層的な教育しかしていない。6年間のうち4年以上は生体のシナリオ、いわば定常状態の理解に費やされる。臨床医学に関して多くはペーパーの段階で時間切れとなり、この状態で卒業し、いきなり市中研修病院という現場で路上運転となるわけだ。すなわちペーパードライバー。大学で診断の論理(アルゴリズム、検査計画、仮説演繹法など)を習う時間はない。病める患者を自分が主人公になって診断、治療する喜びとダイナミズム。これにはなんとも言い難い醍醐味がある。つまり本来、ポリクリで味わうべき感動の瞬間が、そっくり市中病院に移行していると言える。この弊害は、大学病院や田舎の医者の減少というかたちで表れ、今、問題となっているが、次にはシマウマと馬の鑑別のつかない医師の増加というかたちで10年、20年後に露呈するのではないか──私は密かに憂えている。
※ドクターズマガジン2010年8月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
丸山 征郎
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