記事・インタビュー

2020.06.16

山あり谷あり谷底あり! ドイツ留学(17)

ドイツはノルトライン=ウェストファーレン州にあるボン大学で循環器内科のフェローとして働いている杉浦 淳史です。
この記事では、日本生まれ日本育ちの循環器内科がドイツでの研究・臨床留学の中で経験するさまざまな困難・葛藤・喜びを、ありのままにお伝えします。

ボン大学からのオファー

これまで半年毎に更新をしてきた雇用契約。その度に給料交渉をするも、一度たりとも成就せず。ただ今回は、FSPに合格してBE(Berufseriaubnis:労働許可)を取得、さらに臨床で働きながら論文もいくつか通ってきていたので期待していました。しかし、4月から半年間の契約更新をしに事務に行った際、またしても給料が増額されていない文面を見て、「まあ、留学期間もここまでかな」と思いました。

秋以降の雇用意思証明書

そんなある日、カテーテル治療後にOberarzt(上級医)に呼ばれ、「秋以降どうするの? ボスは残ってほしいと言っていて、もし残ってくれるならポストを用意する準備がある。」と。まさかの、ボン大学からのオファーでした。

これまでにも「もっと一緒に働こうよ」とか「ずっとドイツに住もうよ」など、会話の中でみんなが誘ってくれることはありました。しかし “ポスト”、つまり正雇用が提案されてきたのは初めてで、それは本当に嬉しかったです。

もちろん僕の気持ちは100%ドイツ就職でした。しかしまずに頭に浮かんだのは家族と経済面。学童期の子供にとって、週1回の日本語補習校だけでは、日本の教育を維持することは難しいと感じていましたし、貯蓄が減ってきている現状と留学後のキャリアプランを考慮すると、2〜3年で日本に帰るというのが堅実な選択肢なんだろうと思いました。

そこでまず「予定されるポスト」と「その給料」を確認すると、どうやら「Assistenzarzt」または「Facharzt」としての雇用とのこと。業務では、オペレーターとしての治療件数が増え、多施設研究のデータベース解析や画像解析を扱うようになり、横のつながりも広がってきていましたので、これらのことを考慮して、最終的にドイツに残留することを決めました。

症例 症例数
大動脈弁 TAVI 41
僧帽弁 MitraClip 7
僧帽弁 Pascal 1
僧帽弁置換術 1
三尖弁 MitraClip 3
三尖弁 Pascal 2
55

2020年4月実績(稼働日数21日)

就職面接

オファーをもらった後、ボスのカテーテルの助手をしている時に、「一回ちゃんとあなたと話したいと思っていたんだ。ポストは限られているんだけど、パズルは私がうまく調整するから」と言われ、自分のためにポストをなんとかしようとしてくれてるんだな、ありがたい、などと呑気に構えていました。

するとある日、昼食を食べていた時に突然ボスから呼び出され、なんと緊急の就職面接(Bewerbungsgespräch)開始。初めてボスの部屋に入り、ピリッとした空気の中で、ドイツでの生活のことや、家族のこと、子供の学校のことなど雑談をした後、ついに雇用の話に。

ボス:ポストは一杯で、割り当てられないんだよね。給料は別の形で出すことになる。

自分:(なんじゃそりゃ、話が違うじゃないか〜。でも一番大事なのは給料の金額だから……)給料はいくらになる見込みですか?

ボス:具体的には今はわからないが、現在の給料の約○倍でどうだ?

自分:できれば手取りで***€もらえたらと思うのですが

ボス:OK、確認して来週に連絡する

という流れでした。
その後は働き方の話へ。

ボス:ではどうやって働くかだが、カテーテル治療は術者をしたい先生も多いから、治療件数はシェアしないといけない。たとえばICUで働くことだっていいぞ。

自分:(ICUは面倒くさそうだな……)僕の長所は、術者として弁膜症カテーテル治療ができること、助手ができること、CT画像解析ができること、研究ができること、です。僕がカテーテル室で働くのが、ボン大学にとってのメリットだと思います。

面接が終わり部屋を出てすぐ、前半の会話で「ドイツに残ってキャリアを積むか、いずれ日本に帰るか」を見定めていたんだなと気がつきました。調子のいい適当なウソつけばよかった……。

ドイツで引っ越し

オファーをもらった話をすると、妻はかなりの難色を示しました。というのも、COVID-19拡大に伴うロックダウンでホームシック気味だったこと、そしてあと3ヶ月くらいで帰国予定だったことで、日本の生活を思い描いていたようです。「日本に帰ったらあれがしたかった、これがしたかった」などなど。とはいえ今の住居は7月末までの契約だったので、「じゃあ庭付き一軒家の物件に引っ越そう!」と、物件探しを始めることにしました。

しかし、やはりドイツの物件探しは難しい。住居探しのサイトで良さそうな物件に連絡するものの、「通常会員」では返事が全然来ない。家が見つからなければ家なき子か、あるいは日本に強制送還か。仕方がないので月額30€の「プレミアム会員」になり、ようやくいくつかの物件見学にこぎつけました。

その中で一つの物件がとても気に入ったのですが、ここはドイツ。覚えているでしょうか。(参照:(3)賃貸物件での自炊生活開始)希望者の中から「大家が入居者を選定する」文化なので、ドイツ人の公的翻訳士の友人からメールをしてもらい、さらに秋以降の雇用予定の証明書をボスに書いてもらいました。それでも、実際の雇用証明書じゃないとダメと言われたので、Oberarztにお願いし、「いかに信用できるか、給料の見込みがいくらか」ということをメールしてもらいました。

そしてついにめでたく大家さんの入居者選定に当選し、ほっと胸を撫で下ろしています。しかしその一方、現住居の退去手続きの中で、ドイツ住居事情の「真の恐ろしさ」を知ることに――(次回)。

PS: COVID-19に関する規制緩和に伴い、徐々に、街に人と活気が戻ってきました。

<プロフィール>

杉浦 淳史

杉浦 淳史(すぎうら・あつし)
ボン大学病院
循環器内科 指導上級医(Oberarzt)

1983年千葉生まれ。2008年福井大学医学部卒業。
論文が書けるインテリ系でもないのに「ビッグになるなら留学だ!」と、2018年4月からドイツのボン大学にリサーチフェローとして飛び込んだ、既婚3児の父。

杉浦 淳史

山あり谷あり谷底あり! ドイツ留学(17)

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