記事・インタビュー

2019.12.17

ヨーロッパで心臓外科医やってます(2)

 

もともと臨床留学の希望はあったのですが、具体的なチャンスをどのように得ればよいのか、さっぱりな状況が長く続きました。本稿では、留学先決定までの経緯や準備について思い出しながら書いていきたいと思います。

留学先の決定

何はともあれ海外とのコネクションを作らなくてはと思い、休みをもらうたびに海外の施設をいろいろと見学して回っていました。まあ知り合いは増えたのですが、具体的に何かチャンスを手に入れることはありませんでした。

はじめは東南アジアの国を検討していました。何となく敷居が低そうだと思ったからです(実際は東南アジアの国も年々敷居が高くなり、決して簡単ではなくなっているようですが)。しかし情けない話、私はどうしてもパクチーが苦手でして、休みを利用して現地の病院を見学した際にも、パクチーが入ってない食べ物ばかり探していました。病院の雰囲気はよく、街の空気も気に入っていたのですが、ちょうどそのころ「飯が合わない国は絶対やめとけ!!」とアドバイスを受けたこともあり、東南アジアは諦めることにしました。

そんな中、ドイツの病院見学をする機会に恵まれました。ちょうど街はクリスマスマーケットが始まり、とても幸せな空気で溢れていました。たくさんの屋台が出て、街中に心地のよい音楽が流れていました。歩いている女性はみんな綺麗だし、料理も美味しいし、何より日本のクリスマスと違って、おっさんが独りで歩いていても全然浮いちゃわないくらい落ち着いた雰囲気が漂っていました。

病院で見学した手術も素晴らしく、時間を忘れて見入ってしまいました。そして「次にかける針のこの角度がバイパスの遠隔期成績を決めるんだ」と本当かどうか分からない技術のこだわりを楽しそうに若手に語るベテラン外科医は、正に「マイスターの国・ドイツ」を象徴していると感じました。「こんな風に心臓外科医として働けたら楽しいだろうなぁ、これは絶対ドイツだな」と、自分の心の中ですんなりと留学先が決まったのでした。

ドイツとのコネクション作り

右側が南 和友先生

ドイツ留学に向け、まずは知り合いの先生方にドイツに興味があることを伝えることから始めました。その結果、かつてドイツで活躍された南 和友先生を紹介していただくことができました。心臓外科の世界では誰もが知っている高名な先生で、日本に帰国されたのは15年前になりますが、今でもドイツのベテラン心臓外科医たちは南先生の名前を知っているくらい、インパクトを残された心臓外科医です。現在はドイツ留学を希望する若手医師の橋渡しを行っておられ、これまでに30人ほど留学を斡旋してこられたそうです。皆さん、帰国後も活躍されている先生ばかりです。

右側が南 和友先生

そんなビッグネームのアポが取れ、当時勤務されていた病院に訪問させていただけることになりました。言われてもいないのに履歴書と書いた論文を用意し、「自分はドイツに行ってもしっかり頑張れる男です!」と全力でプレゼンしました。ドン引きされたらどうしよう……と不安もありましたが、その時はまた次のチャンスを探せばいいや、と自分に言い聞かせて決行しました。幸いなことに南先生は私の熱意をしっかりと受け止めてくださり、ドイツの施設へ紹介状を書いていただくことができました。

その後ドイツに渡るまで仕事が多忙を極めたこともあり、準備は最低限しか行いませんでした。今から思うと、事前にしっかり情報を集めることができていれば、もっと簡単にドイツの医師免許を取得できたはずなのですが……。

次回は、ドイツを目指す先生が同じ轍を踏まないためにも、実際に苦労した部分を中心に書きたいと思います。

 

<プロフィール>

安 健太(あん・けんた)
カールスブルグ心臓糖尿病センター
心臓血管外科 医師

2004年滋賀医科大学卒業。現在ドイツで医師免許取得し、心臓外科医として働いています。空手三段。学生時代に世界大会・アジア大会に出場経験あり。東京五輪で空手が正式種目となりました。あと16年早かったらな…と思いつつ、遠くドイツからオリンピックの成功を願っています。

安 健太

ヨーロッパで心臓外科医やってます(2)

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