記事・インタビュー

2019.04.08

山あり谷あり谷底あり! ドイツ留学(4)

ドイツはノルトライン=ウェストファーレン州にあるボン大学で循環器内科のフェローとして働いている杉浦 淳史です。
この記事では、日本生まれ日本育ちの循環器内科がドイツでの研究・臨床留学の中で経験するさまざまな困難・葛藤・喜びを、ありのままにお伝えします。

Fachsprachprüfung(医師患者面接試験)の準備開始

Fachsprachprüfung(医師患者面接試験)の準備

データベース作成(前回参照)が終わった昨年の秋ごろ、同僚から雑誌の査読や講演のスライド作成の依頼が降ってくるようになりました。言われたことは着実に、最速かつ丁寧にやることで、仕事が徐々に徐々に増えてきた印象です。

そして10月にはついに医学ドイツ語の勉強を開始しました。私の語学力はB2の前半くらいだったので、C1を目指し、語学学校のFachsprachprüfung(以下、FSP)対策講座を1ヶ月間、集中的に受けました。その費用、なんと10万円!!

しかもこれがなかなか大変で、まず医学用語をドイツ語+ラテン語で覚え、
(1)患者面接では病名や解剖はドイツ語で説明
(2)カルテ記載
(3)上級医とのdiscussionにはラテン語を使う
という、日本人にはなんとも酷な状況です。

ドイツでは移民の増加とともに医師免許の申請が増えたため、その取得基準は年々厳しくなってきています。聞いた話だと、2015年以前に医師免許を取得した方の多くはFSPを受ける必要はなく、通常のドイツ語検定試験に合格して書類申請をすれば、医師免許が下りていたようです。

この「書類申請」に何が必要なのかは、次回お伝えします。

船の上のダンスパーティ

船の上のダンスパーティ

ドイツでは日本と違い「よし、じゃあ今日飲みに行こうぜ!」といった突発的な飲み会はありません。事前に計画を立て、店を貸し切り、バシッとおしゃれをして、結構盛大にやることが多いです。

ある時、Chefが「船を丸々貸し切ってライン川で船上パーティをする」と言いました。最初は着席して食事や会話を楽しんでいましたが、3時間後、そこはまるでクラブ。甲板でワイワイ飲んでは室内でDJの音楽に合わせてガンガン踊る。飲んで踊って11時ごろに船着場に戻ったかと思いきや、先に帰る小数名だけ降ろして再び出航! 私にはドイツ語アナウンスはさっぱり聞き取れず、「なんじゃそりゃ〜」と思いながらも共に飲み、踊り続け、結局自宅に着いたのは2時でした。

完全なる二日酔いと寝不足のまま翌日受けたドイツ語B2の試験は、もちろん不合格になりました……。

世界一まずいグミ

ラクリッツ

ある日、当記事の編集部から「指令」が届きました。「世界一まずいグミだという『ハリボーラクリッツ味』の食レポ、お待ちしています!!」とのこと。オイオイ、なんてムチャぶりをするんだ、と思いながらも快諾(ザ・日本人)。

数日後、たまたま同じ職場のおばちゃん看護師Sabineがハリボーグミ(おいしい方)を持って来てくれたので、ハリボーラクリッツ味の話を持ち出してみると、「じゃあ持ってきてあげるわよ!」と。1週間後、

Sabine:Atsushi! ほらプレゼントよ! 試してみて!

僕:ワオ! ありがとう!(モグモグ)

……なんと表現すればいいのだろう。口に入れた瞬間に広がる漢方のようなタイヤのような香りと、噛むほどにこみ上げてくる妙な甘さとしょっぱさ。これは確かにまずい(笑)。しかしそこはザ・日本人、「変な味だね〜」と言いつつ吐き出すのは申し訳ないので食べ続けていると、まあ不思議。少し慣れてきたのか、おいしいかも。いや、そんなことはない。でも慣れてきたぞ。

僕:慣れてきたよ。うん、意外とイケるかも(嘘)

Sabine:じゃあ今度また別のタイプのラクリッツを持ってくるわね!

僕:(えっ、いや、それは……)

さらに1週間後、本当にまた別のラクリッツを「ご馳走」になることに。いや、もういいよ、Sabine……。

世界一まずいグミ

<プロフィール>

杉浦 淳史

杉浦 淳史(すぎうら・あつし)
ボン大学病院
循環器内科 指導上級医(Oberarzt)

1983年千葉生まれ。2008年福井大学医学部卒業。
論文が書けるインテリ系でもないのに「ビッグになるなら留学だ!」と、2018年4月からドイツのボン大学にリサーチフェローとして飛び込んだ、既婚3児の父。

杉浦 淳史

山あり谷あり谷底あり! ドイツ留学(4)

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