記事・インタビュー
日本医科大学武蔵小杉病院 腫瘍内科 教授 兼 外来化学療法室 室長
勝俣 範之
私が内科の総合研修を終え、がんの専門医になるべく国立がんセンター(現・国立がんセンター中央病院)での専門的研修を開始したのは、1992年のことです。1990年代は、がん告知さえままならぬ時代、胃がんのことを胃潰瘍と患者さんに告げていました。その当時は、国立がんセンターにも腫瘍内科医はおらず、臓器別の治療をしていた時代でした。当時の抗がん剤治療は効果がやエビデンスに乏しいピシバニールや、クレスチンなどの治療が全盛期だった時代です。新規の化学療法剤であるシスプラチンは、非常に副作用が強く、シスプラチンを投与された患者さんは、ほとんど食事もできず、1日中嘔吐する状況が何週間も続くような状況でした。
この30年間でがん医療は大きく進歩しました。手術療法は、拡大手術の時代から、縮小手術、ロボット手術の時代へと変革しました。放射線治療も、リニアック(直線加速器)から、三次元原体照射、強度変調放射線治療(IMRT)、陽子線・重粒子線治療と、より精密に狙い撃ちができる治療に移行しています。抗がん剤(薬物療法)は、副作用の強い化学療法が減り、分子標的薬が中心の時代へと変わっていき、2014年に承認された免疫チェックポイント阻害剤のニボルマブは、がん治療のブレイクスルーと呼ばれる変革を起こしました。免疫チェックポイント阻害剤は、当初は、転移・進行がん治療を目的として開発が進められ、多くのがんで承認されましたが、現代では、手術前・術後の治療として開発が進められており、免疫チェックポイント阻害剤の術前治療が今後の標準治療になっていくものと考えられます。さらに、がんゲノム検査も保険適用となり、今後は、臓器別のがん治療から、より精密なゲノム診断を元にする治療へと変わっていくものと思われます。
治療法の進歩に加えて、支持療法と呼ばれるがん治療の副作用を軽減させる療法も進歩しました。優れた制吐剤(5–HT3拮抗剤、NK1阻害剤、オランザピンなど)の登場により、化学療法で吐くことは、ほぼなくなり、前述したシスプラチンも外来治療ができる時代となりました。
今後のがん診療を見据えるうえで、重要になるポイントは、進化したがん医療を、より多くの患者さんに届けることだと思います。厚生労働省は、がん対策推進基本計画(令和5年3月)として、「誰一人取り残さないがん対策」を推進すると述べていますが、この基本計画に欠けているものは、「正しいがん情報の発信」と「かかりつけ医によるがん診療」です。
がん治療の著しい進歩に反比例するかのように世間一般には、誤ったがん情報があふれています。「抗がん剤は全く効果がなく、死亡者を増やすのみ」「世界では抗がん剤は使われておらず、世界で余った抗がん剤を日本だけが使っている」などのような、フェイク情報が全く規制されることなくあふれている状況であり、そのような嘘の情報を信じてしまい、がんを悪化させ、死にいたってしまう患者さんもいます。また、自由診療でがん診療を行うクリニックの、科学的根拠のない〝免疫療法”や〝民間療法”でがんが完治するなどの誇大・虚偽広告が規制なくあふれている状況です。このような誤情報は、有効ながん診療から患者さんを遠ざけてしまうものであり、抜本的な対策が必要です。がんの誤情報に踊らされない方法の一つとして、「かかりつけ医によるがん診療」は大きなカギを握ると思います。わが国では、専門プログラムとしての「家庭医」の導入が先進国より大幅に遅れてしまいました。海外の「家庭医」は、がんの予防指導、検診の推奨、がん治療のコーディネート相談や緩和ケアまで行います。日本では、がん診療は専門病院でのみ行われ、一般の開業医はほとんどがん診療に携わらないのが現状です。誤った治療に患者さんが向かわないようにするためにも、かかりつけ医の存在は大きいと思います。今後、かかりつけ医によるがん診療の取り組みが行われていくことを願っています。
勝俣 範之 かつまた・のりゆき
1988年富山医科薬科大学(現富山大学)卒業後、国立がんセンター中央病院内科レジデント、内科スタッフ。2004年ハーバード大学生物統計学教室に短期留学、ダナ・ファーバーがん研究所、ECOG データセンターで研修。その後、国立がんセンター医長を経て、2011年より現職。あらゆる部位のがんを診られる「腫瘍内科」の立ち上げは、当時の日本では画期的であった。国内における臨床試験と抗がん剤治療のパイオニアの一人。卵巣がんの化学療法などに関して世界の医学に多大な影響を与えている。2021年2月号「ドクターの肖像」に登場。
※ドクターズマガジン2025年3月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
勝俣 範之
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