記事・インタビュー

2024.12.18

佐々木淳先生の在宅診療メモランダム Episode2 ポテンシャルと選択肢

佐々木淳先生の在宅診療メモランダム Episode2 ポテンシャルと選択肢

Episode2 ポテンシャルと選択肢

80代後半、慢性心不全の急性増悪で入退院を繰り返してきた男性。

今回の入院中に食事が摂れなくなり、脱水も重なって腎不全も増悪。老衰によるもので回復は難しいと診断され、尿道カテーテルが留置された状態で在宅での看取りを前提に退院となった。そのタイミングで、僕らは彼の最後の主治医としての任を引き受けることになった。

退院当日、彼の自宅を訪問した。
退院おめでとうございます、と声をかけると、彼は真新しい介護用ベッドの上でしわだらけの顔をくしゃくしゃにして微笑み、家に帰ってこられてほっとしました、と答えてくれた。
要介護高齢者は入院を機に身体機能、認知機能が低下する人が少なくない。
入院中の食事制限や活動制限による低栄養・サルコペニアの進行は、フレイルや要介護高齢者のみならず、ロバストの高齢者においても顕著にみられる。入院前後の骨格筋量をみた研究によると、高齢者の場合、10日間の入院により7年分の老化に匹敵する骨格筋が喪失するという。
また、基礎疾患の増悪に加え、環境変化のストレス、脱水、低栄養、薬剤などが加わって引き起こされる入院中のせん妄は、高齢者の認知機能を平均でMMSE5点分低下させるという報告もある。
もともと自宅では普通に生活できていた方。
住み慣れた場所に帰ってくれば、環境の変化に刺激を受けて食欲も回復し、もしかすると食べてくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いていた。
しかし、食べたい、という言葉とは裏腹に、スプーン1~2杯を口に運ぶとそれ以上は進まなくなってしまう。

看取りを前提とした退院。
当初は、補液などはせず、口から摂取できる範囲で行けるところまで、と考えていた。
食べられないのは老衰によるものと考えれば、このまま静かに自然の経過を見守ることになる。
しかしこの人は本当に老衰、いまここで死すべき定めなのだろうか。
入院中は1日500竓の維持輸液が投与されていたが、退院後も心不全のコントロールのため複数の利尿剤の服用も継続されていた。皮膚のツルゴールは著しく低下し、口腔内は乾燥、収縮期血圧は80に満たない。身体所見上は明らかな脱水。
もちろんこれは老衰の所見としても矛盾はしない。
しかし、本人も奥さんも回復を期待している。

そこで脱水として治療してみることにした。
利尿剤の服用をとりあえず中止し、1日100竓の細胞外液の輸液投与を開始。身体徴候を手掛かりに慎重にeuvolemia を目指した。
輸液を開始して4日目。訪問看護師より、結構食べているので輸液をスキップしても良いか、という相談の電話があった。
1週間後、自宅を訪問すると、おいしそうに和菓子を頬張る彼の姿があった。朝食は奥さんと同じ量をしっかり食べられたという。尿道カテーテルに接続されたバックにはたっぷりのきれいな排尿が確認された。
3回目の診療では、トイレまで歩いて行けるようになる、という目標を本人と共有した。
1日に1500キロカロリーが摂れるようになったらリハビリテーションを開始する予定だ。

老衰の患者に点滴をすることは望ましくないと思う。
しかし、老衰という思考停止が、回復可能な状態をマスクしてしまうこともあるのかもしれない。
もちろん回復可能性があるならば回復を目指さなければならない、というわけでもない。しかし、回復可能性の有無は、その人や家族がそこから先の選択を考えるうえで非常に重要な要素だ。もう高齢だから、ではなく、他の患者には普通にやっているように、その人のポテンシャルをきちんと評価する努力はすべきだ。
また、入院中はそのポテンシャルがさまざまな要素によって過小評価されやすい。
だからこそ、主治医としてのバトンを引き継いだ在宅医は、自宅というその人が最大限生命力を発揮できる環境で、その人の回復可能性を見落さないよう意識しなければならない。

その人の生命、その人の生活、そしてその人の人生。
本当に納得のできる選択を重ねていくために。

本人の思い、周囲の思い、そして医学的適応とQOL。
私たちが共有すべき規範とは、「老衰には点滴をしない」ということではなく、その人にとってのベストな選択肢を考え続ける、ということなのだと思う。

※ドクターズマガジン2023年10月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

佐々木 淳  ささき じゅん

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長/内閣府規制改革推進会議 専門委員(医療・介護・感染症対策)

1998年筑波大学医学専門学群を卒業後、社会福祉法人三井記念病院の内科研修医になる。消化器内科に進み、おもに肝腫瘍のラジオ波焼灼療法などに関わる。2004年東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学。大学院在学中のアルバイトで在宅医療に出合う。「人は病気が治らなくても、幸せに生きていける」という事実に衝撃を受け、在宅医療にのめり込む。2006年大学院を退学し在宅療養支援診療所を開設。2008年法人化し、現職。2021年内閣府規制改革推進会議専門委員。現在、首都圏ならびに沖縄県(南風原町)等にクリニックを展開し、約7600人の在宅患者に24時間対応の在宅総合診療を提供している。

佐々木 淳

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