記事・インタビュー
Episode1 本当に大事なものは何か
80代後半のご主人から、奥様の在宅主治医を仰せつかった。
初診でお会いした奥様はご主人と同い年。朗らかで感じのよい方だった。年齢の割には高身長。しかし体重は30㎏を切ろうとしていた。嚥下(えんげ)障害があるわけではない。本人は「頑張って食べます!」と言う。ただ、食事が進まない。
身体所見上も、血液データ上も大きな問題はない。薬の影響かもしれないと段階的に処方薬も整理した。でも喫食量は増えない。栄養補助食品も初回に処方した分がほぼ手つかずのまま残っていた。
ご主人といつも二人きり、という環境を少し変えてみてはどうだろうか。そう考えて、デイサービスを週に1回、使っていただくことにした。
本人にデイの感想を尋ねると、ニコニコ笑いながらご主人の方を見る。ご主人は「デイには行きたくないと言うんですよ」と。「そんなこと言ってないじゃない」と笑いながら本人。デイからの連絡帳には、食事はまずまず食べられていること、レクもそれなりに楽しんでいる様子も記載されていた。
訪問診療開始から8カ月。
体重は何とか維持している。しかし当初想定していた栄養状態の改善からの身体機能·QOLの改善という好循環にはほど遠い。それでも奥様はいつものようににこやかに対応してくださる。
ご主人は、その奥様の様子を見つめながら、切り出した。
「デイに行くのが本当に辛いと言うのです。デイに行けば妻は頑張ります。みんなに合わせて、時間を過ごし、ごはんも頑張って食べます。だけど、それが辛いというのです。食べて栄養を付けたら元気になるかもしれない。だけど、二人でこれまで人生を十分楽しんできました。もう一番いい時期は終わっているし、元気になってもあの頃に戻れるわけでもない。だから、もう頑張らなくてもいいと思うのです。もうそろそろ終わりにしてもいい。ただ、苦しむことなく、穏やかに過ごしてほしい。先生、もし、頑張るのをやめたら、後どれくらい生きられるのでしょうか」
僕は、年の単位は期待できないかもしれない。そんな漠然とした見解を伝えた。
「そうですね。私もそれくらいだと思っていました。あと1年。あと1年あれば、二人にとって十分だと思います。実は、この正月が最後だと思って、家族に集まってもらったんですよ。みんなで集まっておせちを食べました」
ご主人が見せてくれたフォトパネルには、奥様を囲む家族みんなの笑顔が写っていた。
奥様はご主人の話を穏やかな表情で聞いている。
「妻の面倒をみることが、私の最後の仕事だと思っています。できるだけ自然に、ここで過ごさせたい。それをお願いしたいんです」
それなら、デイに無理して行く必要はないですね。そうご主人に伝えた。
それを聞いた奥様の表情が、少しうれしそうに見えた。
もしこのご夫婦が自分の祖父母だったら、もう少し頑張ってほしいと思うだろうな。
元気になれるなら、元気になった方がいい。その方がみんなきっと幸せなはず。
そんな自分の価値観を知らず知らずのうちに押し付けていたのではないかとはっとした。
僕が在宅医療の道にのめり込んだのは、ある神経難病の患者さんから、身体機能が幸せの必要条件ではないことを教えてもらったときからだ。
病気や障害があっても、最後まで生活や人生を諦めないことの大切さを学んだ。
しかし、いつの間にか、生活や人生を諦めないこと=回復の可能性を追求すること、になってしまっていたのかもしれない。
介護予防、認知症予防、自立支援介護、リハビリ、リハビリ、リハビリ……。
病気にならないように、寝たきりにならないように、死なないように……。
でも、ご主人の言う通り、頑張っても「あの頃」に戻れるわけではない。
時間の流れ、それに伴う心身の機能の変化を受け入れながら、穏やかに過ごしたい。
そんな選択だってあっていいはず。
これまで出会ってきた患者さんやご家族は、頑張って元気になろうとしていた方が多かった。しかし、中には、もうそろそろいいんだけどな……そう思いながら僕らに付き合ってくれていた方もいたのかもしれない。
その方の人生にとって本当に大事なものは何なのか。
考え続けることの大切さを改めて教えてもらった気がする。
※ドクターズマガジン2023年8月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
佐々木 淳 ささき じゅん
医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長/内閣府規制改革推進会議 専門委員(医療・介護・感染症対策)
1998年筑波大学医学専門学群を卒業後、社会福祉法人三井記念病院の内科研修医になる。消化器内科に進み、おもに肝腫瘍のラジオ波焼灼療法などに関わる。2004年東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学。大学院在学中のアルバイトで在宅医療に出合う。「人は病気が治らなくても、幸せに生きていける」という事実に衝撃を受け、在宅医療にのめり込む。2006年大学院を退学し在宅療養支援診療所を開設。2008年法人化し、現職。2021年内閣府規制改革推進会議専門委員。現在、首都圏ならびに沖縄県(南風原町)等にクリニックを展開し、約7600人の在宅患者に24時間対応の在宅総合診療を提供している。
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