記事・インタビュー

2024.09.20

【Doctor’s Opinion】過疎地医療の未来 ~コンパクトホスピタルとハブホスピタル~

社会医療法人財団 董仙会 恵寿総合病院 理事長

神野 正博

1月1日16時10分に発災した巨大地震、令和6年能登半島地震で恵寿総合病院は震度6強の地震に見舞われた。七尾市内に甚大な被害が襲った。地震によって、たくさんの家屋が倒壊し、上水道と下水道は断裂、液状化による被害も甚大であった。

その中で、恵寿総合病院は、2007年の能登半島地震における経験と、2011年の東日本大震災におけるたくさんの経験知を学習し、「想定外を想定して」、BCM/BCP(Business Continuity Management/Business Continuity Plan)を整備してきた。基本は二重化だ。免震建設と地盤改良による液状化対策、水の上水と井水の二重化、2回線受電、避難経路としての屋上ヘリポートの確保などを進めてきた。また、医療機関ばかりではなく、診療材料や薬剤の物流企業、給食企業、ガソリン・重油などの供給企業とも緊急時の協定を結んでいた。さらに、ICTに関しても冗長化、医療データの遠隔地保管、PHR(Personal Health Record)としての患者がデータを持ち運ぶしくみ、さらにどこでも診療・看護業務を可能にした業務用スマートフォンの導入などを進め、強靭な病院をつくってきた。

ほとんどの職員が被災した中、多くの職員の努力とこれらのBCM/BCP、さらには被災の中で残された機能を最大限に活用する智恵が相まって、文字通り「災害でも医療を止めない」病院として、発災直後より救急医療、入院機能、手術、検査、分娩など急性期機能を維持することができた。実際、発災10時間後の2日未明には分娩が、翌日には全身麻酔による緊急手術が実施された。血液透析は、後続の被災基幹病院よりも1カ月半早く6日より、実人数120人の患者に対して実施できた。

一方で地域のダメージは大きいものがある。特に震源に近い能登北部医療圏の2市2町では、震災前で5万5000人いた人口が、国のこれまでの予測で2050年に半減するものが、2030年で半減する推定値も出ている。20年早まるのだ。しかも震災前でも、高齢化率は50 %を超えており、これがさらに想像を絶する高値になることも予想されているのである。

この地には4つの公立病院と1つの民間老人病院、1つの民間介護医療院がある。そして、医師不足地域だ。現在、厚生労働省では、医師の地域偏在、診療科偏在、病院診療所間偏在などが、その解消に向けて議論されている。その中で、この地の偏在対策を未来の過疎地のモデルケースとして考えてみたい。

震災前には、この能登北部で統合病院構想があった。高機能病院を1カ所つくり、そこに医療資源として医師や看護師を集約させるというものだ。しかし、この地の面積は極めて広い。2市2町の病院を閉鎖して1つにすることができるのか?しかも1つにしたところで、近未来には人口2万人ちょっとだ。そこに、高機能病院が必要なのか?専門医を配置しても症例数はあるのか?など現実を考えると厳しい。また、地域の住民感情としても、住み慣れた町から病院が消えて離れた集約病院に行くことに抵抗はないのかと危惧されるのである。

このような話は、何も医療だけではないかもしれない。町の機能そのものの話かもしれない。世にはコンパクトシティという考え方があるが、これは郊外から町中に人口、機能を集め、交通システム、企業、金融、ショッピング、高等教育、行政機関を集約しようとするもので、その単位は、この構想に名乗りを上げる富山市や宇都宮市など県庁所在地級の町の話だ。

過疎化が進み、災害で仮設住宅や復興住宅が並ぶ町で、コンパクトシティはない。ならば、コンパクトタウンはどうだろう。コミュニティーとして最小限の寄り合い処、金融として郵便局、食料や日常雑貨を扱うよろず屋、初等教育、そして、医療機関としてかかりつけ医機能医療機関でどうだろう。このかかりつけ医機能医療機関は、若干の入院機能があれば軽症救急に対応可能だ。主な診療は、総合診療が理想だ。専門医療はオンライン診療でいかがだろうか?そして、急変時に直ちに搬送することができる救急車や救急ヘリがあればいうことはない。

このコンパクトタウンのいくつかをカバーするハブシティがあればいい。ハブシティには、行政官庁、銀行の支店、高等教育…そして急性期病院があればいい。ハブシティは少なくとも10万人くらいの人口をカバーする地であるべきと考える。ならば、専門医もこの病院であるなら、ある程度の症例が稼げるに違いない。すなわち、医療では、コンパクトタウンのコンパクトホスピタルとハブホスピタルを規定することになる。

この震災を経験して、未来の過疎地の持続可能性のあるグランドデザインをきちんと考える時期だと思えてならない。そして、災害と闘った強靭な当院がいかにハブとして能登の医療をカバーできるか模索していきたいと思う。

神野 正博  かんの・まさひろ

1980年日本医科大学卒業。1986年金沢大学大学院修了。金沢大学第二外科入局、助手を経て、1992年特定医療法人財団董仙会恵寿総合病院外科科長、1993年同病院長。1995年より現職。全日本病院協会副会長、日本病院会常任理事、日本社会医療法人協議会副会長、石川県病院協会副会長。「ドクターの肖像」2016年2月号に登場。

※ドクターズマガジン2024年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

神野 正博

【Doctor’s Opinion】過疎地医療の未来 ~コンパクトホスピタルとハブホスピタル~

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