記事・インタビュー
この記事で言いたいことを3行で
産業保健職の皆さん!
打てない人、打ちたくない人に配慮しながらも
積極的に予防接種を推進しよう!
はじめに
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の職域接種が開始され、多くの産業保健職が企業における感染症対策にワクチン接種をどのように加えていくか悩まれているかと思います。ワクチン接種に関しては多くの倫理的な問題を孕んでおり、国や地域によっても考え方は異なりますし、社会的なコンセンサスによっても許容される範囲は変わります。さらには感染状況という時間軸でも変わっていきます。このような中でも産業保健職は時機を見極め、スピード感をもって対応しなければなりません。しかし、まだ現状としては、十分な知見が世に出されておりませんし、社会的なコンセンサスの醸成も不十分で、どのようなスタンスをとればよいか非常に悩まれているのではないかと思います。そこで、ガチ産業医としての考察を記事にすることで、そこに一石を投じることには一定の価値があることと考え、本記事を作成いたします。本記事は基本的には産業保健職向けです。また、あくまで私見であり、推測的な話も多く含まれますことをご容赦ください。
前提1:感染症の有害性
COVID-19に対しては、風邪や季節性インフルエンザと同じではないかという声がいまだに多くあるようですが、全く違うという認識を持ちましょう。この感染症は全世界に甚大な被害をもたらし続けている未曾有の危機であるというマインドセットを持つことが重要であると考えます。また、企業の担当者(トップ・人事総務など)とも認識を揃えておくことも大切になります。変異株が蔓延し、さらに長期化する恐れもある中で、この感染症を少しでも早く収束させることが公衆衛生における最大のミッションであり、公衆衛生の専門家たる産業保健職にもそれが求められると思います。
参照:新型コロナが「ただの風邪」ではない理由 コロナ病棟医師の見解
前提2:社会的リスク・事業継続リスク
COVID-19の流行において社会的リスクも非常に重要な観点です。これは感染者に対する差別的言動が起きたり、特にクラスター発生は企業のレピュテーションリスクにつながるからです。感染者が出ることで、一時的に事業を停止しなければならない事態にも陥りますので、事業継続管理において感染症対策が必要だと言えます。また、企業の社会的責任という文脈においても、感染症対策が求められることになります。
また、このパンデミックは飲食業界や観光業界などに莫大な被害をもたらし続けていますし、多くの方の雇用・所得にも影響が出ています。そして、社会経済状況の悪化は健康問題に直結します。そのような方々を守るためにもこの感染症は一刻も早く収束に向かわせなければならないと考えています。
参照:新型コロナ関連倒産 飲食店など累計1600社に 今後増加のおそれ自殺者が増加 女性と子どもで深刻化 新型コロナ影響か(自殺者増加とコロナとの因果関係は明らかではありませんが、深刻な影響が出うると意図でリンク掲載)
前提3:ワクチンの位置付け
COVID-19の収束は基本的にワクチン以外にはありません。もちろん、放っておけばいつかは収束するかもしれませんが、それは長い戦いになるでしょうし、さらに甚大な被害が伴います。そして、あくまで収束であり、終息ではありません。ワクチンが広がってもゼロコロナは難しいと思われます。「withコロナ」という言い方がされていますが、目指すのは、感染者が出ても集団には広がらないという状況です(例えば麻疹や風疹のように)。集団で高い免疫率を持つことで、感染を集団に広げず、免疫を持たない方も守ることが感染症対策の基本的戦略です(コクーン戦略)。
参照:
集団免疫について(こどもとおとなのワクチンサイト)
集団免疫「人口の70~90%が免疫持つ必要」米政府コロナ専門家
麻疹の場合は、集団のおおむね95%以上、風疹の場合は80~85%の人が抗体を持っている必要があり、COVID-19の場合は70-90%と推測されています。
なお、産業保健は予防医学ですが、ワクチンこそ最強の予防医学だと思います。我々の平時の活動と同様に予防医学の普及もまた産業保健職としての使命だと捉えています。
前提4:産業保健職のアイデンティティ
医師法第一条にある通り、医療職たる産業保健職は、公衆衛生の向上・国民全体の健康な生活に責任があります。そして、産業保健職は、公衆衛生の一翼として、産業領域・働き世代を担う専門家です。企業から報酬を得て、企業に利するリスクマネジメントの助言を行う立場ではありますが、それに加えて企業を取り巻く地域社会の公衆衛生に対しても、産業医は責務を果たす必要があるの考えます。
なお、企業は社会の公器であり、社会的責任(CSR)を有するため、そもそも企業の事業活動が地域社会と無関係ではありません。
また、産業保健職には集団の視点が求められます。そして、職場の安全と健康の維持・向上が産業保健職の職務です。古くは結核対策が工場医時代から求められていましたが、現代においても感染症は集団の健康を脅かすものであり、感染症を集団に持ち込ませず、安全・安心な職場を形成することが産業保健職には求められるでしょう。一人の不安全行動は集団の健康を脅かします。個人の自己決定権も非常に重要ですが、集団を守ることも同じように重要だと考えます。職場には、ときに健康の脆弱性を抱える従業員がいますので、そのような方を守ることも必要になります。さらには、業種によっては顧客集団(乗客、生徒、患者、サービス利用者など)の健康にも責任を負う必要があります。
職域接種の推進について
やや長くなりましたが、以上の前提を踏まえ、ガチ産業医としては職域接種は積極的に推進するべきだと考えています。推進に反対の方はほとんどいないと思いますが、その強い推奨度合いや高い温度感、マインドセットが必要だと思います。以下のポイントで考察をしていきます。
①従業員への接種勧奨について
おそらく6ー7割程度の従業員は、予防接種をしていただけると思います。そして、2−3割程度の方がワクチンを躊躇し、1割程度はワクチン忌避の傾向が強く、1%程度のワクチンを打てない方がいるものと思われます(参照記事などからの推定)。産業保健職の役割は、その2−3割程度のワクチン接種を躊躇う方々の不安に寄り添い、背中を押すことだと思います。遺伝子が変わる、不妊になるなどのワクチンに関する根拠のない風説が多く出回っています。そのため、現時点でわかっている知見を分かりやすく説明し、一人でも多くの従業員にワクチンの接種を打ってもらうように働きかける必要があるでしょう。予防接種はあくまで任意であり、自己決定権を尊重しなければなりませんし、本人がリスクと利益を理解・納得した上で接種するべきです。決して強制してはいけません。しかし、各個人に任せるだけでは、ワクチン接種を躊躇う方は躊躇い続けます。速やかに集団免疫を高めるためにも積極的な勧奨が必要だと考えます。
参照:
新型コロナのワクチン接種、62%が「受けたい」 東京医科大の研究チームが意識調査、「忌避」が課題
新型コロナウイルスワクチン忌避者は1割。忌避者の年齢・性別差、 理由と関連する要因を明らかに:日本初全国大規模インターネット調査より
積極的な勧奨のためには、産業保健職からの情報発信や個別相談対応以外にも、特にトップからのメッセージは非常に有効でしょう。企業としてのワクチン接種に関する方針を出すことは大きな意義があります。組織として進めることで、産業保健職の勧奨活動が組み込まれ、また場合によっては職場での勧奨を可能にします。企業としてワクチン接種を進めることのロジックとしては、地域社会貢献、CSR、事業戦略上、顧客・株主のためなど様々ありえるでしょう(地域住民も接種対象と発表したA社の事例)。極端な例ですが、接種を義務付ける企業も出ており、そのような企業と取引・訪問がある企業は、事業戦略上接種の必要性が高まるでしょう(JPモルガン、新型コロナワクチン接種義務付ける可能性を行員に通知)。
②職域接種実施と利益と不利益について
職域接種実施をすることについては、手間もお金もかかりますし、特に普段臨床から遠ざかっている方からは自身のリスクも過大に捉えてしまっている方も多いようです。そこで、以下の通り利益と不利益を整理しました。実施することのデメリット・リスクばかりに注目するのではなく、実施することの利益にも注目してはいかがでしょうか。
また産業保健職には、企業が必要なことと、企業に必要なことを適確に捉え、対応していくことが求められます。企業が何を求めているのか、企業に何が必要なのか、そのような視点で担当する企業の従業員の予防接種を推進していただければ幸いです。
また、リスクコミュニケーションにおいて重要なことは「対話」です。安全衛生委員会の活用や、特別な機会を設けて、企業内で対話を図っていくことも重要であると考えます。産業保健職としての役割に「合意形成」の支援があると思います。ワクチンは非常にセンシティブに問題になりえますので、企業の中でトラブルや分断が起きないように、調整・交通整理を行う必要があると思います。
「竹田宜人 合意形成における放射線防護の役割 / 放射線防護の合意形成をどう支援できるか?」より
③従業員の接種状況の把握について
産業保健職同士でディスカッションした範囲では、ワクチンの接種状況を積極的に把握している企業は少ないようです。接種アンケートや、接種スケジュール調整する範囲で、部分的に把握している企業が多いようです。接種状況の把握が、半強制的な接種勧奨につながることや、接種しない従業員への不利益取り扱いにつながることを懸念している声があがっていました。現状は、地域接種と職域接種が混在している地域もありますし、当面は接種状況を厳密に把握することは難しいと思われます。しかし、個人的にはどこかのタイミングで組織全体の接種状況(割合)の把握が必要だと考えます。集団免疫がどの程度獲得できているかの数値を把握(可視化)は重要ですし、数値目標を持って接種勧奨施策を進めるためにも有効です。前述の通りCOVID-19の感染拡大を防止するためには7-9割の集団免疫が必要です。感染流行状況やワクチンの有効期間などによっても変わってきますが、接種が一通り済んだタイミングで接種状況を把握する必要になると予測しています。
なお、高い集団免疫があるから対策を緩めていいとは全く思っていません。また、個人が特定されてしまう接種状況の把握は避けるべきでしょう(例:名前を貼り出す、衛生委員会で共有する)。また、個人的な推奨としては、ストレスチェックの集団分析結果と同様に、把握状況は人事権がない方が管理することが望ましいと思われます。結果の共有についても、ストレスチェックの集団分析結果と同様の取り扱いにする方法であれば、企業の担当者にもご理解いただきやすいと思います。可能であれば、接種状況の把握については、安全衛生委員会で審議することや、明文化する、社内に周知することもご検討ください。産業保健職がいるからこそ、機微な情報管理を行うことができ、それを適切に社内施策に反映できるのです。
④業務特性・個人特性について
集団全体への予防接種も大切ですが、産業保健職としてはさらに業務特性や個人特性に応じた対応も求められるでしょう。
業務特性
感染リスクが高い業務・他者に感染させるリスクが高い業務や、顧客から感染予防が要求されやすい・感染者が出た際の社会的影響が大きい業務は特に予防接種が勧められるでしょう。また、このような業務特性のある部門については、部門長と連携して予防接種を勧奨することも必要になるかもしれません(このためにも接種状況の把握は重要)。
感染リスクが高い業務:
- 医療、介護、海外渡航を伴う業務、3密環境の業務(例:造船)
マスクができないことなどによって感染リスクが高い業務:
- 演劇、芸能、報道、音楽、接待関連の飲食業
顧客から感染予防が要求されやすい業務:
- 教育、行政、政治、旅行(特に航空)、一部の外資系企業との業務、スポーツ、対面接客業
個人特性
感染した際に重症化しやすい方(下図参照:新型コロナウイルス感染症診療の手引きより)や、感覚過敏や皮膚症状などによりマスク装着ができない方についても個別に予防接種の勧奨が必要になるでしょう。
⑤打たない権利・打たない自由への配慮について
繰り返しになりますが、予防接種はあくまで任意であり、ワクチンを打たないという権利も尊重されるべきです。決して強制してはいけないと考えます。しかし一方で、打たないことは、それに伴う合理的な範囲の不利益もセットです。ワクチンを打った方は、打つことに伴うコスト(副反応や費用、時間など)を払うことによって免疫という利益を享受しています。打たないという選択をした方は、そのコストを払わずに集団の健康を脅かしながらも集団免疫の利益を享受することになります(フリーライダー・ただ乗り)*。これはワクチンを打った方からすればフェアではありません。そのため、ワクチンを打たないことによって不利益が発生することも社会的には許容されることになります。国によっては、ワクチンを打たなければ入学できないこともあります。また、医療従事者であればワクチンを打たなければ患者と接する業務に従事できないという不利益が発生することは社会的に許容されうるでしょう。
*打てない方を指して「ただ乗りしている」ということではありません。
ワクチンパスポート(コモンパス)が今後広く普及する可能性がありますが、これも、ワクチンを打っていない方は旅行できない不利益がある、と言うことができます。COVID-19に限らず他の感染症においても、世界各国ではワクチンは社会的になんらかの利益/不利益を設けることによってワクチンを打たない権利を尊重しながら、ワクチン接種が推進する、ということをしています。
これを企業に当てはめると、ワクチンを打たない方に対して、なんらかの条件をかけることが十分に検討されますし、それは差別とは言えないでしょう。どこまで許容されるのか、ということは非常に難しい議論ですが、社会的・業界的なコンセンサス次第だとは思いますが、医療・介護業務や、海外への移動を伴う業務、接待業務(特にマスクができない業務)はこれらが許容されやすいと考えられます。
⑥ワクチン・ハラスメントについて
「ワクチンハラスメント」とは、正確な定義はありませんが、新型コロナウイルス・ワクチンの予防接種において事実上接種を強要されたり、接種を受けないことで差別を受けたりする問題のことです(日弁連HPより)。私は、この言葉が一人歩きすることに大きな危機感を抱いています。なんでもかんでもハラスメントと表現されることで、本来必要な対応(勧奨、指導、助言など)ができなくなる恐れがあるからです。繰り返しますが、従業員に対してワクチン接種を決して強制しないようにしましょう。しかし、ある程度の勧奨は許容されますし、特にそれが企業としての方針に基づいていれば、それは職務上必要な勧奨だと言えると思います。ワクチンハラスメントを予防するために、執拗な勧奨や、打たないことに対して非合理な不利益(退職勧奨など)を与えたり、脅威を与えるような勧奨はしないようなアナウンスを行うことが必要だと思います。また、丁寧な説明や、不安への対応も必要でしょう。ハラスメントの訴えが起きる前提として、信頼関係がすでにない、ということもありますので、ワクチン勧奨そのものが悪である、と短絡的に捉えないようにしましょう。
⑦産業保健チームの合意形成について
産業保健チーム内にも、様々な意見があることを理解しておきましょう。様々な価値観や考え方があることは当然です。普段からコミュニケーションを図っていても、こうした有事の際には意見が衝突してしまうこともあります。意見を表明することは、ときに勇気がいりますし、責任を感じる方もいるでしょう。ワクチン接種はあくまで任意なのだから、そこまで勧奨しなくてもよいのではないか、という方もいると思います。しかし、産業保健チーム内で意見がブレてしまうことは望ましいものではありません。ワクチンのようなセンシティブな問題こそ、産業保健チームが一枚岩になる必要があると思います。そのために、産業保健チーム内でも対話を図りながら、企業・従業員が何を求めているのか、企業・従業員に何が必要なのかを話し合い、自分たち産業保健職の役割・ミッションを改めて確認し、産業保健チームとしての明確な方針を示し、チームのトップがリーダーシップをとっていく必要があるのだと思います。
おまけ:職域接種に役立ちそうなサイト集
・新型コロナウイルス感染症に係る予防接種の実施に関する職域接種向け手引き(第2版)(令和3年7月1日)(厚生労働省)
・伊藤忠新型コロナワクチン接種会場(東京) 運営マニュアル
・中央みなとクリニック
・接種開始3日、実施して分かった職域接種の要点を公開します(Coral Capital)
・新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を受けたことで健康被害が生じた場合の労災補償における取扱いについて
・COVID-19ワクチンモデルナ筋注の接種を受ける方へ(リーフレット)
武田薬品さんに依頼すれば人数分もらえるらしいです。
<プロフィール>
五十嵐 侑
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