記事・インタビュー
千葉大学 予防医学センター 環境健康学研究部門 教授
近藤 克則
医師の役割とは何だろうか。医師法の第一条によると「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」。医療や保健指導、その科学的基盤づくりの研究をしたりするのは、「公衆衛生の向上及び増進に寄与」するためであり、「国民の健康な生活を確保する」目的のための方法に過ぎない。
過去の話と思われていたが、再び注目を集めている公衆衛生上の課題がある。それが「健康格差」である。健康格差とは「地域や社会経済状況の違いによる集団間の健康状態の差」である。「格差」は、価値判断を加えない「較差」とは異なり、かけがえのない基本的人権である健康やいのちに関わる「避けられるべき、望ましくない較差」という価値判断を含んでいる。
健康格差は、市町村などの地域間や(正規・非正規・失業など)就労状況や職業階層、所得・教育歴など異なる社会経済状況にある集団間に認められる。比較的平等な国と見なされてきた日本も、諸外国と同様の「健康格差社会」であると分かってきた。健康格差の大きさは、用いる健康指標やどの集団間で比べるかで異なるが、社会的に不利な状況におかれた集団において、上位集団に比べ、不健康な状態や死亡率が2〜3倍以上、うつ状態の割合などでは約7倍も多いことが報告~されている。その特徴は、社会経済的な要因によってもたらされる健康格差が、がん・循環器疾患・脳卒中から糖尿病、睡眠障害や精神症状、さらには自殺や外傷死にまで広く及んでいることである。言い換えれば、健康格差が小さい社会を実現できれば、多くの疾患や障害を丸ごと予防・緩和できる可能性を秘めている。まさに公衆衛生上の課題である。しかも、10年単位で見るとヨーロッパでは健康格差は拡大傾向にあることが明らかになってきた。
そのため、ヨーロッパ諸国や米国では、1990年代から国の政策として健康格差の縮小がめざされ、WHOも2009年総会で、健康格差を放置すべきでない、縮小を図ると決議した。日本政府も、2013年からの10年間の「健康日本21(第二次)」で「健康寿命の延伸」と並んで「健康格差の縮小」をめざすと謳い、そのために「社会環境の質の向上」を図るとした。
健康格差の縮小のために、医師にできること、担うべき役割とは何だろうか。例えばがんの診断や治療において、局在・病理診断や治療だけでなく、喫煙などの健康行動、さらに副流煙をもたらす環境も視野に入れ、(家族の)禁煙の支援までして予防策をとることが望まれる。それと同様に、健康格差対策においても、直接的な疾患の診断や治療だけでなく、閉じこもりや社会参加の乏しさなど健康と関連する社会行動、さらには、禁煙エリア拡大などリスクを避けられる社会環境づくりも視野に入れることが期待される。また目の前の患者だけを対象にしたのでは十分でない。低所得層ほど、医療費の窓口負担を理由に受診を控えている実態があり、医師の前には現れない。より多くの病気や困難を抱えている層に医療が届くよう、無料低額診療に取り組んだり、社会保障制度の拡充を図ったりすることも必要だろう。
さらに、本人の生活習慣が原因と見なされてきた疾患ですら、自己責任を問えない母体内や就学前期に貧困や饑餓にさらされた人たちに多いなど、ライフコースを通じて健康リスクが蓄積されている。つまり、あらゆる世代の健やかな暮らしを支える良好な社会環境を構築することが必要で、疾患生成モデルの拡張と根本的で広範な予防策が求められている。
医師法に定められた究極の目的「国民の健康な生活を確保」は、狭い医療だけでは実現できない。そのことをまず医師自らが知り、国民に知らせ、必要な対応を社会に求め、健康格差の縮小を実現する。そのためには、健康の社会的決定要因やその健康への影響経路を解明し、それを踏まえた政策や実践を行い、その効果検証ができる人材がもっと必要である。これらの課題に、ともに取り組んでくださる人が増えることを願っている。
こんどう・かつのり
1983年千葉大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院リハビリテーション部医員、日本福祉大学助教授、University of Kent at Canterbury客員研究員などを経て、2003年から日本福祉大学教授。2014年から千葉大学予防医学センター教授。『健康格差社会─何が心と健康を蝕むのか』(医学書院、2005年)で社会政策学会賞(奨励賞)受賞
※ドクターズマガジン2015年5月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
近藤 克則
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