記事・インタビュー

2025.01.24

佐々木淳先生の在宅診療メモランダム Episode5 無力感からの願い

Episode5 無力感からの願い

「海を見てきました」

40年連れ添った夫婦は、ある日思い立って映画館へ。しかし残念ながら車椅子では入場できず、そのまま港に向かい、車の中から黄昏時の東京湾を眺めてきたのだという。
聞けば、若いころからクルーズ船で世界を旅するのが夢だったとのこと。
船の模型を手に取ってじっと見つめる姿を日頃から見せられてきた奥さんも、いつしかその夢を共有するようになっていた。
60歳で仕事を退職し、念願の世界一周旅行のチケットを手に入れ、出発へのカウントダウンが始まったまさにその時、最初の病気が見つかる。
旅行をキャンセルして入院・手術へ。その後、ドミノ倒しのように次から次へと病気が続き、高濃度の酸素がなければ日常生活もままならない状態に。そして僕が在宅主治医として関わらせていただくことになったのだ。

診療のたびに感謝の言葉を口にされるご夫婦。ご主人は自分の病気の見通しについて理解していた。
少しずつ衰弱していく身体に、それでも日々、自分にできることはないかを探しながら、それを発見したことを診察のたびに教えてくれた。

先週よりも具合が悪くなったところもあるけど、先週よりも自分でできるようになったこともある。そんなささやかな気づきの中に、よりよい生活の、そして未来への可能性をつなごうと努力しているように感じた。
経過中、急性増悪を何度か繰り返した。病院に行っても根本的にできることは少ない、と説明をされていたご夫婦は、自宅でできる範囲の治療を希望された。

最初は高用量のステロイドによく反応してくれて、増悪からの回復後も日常生活の質が大きく改善。食事の量も、外出の機会も増やすこともできた。
しかし、穏やかな時間を確保するために、徐々にオピオイド(医療用麻薬)の使用頻度が増えていった。夜の睡眠にも薬の助けが必要になってきた。肺リハビリや吸入・ネブライザーなど、やれることはやってみた。
それでも病気の存在を忘れることができる時間はだんだん短くなっていった。

そして、最後となる僕の定期診察日。

先生の診察の時はいつも落ち着いてるんですよね、と奥さん。
訪問看護師さんからは、日々状態が悪化してきていることをお聞きしていた。

「動かなければ大丈夫なんですけどね。なんでもできるような気がするんです。だけど、ちょっと動くと、身体が本当に切なくて。正直なことをいえば、やっぱり悔しいですね。肺に悪いことは何もしてこなかったのに」

ご主人は淡々と語ってくれたが、その瞳の奥には、これまで見せたことのない怒りが一瞬見えたような気がした。
「でも、感謝ですね。こんな状態なのに、こうやって自分の家で暮らせているんですから」
すぐにいつものご主人に戻ってしまったが、その表情は何かを悟っているように感じた。
最期の日、ご主人はひさしぶりにぐっすりと眠れたのだという。

ゆっくりと少量の朝食をとりながら
「船に乗りたいね」
「そうだね、絶対に乗ろうね」

夫婦でそんな会話を交わしたと、最期のお別れにお伺いした時に奥さんが教えてくれた。
老化による死は、生き物の宿命として受け入れるべきものだと思うし、それは多くの人にとって難しくないと思う。
病気による死も、それを運命として受け入れろと僕らは患者や家族に要求する。怒りや悲しみは、いつか運命としての受容を通じて感謝に変わると信じている。しかし、実際にはそれは容易なことではない。誰もが受け入れる努力をするが、そして受け入れているように見える人もいるが、みんな心のどこかで、やはりそれを受け入れることに抵抗を続けている。未来への希望を持ち続けている。

穏やかないいお顔ですね。

いつもはそんな一言で弔問を締めくくる。
だけど、穏やかな最期がこの人にとっての本当の希望であったわけではない。
この一言を口にすることができなかった。
支える医療としてやれることはやった。
命さえあれば、障害は環境要因へのアプローチで克服しうる。
しかし、病気から命が守れないこと、老化として許容できない経過に対する無力感を久しぶりに強く感じた。

医学はこれからも進歩していかなければいけない。

※ドクターズマガジン2024年5月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

佐々木 淳  ささき じゅん

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長/内閣府規制改革推進会議 専門委員(医療・介護・感染症対策)

1998年筑波大学医学専門学群を卒業後、社会福祉法人三井記念病院の内科研修医になる。消化器内科に進み、おもに肝腫瘍のラジオ波焼灼療法などに関わる。2004年東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学。大学院在学中のアルバイトで在宅医療に出合う。「人は病気が治らなくても、幸せに生きていける」という事実に衝撃を受け、在宅医療にのめり込む。2006年大学院を退学し在宅療養支援診療所を開設。2008年法人化し、現職。2021年内閣府規制改革推進会議専門委員。現在、首都圏ならびに沖縄県(南風原町)等にクリニックを展開し、約8100人の在宅患者に24時間対応の在宅総合診療を提供している。

佐々木 淳

佐々木淳先生の在宅診療メモランダム Episode5 無力感からの願い

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