記事・インタビュー

2024.05.07

【Cross Talk】スペシャル対談:公衆衛生医師編<後編>


患者一人一人を診て治療するのが臨床医だとすると、自治体や国などの集団を診て治すのが公衆衛生医師。新型コロナウイルス感染症禍を経て公衆衛生に関心が高まる今、臨床医からも公衆衛生を学ぶ必要性が声高に言われるようになってきた。業務範囲が多岐にわたりつつも、表舞台に出ることの少ない公衆衛生医師の仕事は、知られていないことがあまりにも多い。麻酔医や救命救急医を経て厚労省の医系技官となり、公衆衛生の研究に進んだ奈良県立医科大学教授の今村知明氏と、脳神経外科医から公衆衛生医師となり広島市の南保健センター長を務める平本恵子氏に、公衆衛生医師の仕事や醍醐味、臨床経験の意義や今後の課題などを語っていただいた。

<お話を伺った方>

今村 知明

今村 知明(いまむら・ともあき)
1988年関西医科大学卒業。1993年東京大学大学院第一基礎医学専攻修了後、厚生省に入省。統計情報部から1994年に文部省学校健康教育課、1996年厚生省エイズ結核感染症課、1997年佐世保市保健福祉部長、同保健所長、2000年食品保健部企画課、2003年東京大学医学部附属病院助教授・企画経営部長、2007年から現職。『食品防御の考え方とその進め方 よくわかるフードディフェンス』、『地域医療構想と地域包括ケアの全国事例集』など。医療管理学、医療系社会学に精通。

 

平本 恵子

平本 恵子(ひらもと・けいこ)
脳神経外科+リハビリテーション科で17年間の臨床を経験。育児・介護を経験したタイミングで公衆衛生医師の存在を知る。人の生活や環境をデザインしてみたかったという。1998年広島大学医学部卒業後、同学脳神経外科教室に入局。2006年に広島大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経外科博士課程を修了。2016年に広島市に入庁。西保健センター長、広島市健康福祉局保健予防担当課長などを経て現職。2020年に広島大学大学院医系科学研究科公衆衛生学(MPH)コース(社会人枠)修了。医学博士、公衆衛生学修士(MPH)

感染症があるかぎり公衆衛生は必要

対談

 今村 先生 :コロナのときは、平本先生は現場対応に苦慮されていたでしょう。

 平本 先生 ︙はい、コロナ拡大初期の2020年は広島市の感染症対策の担当課長でした。患者搬送車の予算取り、コロナ患者を受け入れる病院との連携、検査可能施設の確保、市民からの相談窓口の設置、ホームページでの情報提供など、これまで体験したことのない業務を手探りで行いました。加えてメディアの取材対応はまるで千本ノックを受け続けている感じでした。

 今村 先生 :あれは辛いものですね。私も今まで百万本くらいノックを受けてきました(笑)。

 平本 先生 ︙想像を絶します……。先日、コロナ初期の資料を見返していたら、「◯代男性がどこそこの飲食店で感染」とつぶさに調査していて、そんな時期もあったなと思い出しました。記者や議員からいつ何を聞かれても、責任ある言葉で答えられるよう、常に情報を叩き込む日々で。深夜でも容赦なく問い合わせが入る、そんなことが当たり前でした。今思えば懐かしい日々です。今村先生のお仕事も、またハードだったこととお察ししますが……。

 今村 先生 :そうですね、厚労省時代はすごかったです。でも今回のコロナでは主に裏方仕事でした。特に、5類に移行するためのデータ作りをやっていましたね。厚労省の下でインフルエンザとオミクロン株の死亡率がほとんど変わらないことを証明するデータを作成して、厚労省から専門家会議にぶつけて何とか通ったら、次は官邸で引っかかる。官邸で通っても今度は国会で引っかかる。かなりの時間をかけて政府全体の合意を得たのにまだ、といった形で1年かかりましたが、5類になったときは本当にホッとしました。

 平本 先生 ︙そんな激しい攻防戦があったんですね。現場でも、5類に移行した時は本当に安心しました。広島ではG7サミットがあったのでその感染症対応もあったのですが、このコロナ禍でそれぞれの人が情報を得て判断する術を身に付け始めていたんですよね。コロナが5類になった当日、増えると思っていた問い合わせや苦情の電話はありませんでした。すごいなと思いましたし、3年の重みを感じました。あの瞬間のことは忘れられません。

 今村 先生 :コロナが私たちにもたらしたものはたくさんあると思うのですが、最も大きいのは、人類は感染症を克服したと思っていたけれど、そうではなかったと思い知らされたこと。人類は感染症にはまだ勝てないんです。そして、検疫所はもういらない、保健所も役割を終えたと言われていたけれど、そんなことはない。感染症は公衆衛生の基本ですし、感染症があるかぎり公衆衛生対策は必要なんです。

 平本 先生 ︙私も、コロナがあったからこそ地域の人たちが保健センターの存在を意識してくれましたし、社会のあらゆる場所に積極的に入って多くの人に出会えたと実感しています。見えない場所で健康を支える仕事をしてきましたが、私たち公衆衛生医師はずっとここにいた――。それを知ってもらえたのは大きかったです。

 今村 先生 :もう一つコロナがもたらしたものは、感染症の恐怖を忘れていたからこそ、その恐怖を再認識したときの揺り戻しが大きかったこと。感染症への過剰反応です。5類に移行してインフルエンザと同じになったはずなのに、インフルエンザは怖くないけれどコロナは怖いという過剰な恐怖が拭いきれないままです。官邸までが恐怖に染まっているので、一般の人たちに正しく恐れることを説明するのが難しい。いったん持ってしまった恐怖を取り除くのは、科学ではない別の技術が必要なのだと痛感しています。そこは、公衆衛生の古くて新しい課題です。

 平本 先生 ︙コロナ禍では「伝える」と「伝わる」の違いを実感することが多くありました。私たちは公的な文章を作ることも仕事ですが、論理や理屈だけではない伝え方、どうしたら人の心を動かすことができるのか。そのデザインを今も試行錯誤しながら作っています。医師として、また行政の職員として、一般の方たちに向けてどんなコミュニケーションを取るかは常に課題です。

あらゆることを網羅しており興味のある分野が必ず見つかる

対談

 平本 先生 ︙私は公衆衛生医師の仕事が大好きです。メスを握る人は他にもたくさんいますが、公衆衛生は答えのない課題に向き合い、自分のアイデアを自ら具現化できる、クリエイティブな仕事です。また、一人では到底実現できない大きな事業を、多様な仲間とのつながりの力で実現していく、ダイナミックな仕事でもあります。どんな課題も、挑戦する心とつながりの力を失わない限り、必ず実現できると信じています。また、仕事はおおむね計画的に進めることができるので、どんなふうに仕事をしていきたいかをしっかり持っていれば、その人なりの働き方が選べますよね。

 今村 先生 :確かに、公衆衛生医師はワークライフバランスを保てる仕事ではありますね。職場としては厚労省のような不夜城もありますが(笑)、役所では部署によって忙しさはさまざまで、「9時5時」も許される世界。ライフステージによって働き方を変えることができ、性別によるキャリアの差が出にくいです。

 平本 先生 ︙そう思います。意欲や意志があればどこまでも突き詰められる仕事です。

 今村 先生 :個人の資質や能力がものをいう仕事でもあり、6割で合格点だと思えばそれでいいですし、8割を目指そうと思えば努力しなくてはならない。やる気になればいくらでもできることがあります。

 平本 先生 ︙はい、それは私も痛感しています。一つの課題に取り組んでいる中で次の課題が見つかることもあり、終わりはないんだなと思っています。

 今村 先生 :現在、公衆衛生医師は全国に2000人ほどでしょうか。国民の要望が高まっているのに公衆衛生医師の数が増えないため、できないことが増えていくばかりなのが現状です。本来は倍の4000人は欲しいところです。

 平本 先生 ︙公衆衛生は医療に関わるあらゆることを網羅しているので、きっとどこかに興味のある分野があるはず。臨床医から公衆衛生医師になり、再び臨床に戻られる方もいらっしゃいます。

 今村 先生 :医師人生の中で一度は公衆衛生を経験してみると、世の中が広く見えるようになります。おもしろさを感じてとどまってくれたらありがたいですし、臨床に戻ったら戻ったでその経験が活きるはず。社会を動かす醍醐味が味わえます。

※ドクターズマガジン2024年4月号に掲載されました。

今村 知明、平本 恵子

【Cross Talk】スペシャル対談:公衆衛生医師編<後編>

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