記事・インタビュー
長崎大学病院リハビリテーション部 准教授 高畠 英昭
はじめに
「150年の歴史を持つ長崎大学病院で、初めてリハビリテーション “だけ” をする医者です。」というのが私の自己紹介の言葉です。事実これまで、長崎大学病院にはリハビリテーション専属の医師はいませんでした。とはいえ、リハビリテーション専属の医師がいないのは長崎大学病院だけでなく、どの急性期病院でも珍しいことではありません。リハビリテーション科は整形外科医が併任するものであり、実際のリハビリテーションは理学療法士や作業療法士に “おまかせ” するものでした。
発症(手術)直後からの急性期リハビリテーションの重要性に注目が集まるようになった昨今、リハビリテーション科の守備範囲は従来の整形外科疾患や脳卒中だけでなく、呼吸器疾患・循環器疾患・がんと大きく広がりました。整形外科の併任ではない総合的なリハビリテーションを行うことの必要性はますます高まっています。そのような背景から、長崎大学病院では本格的なリハビリテーションを幅広く提供する体制を作るため、リハビリテーション科の開設に向けて準備をはじめました。その第一歩がリハビリテーション専任ポストの新設であり、2017年4月から私がその任にあたっています。一人の医者からはじめる「大学病院の新設科」の歩みを、私の過去~現在および将来展望を通してこれから数回に分けてお届けします。
大学進学~大学時代
鹿児島の田舎で散髪屋の息子に生まれた私は、地元の私立男子校(ラ・サールではない)に学びました。もともと文系コースにいたのですが、高校3年の夏休みのある日に「何らかの資格を取った方が良いのではないか」と思い立ち、急きょ進路指導の先生に「医学部に行きたい」と理系コースへの転向をお願いしました。進学クラスは全学年の1クラスのみの少人数で比較的自由な環境にありましたので、私の希望はすんなり聞き入れられ、翌日から微分積分や物理と格闘することになりました。
「アメリカンフットボール部のある大学」ということで選んだ長崎大学に幸い現役で入学することができました。入学式の翌日には早速、入部届を出しに行き、アメフトとともに大学生活の第一歩が始まりました。毎日全学グラウンドで泥にまみれて練習する私の隣で、同じ全学ラグビー部でやはり泥だらけで練習に取り組む医学部同級生の尾﨑君とは良く顔を合わせていました。実は入学当時、医学部には「医学部~~部」という医学部生だけの部活があり、進級などの関係で医学部生の多くは医学部の部活を選ぶのだということを知りませんでした。知ってからもそのまま全学の部活動を続けていたので、他の医学部の同級生には「変わり者の二人」に写っていたのかもしれません。
アメフトの練習に打ち込みすぎたせいか、物理と統計を人よりも念入りに長く勉強することになった私は、尾﨑君たちからは遅れて大学を卒業することになりました。長く大学に残ることになり、全学アメフトの同級生が4年で卒業した後に私が熱中したのは、医学部の勉強ではなくバンド活動でした。そもそもバンド活動の始まりは、留年を契機にはじめた英会話からでした。当時、長崎で英語を教えていたアメリカ人・イギリス人の数人がバンドをやっており、その仲間に入れてもらったのです。日常的に英語を話す機会が増えたおかげで英語は上達しましたが、学校の成績は向上することなく、卒業・国家試験にも友人たちの協力を得て、どうにかこぎつけました。
研修医時代
私が大学を卒業した当時は今のような臨床研修制度はありませんでした。医学部生の多くは卒業大学のどこかの医局にそのまま入局して研修生活をはじめることが普通でした。私が入局先として選んだのは母校の脳神経外科でした。脳神経外科を選んだ理由は、手先の細やかな器用さで勝負しようという漠然とした考えだけで、特に脳神経外科手術に強いこだわりがあった訳ではありませんでした。1年目を大学病院で過ごした後、2年目の研修先になったのが静岡県にある浜松医療センターでした。
浜松医療センターは、浜松市を運営母体とする市の中核病院の一つで、救急救命センターでは多くの急性期脳卒中患者を受け入れていました。また、1994年当時としては珍しい脳血管内治療手技を用いた急性期脳梗塞に対する血栓溶解療法を先進的に行っていました。脳梗塞や脳出血の治療機会の少ない大学病院で1年を過ごした後、この病院では非常に多くの急性期脳卒中の治療機会を得ることができました。また、当時の急性期病院としては珍しく、リハビリテーションにも力を入れており、ワンフロアー全部がリハビリテーション室で、まだ国家資格になっていない言語聴覚士が非常勤ながら3人も勤務しているようなところでした。(当時は“言語療法士”と呼ばれていました。)
大学病院と浜松医療センターでの2年間の研修生活で、私は脳神経外科医や医者としての基本となる多くのことを学びましたが、中でも脳血管内治療の基本であるマイクロカテーテルの操作法を習得したことは、その後の脳神経外科医としてのサブスペシャルティを決定することに大きな影響を与えました。また、浜松医療センターでは、これも当時としてはほとんど他の施設では行われていない嚥下造影の手技を習得する機会も得ることができました。若い時にこのような環境で仕事をする幸運に恵まれ、急性期から積極的にリハビリテーションを行うことの効果や口から食べることの重要性を気づくことができたことが、現在の私の仕事につながっているのだと考えています。
<執筆者プロフィール>
長崎大学病院リハビリテーション部准教授
鹿児島県生まれ。脳神経外科学会専門医、脳卒中学会専門医、リハビリテーション医学会専門医・認定臨床医。1993年長崎大学医学部卒業。脳神経外科医・脳血管内治療医として長崎医療センター等に勤務後、2014年より産業医科大学リハビリテーション医学講座講師。2017年4月より現職。専門は嚥下障害のリハビリテーション、地域連携パス。趣味は楽器演奏・トライアスロン。
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